第239話 蜂の巣をつついたように 8歳 夏
「あら。来客のようね。迎えに行きますわよ」
「こんな朝から?シグリズ様が自ら?」
なぜか朝からシグリズ様に呼び出されていた僕は、妙に衣装を整えたアルフヒルドさんとエリスさんと共に、長屋敷の入口へと立つ。
やがて港の方角から、大勢の着飾った身分の高そうな女性たちが笑いさざめきながら、一塊となってやって来るのが見えた。
高貴な女性たちが集団でやって来る?
この僻村に訪れるのには、あまりに場違いな人々に思える。
「シグリズ様、いったいあの方達は…?」
不思議に思って尋ねると。
「あの方々は、周辺の村々の女主人(主婦)たちです」
という答えが返ってきた。
北方社会において「女主人」とは特別の意味を持つ。
単なる家事をする妻ではなく、遠征や交易、民会で家を空けがちな男たちに代わり、農場や一族の経営と管理を統括する実質的な最高責任者であり、家と財産を護る責任が課せられている。
また一族の財産を管理している証として、腰や胸元に青銅や鉄の鍵を見えるように下げていることが多い。
実際に、女性たちが近づいてくると豪奢な上衣を留めたブローチから下げられた銀の鎖と、胸元には黄金に輝く青銅の鍵を目にすることができた。
つまり周辺の村からシグリズ様のような立場の人たちが何十人もやってきたわけだ。
これは地域の政治を揺るがす大事件ではないか。
僕は戸惑い、事件の首謀者を見上げたのだけれど。
「私が呼びかけました。男衆は便りなりませんから」
とだけ、シグリズ様は言った。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
シグリズ様は、白い壁の宿泊所の方へ女主人たちを誘った。
「まあまあ、村の評判のことはいろいろとお聞きしていましたの。一度は訪問しなければいけないと思っていたところですから、良い機会ですわ!」
「お聞きしていたよりも、ずっとお若い方ですのね」
「まあなんて立派な村なのでしょう!まるで白い絨毯のような花々が咲き乱れる草原に立つ白い家々!」
それにしても女主人達ときたら、一瞬たりとも口を閉じないし会話も途切れることがない。姦しいとはこのことかな、などと僕はシグリズ様の影に隠れるようにして女性たちの圧力を躱していたのだけれど「トールステイン」という単語が会話に出たように思ったので、つい顔を出してしまう。
「アルフヒルド!どうですか、トールステイン様との仲はどうなりましたか?もう婚約まで漕ぎ着けられそうですか?女の花の命は短いものですからね?」
「お母様!そんなことはおっしゃらないで。ちゃんと上手くやっていますから!」
おお、アルフヒルドさんのお母さんも女主人として来ているのか。アルフヒルドさんを少し横に大きくして髪を短くしたような感じだ。
普段は強気なアルフヒルドさんも、母親には弱いらしい。
しきりに婚期を気にする母に、たじたじとなっている。
「トールステイン様はどちらに?ご挨拶をしておかないと」
「お母様、おやめ下さい!お母様!」
同じような光景が、エリスさんと母親とも繰り広げられている。
どこの母親と娘の関係も同じようなものなのだなあ。
肝心のトールステイン様とのご関係なのだけれど、まあまあ仲は良いと思いますよ。
お仕事を任せたり、ほっぺを抓られるぐらいには馴染んでおります。
僕は久しぶりの再会に盛り上がる親子の会話に水を差さないよう、そっとシグリズ様の影に隠れるようにして宿泊所の中へと続いた。
宿泊所の中は外壁と同じく消石灰の塗料で白く塗装されていて、大きく開かれた板窓から夏の朝の柔らかな光と風が取り入れられ、冬でも暖かいよう造られた家であるというのに、明るく涼しかった。
冬には薪で暖められる石の床はひんやりと冷たく、その上には女達が座れるように柔らかな毛皮が一面に敷かれている。
