9話〜ああ、しまった。忘れていた…〜
※冒頭、他者視点です。
『お役に立てて良かったです。他には何か、ありませんか?』
難解な不具合をいとも簡単に直してしまった彼は、驕りもせず、当然の様に私を気遣ってくれる。
それがとても頼もしくて、暖かくて、私は安心してしまう。既に問題は解決したのに、欲が出てしまった。
「えっと…その…あの…黒川さんの携帯番号を…」
その先を言葉にしようとして、迷う。本当に聞いても良いのかと。彼に警戒されないだろうかと。私だったら、友達でも聞かれたら怖くなってしまうもの。
学校で何度も言われてきたことだから。個人情報は漏らすなって。漏らしたら最悪、特区の外に連れて行かれてしまうっと、学生時代に散々脅されてきたもの。
だから、黒川さんも怖がってしまうかもしれない…。
そんな弱気が頭を掠めるも、直ぐに気持ちを奮い立たせる。
いいえ、大丈夫よ。黒川さんなら、優しいから教えてくださる筈。私が悪用なんかしないって、分かってくれるわ。
そうよ。自信を持ちなさい、美夜子。私のこれは、業務の為なの。彼に直で繋がった方が、時間効率が良いじゃない。それに、毎回転送しているあの男性に悪いわ。何時も苦しそうな声を上げているじゃない。
これはみんなの為。だから、自信を持ちなさい。
「黒川さんの携帯番号を、教えて頂けませんか?」
言って、向こう側から息を飲む音が聞こえた。そして…。
『それは…俺の社用スマホって事でしょうか?』
あの黒川さんが、動揺している?
不味いわ!やっぱり、切り出すにはまだ早かったのよ。
「ごめんなさい!急にこんなことを言ってしまって」
やっぱり迷惑だった。情報の扱いは、特区の外も中も変わらないんだわ。
私はもう、電話を切ろうと受話器を耳から外しかけた。でもそれを、彼の焦った声が止めた。
『いえ!大丈夫です。教えるのは全然かまいませんよ』
えっ?本当に?
「大丈夫、なんですか?」
『ええ。社用ですから、問題ありませんよ。私の名刺にも書かれていますし』
えっ?名刺って、名前以外を載せて良いものなの?
特区外との文化の違いに、一瞬戸惑う私。でもそのお陰で、彼の番号を頂く事が出来た。
嬉しい。
彼の番号を書いた手帳を、しっかりとポーチの中へと仕舞う。無くしたら大変だから。
『後はありませんか?鈴木さん。計測器以外も行けますよ、俺』
あっ、俺って言ってる。今までは私だったのに、なんだか素で話してくれているみたいで、ちょっと嬉しい。
「ありがとうございます、黒川さん。でも、今日はもう十分に助けて頂いたので。他社製品なのに、あっという間に解決して頂いて助かりました。流石は黒川さんですね」
『えっ…ああ、ははっ。偶々ですよ、偶々。偶然俺も、似たような機器を扱った事があるだけで…』
ああ、やっぱり黒川さんは謙虚な方だわ。同じような事を女性のエンジニアに言ったら、それはそれは鼻を高くして、自慢話を延々としてくれるもの。黒川さんみたいに謙遜するなんてこと、プライドの高い彼女達は絶対にしないわ。
エラーの1つも解決出来ないのに。
「きゃははは!そうそう、それでさぁ」
彼の誠実な姿勢に心打たれていると、後ろで甲高い笑い声が響いた。振り返ると、鮫島さん達が長いトイレ休憩から帰って来て、こちらへ戻って来る所だった。
不味い。早く切らないと。
「ありがとうございました、黒川さん。また宜しくお願いします。では」
私は一方的に挨拶をして、急いで受話器を置く。
でも、その動作が不味かったみたい。私のデスクを通り過ぎようとしていた鮫島さんの顔が、グルンッとこちらを振り返った。
「なぁに?鈴木さん。誰とお話してたの?」
「えっ、エンジニアの人よ。社長に頼まれてた案件を、聞いていたの」
嘘じゃないわ。彼も立派な…いえ、立派過ぎるエンジニアだから。
「えぇ〜。嘘くさ〜い」
