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夏美の過去、そして勇気の決意

 文化祭が迫る。

 僕のクラスは焼きそばを売ることになっている。

 僕は屋台の準備の係の一人だ。

 バイトとの兼ね合いも考え、なるべく遅くまでは残らないようにしてもらった。

 

 そして、文化祭当日。

 販売・調理の担当ではないので、今日はやることがない。

 友達でもいれば、一緒に回るのだけど。

 由紀は来たいと言っていたが、勉強させることにした。


 さて、どうしようか。

 鮮やかに彩られた廊下を歩きつつ、考える。

 買い出しなど以外で、先生の許可なく学校を出ることは禁じられている。

 なので、学校の中で過ごさないといけない。


 そうだ、図書室へ行こう。

 僕はそう思い立ち、図書室へ向かう。

 その途中、夏美さんのクラスの横を通り過ぎる。

 夏美さんはいなかった。


 図書室の扉を開ける。

 ここは装飾などされておらず、文芸部のおすすめ本コーナーが設置されていた。

 そこに、夏美さんはいる。

 ただ一人いた。

 文化祭の喧騒に取り残されている。

 図書室の隅の席で、突っ伏していた。


 包帯は取れており、浅い傷だったことがわかる。


「夏美さん」


 声をかけた。

 夏美さんはゆっくりと、顔を上げる。


「何?」


 声をかけたものの、特に用事はない。

 考えていると。


「暇なの?」


 夏美さんにそう言われた。 


「はい、暇です」


 僕は答える。

 僕は単に、話し相手が欲しかっただけかもしれない。


「夏美さんはクラスで任されてる仕事はないんですか?」


「ない」

 

 完全に弾かれているのだろうか。


「ねえ」


「何ですか?」


「一緒に死なない?」


 思考が停止する。

 自殺への誘いを受けた。

 それを理解するまで、時間を要した。


「どうしてですか?」


「もう、どうでもいい。何もかも」


「どうでもいいって……」


 どうすれば、止められるのだろう。

 そのことを、必死に考える。

 

「夏美さん、辛いなら話してみてください。全部」


 その言葉が、引き金になった。

 夏美さんの表情が、崩れていく。


「どうして私は一人なの! 私は、私だって、ちゃんと生きたい。楽しみたいのに! 普通に、生きたいのに!」


 夏美さんは僕ではない誰かに、ぶつけるように叫ぶ。


「誰も、わかってくれない! 誰も、誰も、誰も、みんな私を知らない!」


 ただただ、叫んでいた。

 

「勇気君だって、私がかわいそうな子に見えるから、気にかけているんでしょ!?」 


「それは……」


 全く違うとは言えない。


「私のこと、知らないくせに!」


「知っています! 夏美さんが性的虐待の後遺症で苦しんでいること」 


 夏美さんの表情が引きつる。


「どこで、知ったの?」


 一転して静かな声だった。


「夏美さんがいつも、肌を隠すような服を着ていること。自尊心の異常な低さ。そして、夏祭りの夜のあのことです。全て僕の推察です」


 性的虐待を受けた子供に起こる性化行動。

 それは、突然性的なスイッチが入ってしまい、不適切な性的行動をすること。

 トラウマの再演とも言われる。

 

 なぜ、僕がこのようなことを知っているかというと、調べたからだ。

 成長して心に余裕ができて、虐待について調べるようになった。

 虐待について調べるうちに、性的虐待についても知るようになった。


「合ってるよ。全部正解だよ。それで?」


「え?」


「私が汚れてる人間だってわかったでしょ?」


「そんなこと、ないですよ」


「お父さんにいやらしいこと沢山されて、あそこを触られて、犯されて、それに、もっとひどいことも……」


 夏美さんは涙を流す。

 決壊と言ってもいいくらいに、泣いている。


 まさか、加害者が父親だとは思わなかった。

 あまりにも、ひどい。

 

