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金木犀を知らない私達  作者: 砂山 海


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第一章~その1~

「辻本心寧です。新陽中学から来ました。色んな事を体験するのが好きです、よろしくお願いします」

 高校最初のホームルームでの自己紹介。周りのみんなと同じように私は緊張しながら聞いていたのだが、彼女の番になるとおやっと目を向けた。

 それは声が好みだったのか、話し方が好みだったのか、それともそれ以外の何かだったのかわからない。ただ、他の人とは違う温度感で言葉が私の中にすうっと入り込んできたのがわかった。

 だから思わず私は少し背を伸ばす。

 よく見れば、可愛い顔してる。地毛なのか、やや栗毛色の髪の毛が小柄な彼女によく似合っていた。目も大きく、唇の色つやも良い。それだけなら他にも可愛い子がいるけど、どうしてか私は彼女から目が離せない。

 それが心寧との最初の思い出だった。



「和葉、今日の体育って何するんだっけ?」

 ざわついた教室の中でジャージの上を着ていると、心寧がそう声をかけてきた。晴れやかな笑顔はいつだって私の心を温かくさせ、つい頬が緩む。けれどこれから何をするか知っている私はそれ以上口角が上がらなかった。

「バレーでしょ。私、球技苦手だから気が重いんだよね。心寧は運動できるからいいよね」

「まぁ、さすがに和葉よりはね。だってサーブ当たらないの、ビックリしたもん」

 ケラケラ笑う心寧に私は唇をとがらせる。

 入学して二ヶ月、私達は別々の中学校だったにもかかわらず友達になれた。友人の友人という関係から始まったものの、今ではクラスの誰よりも仲が良い。正直このクラスになった時に親しい同じ中学校の人がいなかっただけに、一時はどうなるのかと本気で心配していたものだ。

 けれど幸いにもそうはならず、何人かの友達は出来た。その中でも心寧とは仲良くなれている。あの最初の出会いで何かしら惹かれるものがあったから、こうしてもう下の名前で話し合える仲になれたのは素直に嬉しい。

「和葉、心寧に教えてもらえばいいじゃない」

 そうひょっこり顔を出してニヤニヤしているのは私達の共通の友人である柿本詩織。眼鏡の奥でくりっとした大きな目が可愛らしいが、今は私をいじっているからちょっと憎たらしい。

「だって心寧、感覚派なんだもん。この前も教えてもらったけど、いい感じのとこでバーンとやればいいとしか言わないし」

「だって実際そうなんだし」

 こういうのが運動できる人なのだろう。私は軽い嫉妬を覚えつつ、どうせ運動できなくても進級はできるともう既に諦めの境地に入りつつ、苦笑いしながらみんなと体育館へ向かった。


「はいじゃあ、隣の人とペア組んで準備体操してね」

 体育の先生の号令で、私は隣にいる心寧に笑いかけるとストレッチのためにお互いの手を握る。吉野和葉という出席番号で最後の私は辻本心寧という折り返しの彼女とこうして体育でペアになる。

 あまり仲良くなかったり、知らない人よりは仲の良い人と一緒にできるだけでテンションが上がってしまう。苦手な体育も、この時だけは楽しい。

 まずは互いの身体を軽く引っ張り合う。三時間目までに凝り固まった背中が伸びるので気持ち良いけど、それよりも私はいつも心寧の手が心地良い。ほんのり暖かく、若干湿っている潤いのある手。友達の手なのに、ちょっとだけいつも何故かドキドキしてしまう。

 他の子と手を繋いだとしても、そうは感じない。今の所、心寧だけだ。まぁ、実際人懐っこく可愛らしいから、そう思うのも自然なのかもしれない。誰だって憧れをどこか抱く人とこうすれば、私と同じように感じるだろう。

「はいじゃあ次は横に引っ張り合ってね」

 体勢を変え、脇の辺りを伸ばす。手はそのまま離さず、握ったまま。ストレッチのせいか心寧の手が熱い。手汗かいたら恥ずかしいなと思いつつ、私はその手を離せずにいた。

 だってここで離したら先生にちゃんとやりなさいと怒られそうだから。なんて心の片隅の正当性を言い訳にして。でもそれだけじゃ、私の心を不思議とざわめかせる小さな痛みの説明にはならなかった。

