第15話「悪役令嬢は、振り返らない」
地上に戻ったとき、太陽がまぶしかった。
ダンジョンの出口から一歩踏み出した瞬間、膝が崩れた。草の上に倒れ込んだ。青空が視界いっぱいに広がっていた。
生きてる。
当たり前のことが、こんなにも重かった。
「お姉様!」
セリナの声が聞こえた。足音が近づいてくる。小さな手が私の肩を掴んだ。
「お姉様、お姉様……! 帰ってきた……!」
「ただいま」
声が掠れていた。セリナが泣いていた。
「馬鹿……馬鹿お姉様……配信途中で映像ぶれぶれになって、最後ほとんど映ってなかったんだよ……皆ずっと心配して……」
「ごめんね」
「謝らないで……帰ってきてくれたから、いいの……」
しばらく、草の上で横になっていた。セリナが隣に座って、ずっと手を握っていた。
グレンが来たのは、それから少し後だった。
私を見下ろして、一言。
「帰ってきたか」
「帰ってきました」
「……そうか」
それだけだった。でも、グレンの目が少しだけ潤んでいたのを、私は見た。見たけれど、言わなかった。
ギルドに戻ると、酒場が大騒ぎだった。
冒険者たちが立ち上がって拍手していた。見知った顔も、知らない顔も。全員が私を見ていた。
フィオナが工房から駆けつけてきた。息を切らしている。
「無事!? 記録珠のデータ! データ見せて!」
「フィオナさん、まず『おかえり』でしょ」
セリナに突っ込まれて、フィオナが慌てた。
「あ、おかえり。で、データ!」
変わらない人だ。安心した。
ヒューゴもいた。カウンターの隅に座って、にこにこ笑っていた。
「おかえり、リゼットさん。で、ニュースがあるよ」
「何ですか」
「聖女の資格剥奪が、今朝正式に決定した」
酒場が一瞬、静まった。
「アルベルトさんの裏工作が効いたね。配信不正の証拠が揃って、王国の調査委員会が動いた。エレノア・セレスティーヌは聖女の称号を剥奪され、国費での活動資格を失った」
コメントの海を見なくても、この酒場の空気でわかった。王国中が、このニュースを知っている。
「レオンハルト殿下は?」
「正式なコメントはまだ出てない。でも、聖女の庇護者としての責任は問われるだろうね」
レオンハルト殿下。
あの夜、大広間で「君との婚約を破棄する」と言った人。
恨んではいない。怒りも、もうほとんど残っていない。ただ、あの判断が間違いだったと、殿下自身が気づいてくれれば。
それだけで十分だった。
借家に戻ると、手紙が届いていた。
クラリオン公爵家の紋章が押された封蝋。
父からだった。
封を切った。
『リゼット。配信は全て見ていた。お前の戦いを、私は誇りに思う。言葉にするのが遅くなったことを詫びる。お前が望むなら、公爵家の名は今まで通りお前のものだ。だが、お前はもう、名前に頼る必要がないだろう。好きに生きなさい。父より。』
手紙を読み終えて、しばらく動けなかった。
セリナが隣で、同じ手紙を覗き込んでいた。
「お父様……」
「不器用な人ね。最後の最後にこれを送ってくるなんて」
「お姉様こそ泣いてるじゃん」
「泣いてない」
「泣いてる」
泣いていた。
五日間の休養を取った。Day 64の夕方には、歩いても息切れしない程度には回復していた。瘴気の蓄積を抜くために、フィオナが特別な蓄魔石のペンダントを作ってくれた。身体につけておくと、少しずつ瘴気を吸い出してくれる。
「完全に抜けるまで二週間くらいかかるよ。その間はダンジョン禁止」
「わかりました」
「嘘。絶対守らないでしょ」
「守ります。……たぶん」
「たぶんって何」
Day 65。休養明けの朝。
王都の中央広場に、人が集まっていた。
配信の告知はしていない。ただ「お知らせがあります」とだけ、前日にギルドの掲示板に貼り紙を出した。
それだけで、広場が人で埋まった。
噴水の前に立った。記録珠を取り出す。