「夏美さん、無理しないでください」


「お父さんが憎いの! 私から全部を、人生を奪ったお父さんが! それに、お母さんも! 私のこと何にも信じてくれなかった!」


 夏美さんは暴れるように、叫ぶ。


「もう、無理。生きていけないよ。どうして? 楽しいはずの人生なのに、どうして私はこんな。この先も……」


 火が消えたように、静かになった。


「夏美さん」


 僕は語り掛ける。


「話してくれてありがとうございます。本当に、辛かったですよね。夏美さんは何も悪くありませんよ。だから、どうか、生きてください」


「……ごめんね。今までありがとう」


 まるで、死んでしまうかのような言葉。

  

「夏美さん、絶対に死なないでください! 死んだら、悲しみます。僕や1班の班員や智恵理先生。それだけじゃありません。夏美さんの死を悲しむ人は沢山いるんです」


「じゃあ……どうすればいいの? この先、きっと辛くて悲しいことが沢山待ってるよ」

 

「僕が支えます」


「そんなの、できっこないよ。ずっと、一緒にいてくれるの?」 


「はい」


 僕は力強く言った。


「勢いだけで言ってるんでしょ?」


「僕は見たいものがあります。それは、あなたの笑顔です」


 夏美さんが笑ったところを、見たことがない。

 ずっと、思っていた。

 夏美さんの笑顔を見たい。

 きっと、虐待を受けた日からずっと笑顔を封印してきたのだろう。


 いつか、笑える日を迎えるまで、夏美さんの傍にいる。

 僕は覚悟を決めた。


 文化祭は終わった。

 後片付けとその後のバイトを終え、施設に着いた。


 職員室へ入る。

 智恵理先生を呼んだ。


「どうしたの? 勇気君」


「進路のことでお話があります」


「決めたんだね?」


「はい、高校を卒業したら就職します」


 進学したら、夏美さんを支えることは出来ない。

   

「どうして?」


「夏美さんの傍にいてあげたいんです」


「どうしたの? 急に」


 僕は文化祭での、会話を伝えた。


「つまり、なっちゃんのことが好きなんだね?」


「えっと、よくわかりません」


 僕はまだ、好きということがわからない


「好きじゃないのに、ずっと一緒にはいられないよ」


 そういうものだろうか。


「勇気君はもしかしたら、同じような境遇の人と一緒になることで、不幸な過去からの逃避をしようとしてるんじゃない?」


「逃避?」


 意味がわからない。

 いや、わかりたくない。


「同じような境遇の人なら、自分のことをわかってくれるっていう希望、期待かな」


「そんな風に、考えたことはありません」


「確かに、勇気君となっちゃんが一緒になればいいなあと思ってたけど、実際一緒になるといろんな問題が生じると思うよ」


「それは、どんな?」


「他人の愛し方がわからない。他人とのコミュニケーションの取り方がわからない、とかね」


 そうかもしれない。

 智恵理先生の言葉が刺さる。


「つまり、別れた方がいいんでしょうか?」


「そうとも言えないよ。人は失敗して勉強していく生き物だから。他人との関わりもそう。転び方がわからないと、地面に手をつけないんだよ」


 それは、暗に失敗すると言ってるようなものだと思った。


 そして、自室に戻る途中。

 就職して、夏美さんを支えるという方針に変わりはない。

 だけど、不安が大きくなる。


「お兄ちゃん」


 由紀に声を掛けられた。


「由紀、ちゃんと勉強してた?」


「うん、それより。職員室の前で盗み聞きしちゃった」


 由紀に聞かれたのか。

 いや、近いうちに話すつもりだった。


「お兄ちゃん、なっちゃんと一緒になるんだね」


「うん」


「私、お兄ちゃんに感謝してるの。虐待する両親から守ってくれて。私はもう充分守ってもらったよ。だから、今度はなっちゃんをよろしくね」


 由紀は笑顔を見せた。

 もう、ひ弱な妹はいない。

 そこには、成長した妹がいる。

 きっともう、自分で友達を作ることだってできる。


「うん、わかった」


「そうだ。今日から夏美さん禁止ね。なっちゃんと呼ぶこと。約束だよ」


「ええ!?」


「約束守らないと怒るからね」


 由紀は背を向けて去って行く。

 最後に、とんでもない約束をしてしまった。

 まあ、守ってみようかな。

 夏美さんは驚くだろうか。


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