7.いる?
「詠美ちゃん、結局来なかったの?」
放課後になって、様子を見に来たちとせが驚いて言う。
そう、詠美は姿を現さなかった。
伝言がちゃんと届いていなかったのだろうか。例えば伝言を頼んだ子が、今日はたまたま欠席していたのかも知れない。あるいは――
「変なウワサが嫌になって、三川さん、登校してないのかも」
萌は、その可能性に思い至った。ありもしない噂で騒がれるのは、誰だって嫌なものである。ましてや醜聞ともなれば、学校も休みたくなろう。
「三組に行ってみようぜ」
直哉は言う。彼の提案に、否やを返す者はいなかった。
四人は少し小走りに三組の教室へ向かう。
伝言を頼んだ女子はいた。
「うん、ちゃんと伝えたよ。三川さ……」
女子は振り向いて教室を見まわし、言葉を切った。
「あれ、さっきまでいたのに?」
「もう帰った?」
直哉は聞いた。
「わかんない。でも、いないからもう帰ったんじゃないかな」
昨日と同じ答えだった。
本当に、そうなのか?
いや、目の前のこの女子が嘘をついているようには思えない。ただ、勘違いと言う可能性もある。
確かめる方法は、一つしかなかった。
萌はきびすを返し、三組の教室を後にした。
「萌?」
直哉の声が追いかけてくる。
「玄関!」
萌は振り返らずに答える。
急いで階段を下り、玄関までやって来る。
詠美がすでに下校したのか、あるいはまだ学校に残っているのか。それを確かめる手段とは、一年三組の下駄箱を確認することだった。下駄箱には扉が付いていないから、ちょっと覗くだけでよい。
まだ時間が早いせいか、中身はほとんど外履きだった。そして、二度三度と見返し、決して見落としがないと確信できたところで、他の三人もやって来る。
「そっか。下駄箱を見れば、詠美ちゃんがもう下校したかわかるね」
ちとせが感心して言った。
「賢いな、萌。で、どうだった。三川さんは、まだ学校にいるのか?」
直哉が聞いてくる。
萌は首を振る。
「ええっ、じゃあもう帰ったか」
「ちがう」
萌は再び首を振り、下駄箱を指差す。
「名前がないんだ。三川詠美なんて名前、どこにも書いてない」
下駄箱には、箱の一つ一つに生徒が割り当てられ、その名前を印刷したラベルテープが貼られている。しかし、なんど見返しても「三川詠美」と言うラベルは、どこにも貼られていなかった。
「どう言うこと?」
ちとせは誰ともなく問いかける。
「つまり、三川詠美は存在しない」
彩音がぼそりと答える。
「そんなわけないよ」
「そう言うの、なんて言うんだっけ。コウコウムメイ?」
と、直哉。
「荒唐無稽」
彩音ではなくちとせが訂正する。
「そうなんスか?」
「そうだよ。来週テストなのに、キミ大丈夫か?」
ちとせは言って、彩音に目を戻す。
「下駄箱に名前がないくらいで、その人が存在しないなんてないだろ。大体、」
「憶えてる?」
彩音はちとせの言葉をさえぎる。
「え?」
「三川詠美の顔、思い出せる?」
「そりゃあ、もちろん……」
ちとせは言葉を切って、ぽかんと口を開けた。
直哉も目をぱちくりさせる。
「なんだこれ。可愛いってニンショウはあるのに、ぜんぜん顔を思い出せねえ」
「印象」
彩音は訂正する。
直哉は「おまえは?」と言いたげに萌を見る。
萌は首を振る。そもそも先週まで、詠美のことは名前すら知らなかったのだ。三川詠美と言う女の子が存在していたとしても、顔など憶えているはずもない。
「最初から、三川詠美はウワサだけの存在なの。可愛くて優等生で、どうして市立に来たのかわからない女子と言うウワサ。だから、本当は誰も見たことがない。会ったつもりになってるけど、本当は会っていない」
伝言を頼んだ三組の女子が、「さっきまでいたのに」と言っていたのは、おそらく教室にいるのが当然だと思い込んでしまっていたのだろう。ところが実際に探してみると、詠美の姿は見つからない。だから、自分の記憶と現実のつじつまを合わせるために「帰った」などと答えてしまったのだ。
「でも、これってなんの解決にもなってないよね。僕たちは、三川さんがホントは存在しないって知ってるけど、他の人はそうじゃない。変なウワサは消えないよ?」
萌は指摘する。
「たぶん、大丈夫。口裂け女は、夏休みになると消えた。学校でウワサ話を交換する人がいなくなって、新しいウワサが作られなくなったから。きっと、三川詠美も同じ」
来週には期末テストがあり、それが終わればすぐに夏休みがやって来る。
「でも、」
彩音は言って、直哉に三白眼をぎょろりと向けた。
「もう、ウワサを聞いても他の人には伝えないで。もちろん、私たちにも」
「了解っス」
これで事件は、一通りの解決を見せた。しかし、
「それでも、やっぱり納得できないよ」
ちとせは、ひどく消沈して言った。萌が詠美と付き合っていると聞いて、真偽を確かめに突撃してくるくらいなのだから、よほど詠美に恋していたのだろう。
「カラオケでも行きますか」
直哉は提案した。
「あー……うん、そうだね。なんか、ワーッて騒いだらスッキリしそう」
「二人もどうだ?」
直哉は、萌と彩音もカラオケに誘う。
「僕はやめておく。期末の点数がよかったら、親が夏休み中のゲーム時間無制限って言ってるから、ちょっと頑張りたい」
「私は、萌に勉強を教える」
と、彩音。
「え、それじゃあおれ、センパイと二人きり?」
「私はそれでもいいよ」
ちとせはあっさりと言う。
「えーと、その」
おや、と萌は驚く。いつもグイグイ行くはずの直哉が、ちょっとためらった。それでも結局、
「あざっス、ご一緒させていただきます!」
「よし。中学生だけのカラオケは六時までだから、急ぐよ。カバンを取ったら、ここに集合!」
「了解っス!」
二人は萌と彩音を置いて、ダッシュで教室へ向かった。
萌はなんとなく、二人がこのまま付き合い始めるのではないかと予感めいたものを感じながら、彼らの背中を見送った。