また、宿泊所の壁際には彼女たちを歓迎するために、銀の大きな器に淹れられ湯気をあげる薬草茶、大きな皿に積み上げられたチーズや良い匂いのする焼き立ての大麦の贅沢パン、小さな壺にたっぷりと入った蜂蜜、それに各自が手に取れるよう数十枚の形の整った木皿と木杯、木の匙が置かれている。
「まあ、なんて大きな家なのかしら!」
「それに、とっても明るいわね!」
「石炉がないわ。冬は使わない家なのかしら?なんて贅沢なの!」
「あちらに、お茶とパンと、蜂蜜まで!ずいぶんと気の効いた歓迎なのですね」
女主人達は明るく大きな家の中の様子に驚き、口々に誉めそやした。
中央にぽつんと置かれている大きな黒板がいかにも不似合いだ。
女主人たちは、めいめい部屋のなかへ進むと、適当なところで腰を下ろしてお喋りを始めた。
互いの村の様子、新しく白く大きな家の驚き、壁際に置かれた焼き立てのパンから漂う香り…お喋りの材料は幾らでもある。
腰の軽い数人の女主人は、自ら皿や杯をとって壁際の茶を汲み、パンにたっぷりと蜂蜜をかけてから手にとって座った。
そうして女性たちの集団が落ち着いた頃を見計らって、シグリズ様は喋り始めた。
「皆さん、今日はよくお集まりくださいました。本日、お忙しい皆様方に声をかけさせていただきましたのは、この地域に抜き差しならない大きな波が近づいていることをお知らせしたかったからなのです」
「大きな波、ですって?」
「いったい何のことですの?」
座っている女主人たちの集団から、疑問の声が上がった。
シグリズ様は、それに直接答えることはせず、疑問を投げかけた。
「さて。皆様は、最近、夫や息子さんの様子がおかしいと思われることはありませんでしたか?」
「そういえば……! たしかにおかしいのよ!」
「そうそう! うちの人なんて、夜中にコソコソ納屋で木切れを削ってるの。何に使ってた斧の柄か知らないけど、仕事も削り物も中途半端で散らかしっぱなし!」
「うちの夫も、畑仕事もそぞろなの!昨日の朝なんて、麦の束を抱えたままボーッと空を見てて、声をかけたらビクッとして、風の向きを確かめてた、なんて言い訳をするのよ?」
「男たちだけで集まって、何やらヒソヒソ相談ばかりしてますのよ。先日なんて、どこからかお酒の樽を探してきて飲んでたでしょ二日酔いで足元をふらつかせながら、腰を痛めただなんて嘘ついて、水汲みひとつ手伝わなかったのよ!」
彼女たちが不審に思っていた事柄が、堰を切ったように溢れ出てくる。
「うちもそうよ! 燻製小屋の干し肉が、なぜかごっそり減ってるの!」
「あらやだ、うちも! 試合の練習だか何だか知らないけど、棒きれ振り回して、クナトルレイクばかり!自分の家のご飯を心配するべきでしょ!」
漏れ出た不満がいっせいに混ざり合い、話があちこちに飛び火する。
シグリズ様が一度手を打って、みんなの視線を集めた。
「実は、それこそが、この地域にやって来る大きな波の前触れに他なりません。
それは乗りこなせば、網にかかった鰊の群れのごとく地域に豊穣と銀をもたらしますが、備えに不備があれば、狼やネズミのごとく家の蓄えを食い尽くされるだけに終わります」
「なんてこと……」
「鰊はいいけど、ネズミは勘弁してちょうだい」
シグリズ様は女主人たちの注目をうまく集めつつ言葉を続けた。
「今、北方では数十の村々が参加した大クナトルレイクの予選大会が行われているのです。そして予選大会の勝者だけが集まる、決勝大会がこの村で行われることになっています」
「まあ! そんなことが!」
「噂だけには聞いていましたけれど…」
「ちょっと待って、あの棒で球をぶつけ合う、怪我人が出るたびに男たちが大騒ぎするあの乱暴な祭り?」
やはり女主人達は夫や息子から話を聞かされていなかったようで、今初めて聞いた、一体どうしてくれよう、と。ぐわんぐわんと、まるで突つかれた蜂の巣の中のように床に天井に女達の驚きと怒りの声が反響した。