でも、鮫島さんは視線を逸らしてくれない。私と電話を交互に見て、ニヤニヤ笑っている。
笑っているけど、それは口元だけ。目はギラギラしていて、私の事をつぶさに見ている。何か面白そうな事を隠しているんじゃないかって、私の心を探るかのように。
堪らず、硬い唾を呑み込む。その視線から隠れるように、アタッシュケースを持ち上げる。机の上に置いて、中身を見せる。
「本当よ?ほら、測定器のエラーが消えてるでしょ?」
「えっ。マジじゃん」
鮫島さんはアタッシュケースを引き寄せて、計器の画面を確かめる。そして、そのままケースを手に持った。
「やるじゃん、鈴木さん。それじゃあここからは、私がやってあげるよ。社長の所まで持って行ってあげる。重いし、体力ある私の方が適任でしょ?」
「…ええ。ありがとう」
自分の手柄にしたいって事ね?それで貴女が去ってくれるなら、安いものだわ。
私は彼女達の背中を見送った後、息を吐いた。
ふぅ、何とかバレずに乗り切れたわ。
この時の私は、そう思っていた。
〈◆〉
「ふぅ…危ない、危ない」
彼女に褒められてしまって、つい調子に乗りそうになった。もっと出来るって事を、彼女にアピールしたい衝動に駆られてしまった。
本当に危ない。そんな事をしたら、彼女に呆れられてしまう。男の自慢話と自分語り程に虚しい物は無いって、婚活で散々経験したからな。表面上は共感しているフリをしてくれても、それはただの愛想笑いだ。
「浮かれ過ぎず、謙虚に」
それが一番良い。やり過ぎはダメだが、失敗談とかの方が好まれるんだ、女性相手にはな。
…いや、それは男に対しても一緒か。
兎に角、浮かれてはダメだ。相手が客先という考えを忘れず、彼女の為になるように…。
「って…ああ、しまった。忘れていた…」
こうして気持ちが落ち着き始めて漸く、俺は重大なミスに気が付いた。
「機器を直すだけじゃダメだろ、この案件」
部品を入れ替えたから機器は直った。でもそもそも、なぜ測定器の故障が起きたかを考えなければいけなかった。でないと、またすぐに故障が再発してしまう。
「既に浮かれてんじゃねえか、俺」
技術屋だろ、俺は。カウンセラーじゃねぇんだ。しっかりしろ。
俺は自分に喝を入れ、置いたスマホを拾い上げる。掛かって来た番号を押そうとして、一瞬ためらった。
…良いよな?仕事の話だし。彼女の為にもなる。決して、彼女の声が聴きたいからじゃない。俺はまだ、染まっていない。
色々と言い訳しながら、番号をタップ。鳴るコールよりも、心臓の方がうるさく聞こえる。
そして、コールが止む。向こうに繋がった。
「あっ、もしもし。JIESの黒川と申し…」
『こちら。特区管理局、通信係』
しかし、繋がった先から聞こえたのは、冷たい男の声。その声が、俺の言葉を断ち切る。なけなしの覚悟を砕く。
俺は一瞬、呆然とした。
えっ?男?特区には、女性しか居ないんじゃ…?
いや、そもそも管理局とか言ってるし、全く違う所に掛かっているんじゃないか?
「あっ、あの、JIEの鈴木様はいらっしゃいますでしょうか?…」
『貴方の身分と、お相手様との関係性を述べよ』
み、身分だって?
「ええっと、私は、一般の会社員で…」
『では、繋げません』
ガチャン。
無機質に言い放った後、男は荒々しく電話を切った。
余りに一方的で、取りつく島もなかった状況に、俺は暫くスマホを耳から離せなかった。
でも、次第に怒りが込み上げてくる。
何なんだ?身分って。会社員の何がダメなんだ?管理局って、一体何なんだ?JIEの警備員か?幾ら向こうが親だからって、子会社をバカにしたらダメだろ。
「なにが管理局だ、くそっ」
「おや?珍しく荒れてますね、先輩」
おっと、しまった。つい声が出ちまった。
「悪い、まっちゃん。何でもないんだ。業務の邪魔をして済まない」
「いえいえ。それより、管理局って聞こえましたけど…どうしました?誰か逮捕されました?」
えっ?逮捕?