「それじゃあ次は背をくっつけて、相手を持ち上げるようにね。無理させないように」

 最初に持ち上げるのは私だった。背中合わせで腕を組むと、ジャージ越しに心寧の柔らかさと体温が伝わってくるかのよう。血流が良くなってきているのか、少し温かい。運動得意だからきっと代謝が良いのだろう。

「うああぁ、伸びるー」

 背中越しにうめく心寧が何だか可愛らしい。背負ってしまえば案外軽いというか、程よい重さ。というか人を背負うなんてなかなか無い機会だから、このストレッチは結構好き。

「はいじゃあ交代」

 先生の掛け声で、今度は私が持ち上げられる。ぐうっと持ち上げられて足が浮くと、奇妙な浮遊感が楽しく感じられ、同時に重かったらどうしようと恥ずかしくなってしまう。私は平均的な身長体重だけど、心寧より高いしがっちりしてる気がするから。

「大丈夫、重くない?」

「え、全然。こうしてるの楽しいよね」

 私の心配をよそに、明るい声でそう返されると伸ばされる感覚に身を任せる。それにしても、背中が熱い。このまま汗かいてバレたらどうしよう。結構汗かきだから、嫌な思いさせるのはちょっと困る。

「はーい、じゃあここまで」

 けれど私の心配は杞憂に終わった。汗をかく前にストレッチが終わり、足が地面につくと心寧と顔を見合わせて笑う。いつも交わしている何気ない笑顔。ただどうしてか、今日は妙に輝いて見えた。

 光の加減かもしれない、単なる気のせいかもしれない。ただ私はどうしてか、その笑顔が特別に見えたんだ。きっとこの先何年も、彼女を思い出す度に浮かぶ、そんな笑顔を。

 体育館では掛け声とボールの弾かれる音が響く。隣のクラスと合同でやっているのだが、クラスを半分に分けて試合形式で二試合ずつやる事になった。私は心寧と同じチームになれたので、詩織が参加してる試合を観戦している。

「詩織、サーブだけは上手いよね」

 私が感心したように溜息をつくと、隣に座ってる心寧も大きくうなずく。

「他は全然なのにね。サーブはピンポイントでギリギリに落としてるよ」

 壁側を背にみんな思い思いの雑談をしながら観戦している。私達は先程一試合したため、若干息が荒い。おかげでジャージの上は暑くて着られないから、上はシャツ姿になっている。

「あー、もうちょっと粘ってくれないと、またすぐ試合やらなきゃならないじゃん」

 詩織のチームは頑張っているものの、相手チームにバレー部が二人いるためどんどんと点差が開いていく。こうなると公式試合ではなく授業のため、すぐに次の試合が組まれてしまう。私は唇をとがらせながら同意を求めるように心寧に目を向けた時だった。

「そうだね、もうちょっとこうしていたいよね」

 いたずらっぽく微笑む心寧に私は思わずどきりとしてしまう。普通の事を言っているのに、どうしてそんな蠱惑的な感じがするのだろう。私は思わず右手をゆっくりと握り、曖昧な笑みでもってうなずく。

「だって疲れたまままたやって負けたら悔しいもんね。次は勝とうよ」

 二マリと笑う心寧を見て、私の心に芽生え名付けかけていた気持ちが失せる。握りしめた右手をそのまま前に出し「もちろん」と力強く言い返せば、心寧は私の背を軽く叩いてきた。

 その感触は深く、皮膚を超え心の奥底にまで同じ反響の幅で響き渡った。


「それじゃあまた、明日」

 部活に入っていない私と心寧はいつも放課後に少し教室で話してから学校を出る。詩織は陸上部に入っているため、帰る時間は合わない。他の子とも一緒に帰る時もあるけど、最後までいるのは心寧だった。

「うん、また明日」

 そうして私は最寄り駅で降りて、心寧と別れる。心寧はここからまだ二駅先にある住宅街に家があるらしい。あるらしいというのはまだ遊びに行った事が無いから、具体的な場所を知らないのだ。

 改札を通り抜けると、沢山の人が周りにいるのに世界から色が薄まった。まるで灰色の人波をすり抜け、見慣れた駅舎の中を歩く。鳴り響くアナウンス、雑踏が耳に馴染み過ぎて風景の一部のよう。