フィオナが改良してくれた記録珠。何度も私を支えてくれた、拳大の水晶球。
魔力を流し込んだ。淡い光が灯る。
「皆様。リゼット・フォン・クラリオンです」
視聴者数が跳ね上がった。100万、200万、250万。
「本日は、ご報告があります」
広場の人々が静まった。映写板越しに見ている王国中の人々も、きっと耳を澄ませている。
「先日、深淵の回廊・第30層に到達しました。これは、王国の最深到達記録に並ぶものです」
拍手が起きた。広場が揺れた。
「ここまで来られたのは、私一人の力ではありません」
グレンの顔が浮かんだ。毎朝の訓練。「引き際を間違えるな」の言葉。
セリナの顔が浮かんだ。泣きながら王都に来た妹。帳簿をつけ、買い出しに走り、いつも隣にいてくれた。
フィオナの顔が浮かんだ。記録珠を改良し、蓄魔石を作り、技術で道を開いてくれた。
ヒューゴの顔が浮かんだ。胡散臭い笑顔の裏で、真実を掘り出してくれた。
「視聴者の皆様にも、感謝しています。投げ銭の一枚一枚が、コメントの一つ一つが、私の足を前に進めてくれました」
本心だった。飾らない言葉で、ただ正直に伝えたかった。
「そして、もう一つ」
広場の端に、人影が見えた。
レオンハルト殿下が、護衛も連れずに立っていた。
目が合った。殿下が一歩前に出た。
「リゼット」
広場が静まり返った。配信は続いている。王国中が見ている。
「僕は――あの夜の判断を、間違えた」
殿下の声が、広場に響いた。
「エレノアの言葉を疑わず、君の言葉を聞かなかった。証拠もなく断罪した。王族として、一人の人間として、取り返しのつかないことをした」
静寂。
「……すまなかった」
頭を下げた。王子が、衆人の前で頭を下げた。
広場がざわめいた。コメントが溢れているのが視界の端に見えた。
私は、まっすぐに立っていた。
「殿下。顔を上げてください」
レオンハルト殿下が顔を上げた。目が赤かった。
「謝罪は受け取ります。ですが、私は殿下のために戦ったわけではありません」
「……わかっている」
「私は、自分のために戦いました。自分の力で、自分の価値を証明するために。だから、殿下の謝罪で何かが変わるわけではないのです」
殿下が、小さく笑った。寂しげな、けれど清々しい笑みだった。
「君は立派だ。僕が見誤っていた」
「最初から弱くはなかったつもりです」
「……そうだな」
殿下は一礼して、広場を去っていった。
その背中を見送りながら、何かが終わった気がした。
婚約破棄の夜から始まった物語の、一つの区切り。
記録珠に向き直った。
「皆様。最後に一つだけ」
視聴者数、350万。王国史上最多。
「私はこれからも、配信を続けます。第30層の先へ。第31層、第40層、第50層。まだ誰も見たことのない景色を、皆様にお届けします」
コメントが爆発した。
『まだ続くの!?』
『最高かよ……!』
『ずっとついてく!!』
『黒鉄の騎士より:その先で待っている。』 ―― 10金貨
金文字が画面を埋め尽くした。白文字も青文字も、全部が全部、温かかった。
「それでは、また次の配信で」
笑った。心の底から。
「悪役令嬢の冒険は、まだまだ続きます」
記録珠の光が消えた。
広場に歓声が上がった。噴水の水音がかき消されるほどの。
セリナが走ってきた。グレンが腕を組んで立っていた。フィオナが「データ!」と叫んでいた。ヒューゴがにこにこ笑っていた。
広場の遠くに、アルベルトの姿が見えた。眼鏡の奥の目が、かすかに笑っている気がした。
私は、深呼吸した。
秋の風が吹いている。空は高く、青い。
さて、と。
婚約破棄された悪役令嬢は、ダンジョン配信で聖女より稼いで、ざまぁした。
でも、物語はここでは終わらない。
次の冒険が待っている。
私は一歩、踏み出した。
振り返らなかった。