「いや、電話を掛けたら、管理局の通信係ってのが出て」
「うぇっ!それって先輩、特区に電話かけようとしたんですか?勇者ですねぇ」
「うん?どういうこと?」
俺は松本君に聞いた。それによると…。
特区は厳重な警備体制を敷いていて、地域全体を巨大な壁が隔てているだけでなく、物流も通信も厳しく制限されているらしい。許可が無い物資は問答無用で止められるし、サイトも危険なものはブロックされている。メールや手紙まで、検閲が入って弾かれるらしい。
そして電話も、管理局の許可が降りなければ繋げてもらうことは出来ない。
「と言うよりもですね、我々から特区への電話は、基本出来ないと思った方が良いです。少なくとも、僕達みたいな一般人が許可されたなんて話、噂でも聞いたことが無いので」
「事実上の鎖国みたいだな。特区からこちらへは出来るのか?」
「電話とかは普通に出来ますよ。じゃないと、慰問会が成立しませんから」
ああ、確かに。
「でも、ネットとかは厳しいみたいで、僕らが普通に見られるサイトでも、向こうは殆ど見れないんだとか。この会社のホームページとかもダメって聞きましたよ」
ああ、そうか。この会社のホームページには、問い合わせホームがある。あそこから直接メールを送れるから、メールも制限するなら当然、こいつも禁止にする。
かなり徹底している。まるで、元世界の独裁国家レベルだ。それだけ女性を、男性と切り離したいと言う事か。
分かる気がする。元世界でも、SNSで男女間にトラブルが起きることは良くあった。男女比が同じでも痛ましい事件が起きるのだ。規制しなければ、この世界ならもっと酷い事になる。
「ああ、そうか」
だから鈴木さんは、俺に聞いて来るんだ。ホームページで説明書のダウンロードやメール問い合わせが出来ないから、こうして電話で聞くしかない。
だから、簡単な事でも感動してくれる。頼れる人が無かったから、俺なんかの知識でも有難がってくれる。
女性の世界と男性の世界を、完全に隔離しているから起こる障害。
あれ?でも…。
「管理局の奴は男だったぞ?特区でも入れる奴はいるのか?」
「居ないと思いますよ。入れたとしても気絶しちゃうでしょうし。管理局員って言っても、男性は繁華街に本拠地があるんで、きっとそこでお仕事されているんだと思います」
「繁華街?」
そういや、黒塗りされた特区のすぐ近くに、そんな名前の地域があったな。
「はい。特区を守る壁の周辺をそう呼んでいます。日本で一番栄えている地区で、僕も偶に行くんですよ。良ければ先輩、今度一緒に行きませんか?」
「ああ、そうだな。頼むよ」
ちょっと気になって来たからね。この世界の歪さについて。
頼れる後輩だなぁと、松本君の申し出に感謝していると、彼は首を傾げる。
「でも先輩、なんで特区に電話なんかしたんです?」
「うん?まぁ…なぁ…」
俺は迷った。社長案件について、他人に教えて大丈夫なのかと。口外しても良いと言われていないし、内容が内容だから広めない方が良い気がする。
でも…彼に嘘を吐くのはなぁ。
「う~ん…」
「分かりますよ、先輩。僕も、前にやっちゃったことありますから」
「うん?どういうこと?」
俺が聞き返すと、松本君は力強く頷く。
「特区へのイタズラ電話で逮捕されても、僕が差し入れしますから」
…そんなことで、逮捕されるの?
やっぱりこの世界、おかしくね?
「作品キーワードの意味が、漸く理解できた」
はい。外から特区へは、電話もできないのです。
「真夜中に限った話ではないがな」




