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金木犀を知らない私達  作者: 砂山 海


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最終話

 私が眉根を寄せながら見詰めていると、心寧が空いてる左手で目元を拭った。指先が陽光を受け、キラリと輝く。その一瞬、私は不穏な空気の中でまた心寧に心を奪われる。

「高校の時から私、和葉が好きだったの。そして、和葉の気持ちにも気付いてた。でも、何も言えなかった。九割九分そうであっても、違う可能性がほんの少しでもあると怖くてそれ以上踏み出せなかった。だから……ずっと待ってた。気のある素振りで誘って、察して欲しいと願い、でも自分からは行けなくて」

「心寧……」

 心寧が私の事を好きだった。それだけでも衝撃だったのに、私の気持ちにも気付いていただなんて。

 待ちの姿勢だった心寧に怒りを感じるどころか、私は嬉しくてどうしようもなくて、でも笑える雰囲気じゃないから奥歯を噛みしめる。あの頃、私一人で悶々として傷付いていた。それが、報われた。

 気持ちの悪い一方的な片思いじゃなかったんだ。

「進学と就職、別々の道を歩むことになって距離が離れても想いは変わらなかった。和葉は別の道を歩んで、それが納得のいかない道だったとしても頑張っていた。出来る限りの事をして、前を向いていた。それが眩しすぎて、同時に親元で甘えて学生生活を送ってる私自身が段々辛くなって、一緒にいるのが辛くなっていった」

 そんな風に思っていただなんて……。私はただ、受験すらできずちゃんとした就職活動もできなかったから、ただただ悲惨な人生だとばかり思っていた。薄暗いいばらの道を歩いていたつもり。

 でも見方を変えればそんな風に見えていたんだ。

「そして結局、逃げたの。遠く離れたらきっと、私を忘れるかもしれない。そうなったら私も楽になれるのかなって。それもあって道内の企業にはしたくなかった。おかしいよね、逃げるために勉強してたんだよ。近付く努力なんかしないで、ずうっと和葉を試し続けて待ってただけ」

 重い溜息が心寧から吐き出される。心の澱が漏れ出てしまったかのようなそれに刺激されてか、心寧がまた鼻をすすった。私はただ、その心に自身の想いを重ねる。憎しみなんかあるはずなかった。恨みなんかあるはずなかった。

 唯一あるのはそれに気付けなかった私の間抜けさ。ただそれだけ。

「でも駄目だった。寂しさがどんどん強くなって、そうしたら何もかもが嫌になっちゃって……結局、来たがらなかった和葉を強引に呼んだ形になっちゃった。あれだけ大変だってわかっているのに、来るように仕向けた。ずるいんだよ、私。卑怯なんだよ、私は」

 わっと泣き出す心寧の肩を私は空いてる右手でパシンと叩いた。先程自分がされたのと、なるべく同じ力で。いやいやしてうつむくその顔を起こすように。そうして左手の小指にまだ絡んでいる心寧の手をそのままに、私は彼女の肩に手を置いた。

 目を赤くし、かろうじて行っていた化粧が剥げている。きっと誰にも見せた事が無い、ありのままの心寧。私といた時には常に綺麗にしていた。でも今は見る影もない。それでも、心寧は綺麗だった。

 たまらなく、綺麗だった。

「二人そろって、馬鹿みたい。おんなじ想い寄せてたくせに、こんなに遠回りしてさ」

 苦笑し吐き捨てるようにそう言うと心寧は数瞬呆気に取られていたみたいだったけど、すぐに鼻で笑い口元を歪めた。

「ほんとだね」

 やがて小さく笑い合うと二人そろって天を仰ぐ。空は高く、気持ち良い風が吹いている。秋風は心寧の涙を乾かし、私の不安をもどこかへ連れ去る。そうして残った甘く懐かしい匂いが私達を優しく抱きしめていた。

「ほんと、長い片思いだったよ」

「お互い、高校の時からだもんね」

 眩しさに目を細めるよう、私は井の頭公園の池へと目を遣る。そうしてすぐ、高く伸びて彩り豊かな紅葉へと視線を移した。そうしないと、涙がこぼれそうだったから。心寧はどうなのか、わからない。

 ただ、泣いてて欲しいな。ほんのちょっとだけ、そう思ってしまった。

「ねぇ心寧、金木犀ってさ……良い香りだよね」

 少ししてから私はそう投げかけた。会話に詰まったからじゃない、想いに詰まったからだ。私達のキッカケであり、最後の一押しとなった金木犀。まるで半生ずっと側にいたかのようなその理由が今ならわかる。

「そうだね。こっちの人達が何でそんなに好きなのかわかる気がするよね」

 ふと近くで揺れている金木犀に目を細めると、私達は笑みを向けた。風が甘い匂いを運ぶ。東京の人達ならばきっと嗅ぎ慣れていて、新鮮さの何をも生み出さないだろう匂い。単なる季節の時報のような匂い。

 でも私には、私達には違う。二人を繋ぐ、大切な匂い。その匂いだけが私達を繋ぐ。

「また一緒に、この風を楽しみたいな」

 うっとりと漏れ出た言葉はきっと本心。意図せず伸ばした手。今にして思えば、心寧はずっと私に手を伸ばしていた。だから私はもう、その手を離さない。

「私もだよ。それじゃあ、こっちで仕事探してみようかな」

 照れ臭そうに、茶化すように。それでも心寧は感じ取ってくれたのか、満面の笑みを浮かべてくれた。私はもう胸がいっぱいになり、自然と口角が上がる。

「もしそうしてくれたら、私たくさん色んなとこに連れてくよ。一人じゃ行きにくかったとこ、ずっと一緒に行きたいなと思ってたとこ、何でもいいよ。一人でも楽しかったけど、和葉とならもっと楽しくなれるから!」

「心寧となら、どこでもいいよ。でもそれじゃ、困らせちゃうか。そうだなぁ……」

 私の提案に心寧はにこりと笑い、許諾してくれた。きっともう、行った場所なのかも知れない。それでもきっと、二人で行けばそれまでと違った刺激があるだろう。二人で行けば、楽しみ方も変わる。

 あぁ、今からもうその日が楽しみだ。明日も生きなくちゃ。

 ふわっと秋風が通り過ぎる。私達の周りをまとわりつくように渦巻いた後、さっと通り抜けていく。私達は顔を見合わせると、ゆっくり手を繋いだ。

 風は止まない。そよ風すら甘い香りを乗せ、未来へと。

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