 駅を出ると自分の高校の制服だけじゃなく、他の高校の制服もチラホラ見える。同じ中学だった子ももしかしたらいるかもしれないけど、余程仲良くなければもう他人。どうしたって今いる場所の関係が最優先されてしまう。

 まぁ今更どうしても会いたい人がいるわけじゃないから、とりたてて寂しくない。それよりも心寧と毎日さよならの挨拶をする方がよっぽど寂しかった。できるならもっとたくさん話したいし、話を聞きたい。放課後だってもっと夕暮れになるまで一緒にいたいのに。

 ただ、まだ出会って二ヶ月。さすがにそれは叶えられない。

 何より心寧は結構家が厳しいらしく、家に帰ってから二時間毎日勉強しないとならないらしい。その他にも塾に通ってるみたいだから、なかなか遅くまで一緒にいようとは言えない。

 私も私で、お父さんもお母さんもあまり丈夫じゃないから仕事も長時間できないみたいで、家計を助けるためにこの前からバイトを始めたばかり。週に三日程度、三時間くらいのスーパーでの品出しの仕事。バイト先の人達は優しく、今のところは働きやすい。ただ、学校から帰って五時から八時くらいまでやるから、バイトがある日は疲れてもう他の事をしたくない。

 むっと暑い六月の風が通り抜ける。今年も暑くなるんだろうなとうんざりしつつ、私は駅から北側にある住宅街の方へ入り、見慣れた公園を通り過ぎる。小学生数人が遊んでいるのを微笑ましくも、どこか遠い過去のように眺めながら家路を歩く。

「ただいま」

 住宅街の片隅にある築四十年のアパートが私の家。鍵を開けて中に入りながらそう言うけど、誰もいない。お父さんはともかく、お母さんも週に四日はパートに出かけているから、こういう日の方がむしろ普通。私はリビングのソファにカバンを投げ捨てると、冷蔵庫に行きポットに入った麦茶を取り出す。冷えた麦茶を飲むとふうっと大きく息を吐き、今日も一日頑張ったと自分で自分を褒める。

 手を洗ってから再度カバンを持って自分の部屋に行くと、制服から部屋着に着替える。よれたシャツと毛玉だらけの灰色のスウェット。私はそのまま敷きっぱなしの布団に寝転がり、入学祝いに買ってもらったスマホを手にSNSやニュースをチェックしていく。

 一時間ほどしたところで何だか虚しくなり、手を離す。幾ら今日はバイトが無いからと言っても、こうして時間を潰すのは惜しい。けれど何をすればいいのかもよくわからない。

 ……心寧は今頃、勉強してるんだろうなぁ。

 不意に浮かんだのは心寧の事だった。どうしてかはわからない、ただ本当に急に浮かんできただけだった。でも心寧の事を思い出すと、その先の方へも考えが伸びていく。

 たくさん勉強してるって事はきっと、大学とか行くんだろうな。

 札幌近郊で有名大学といえば、やはり北大。うちの高校からは毎年二十人程度進学していると、確か先生が何かの時に言ってたはず。きっと三年後、そのうちの一人に心寧の名前があるんだろうな。

 あと三年、無いのか……。一緒に入れる期間って短いんだなぁ。

 天井を見上げれば、くすんだクリーム色の壁紙が見える。端の方は破れており、たまに気になるけどいつも見て見ぬふり。その先にぼんやり見える心寧の顔。直接そんな話をした事は無いけど、大学に行くとするならお金だってかなりかかるだろう。

 でも塾に今から通ってる心寧の家はそんな心配ないのかもしれない。

 羨ましいなと思いかけたけど、毎日そんなに勉強させられるのは辛いと思い直す。そんなにすごい貧乏じゃないと思いつつも、たまにこういうのを実感すると改めて現実を直視してしまう。

 実際、この年でバイトしてる子はクラスでも私だけだし、なんなら家にお金を入れてるなんて話は聞いた事も無い。それを憎んだことはないけど、誇った事も無い。ただそういうものだろう、それぞれの事情があるものだから仕方ないと片付けていた。

 ただ……このまま心寧と三年の付き合いで終わらせるのはやだな。

 それだけは仕方ないで片付けたくはなかった。

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