7_初めての飲酒
冬が近づく十一月の終わりごろ。
カーテンの隙間から差し込む朝日で目が覚めた。
部屋の天井を見て、周囲の光景を見渡す。 家具の配置が慣れ親しんだ単身者用の部屋と異なっており、以前の部屋を既に引き払ったことを自覚する。
ここ一週間ほどずっと繰り返している朝の思考だ。
いや、引っ越した記憶がないわけじゃない。
俺がミコトの提案に素直に乗って、自分で荷造りをして、自分でミコトの家に運び込んだこともハッキリ覚えている。
解約の手続きも、住所変更届も自分で行った。 だから、まともな判断力はあった……はずだ。
ただそれでも引越しを決めたあの時期のことは、自分でもテンションがどうかしていたとしか言えない。
荷解きをしていたちょうどこの部屋で、このベッドで、ミコトを抱えて腹の上に乗せる……あまつさえ、そのまま両手を握るなんて、緊張してしまって今の俺では出来そうにない。
思い返すだけで手や体にミコトの体温がまるで今そこにいるかのように感じてしまう。
そこで思わず、両頬をパチンと叩いた。
ジンジンと痛む頬が思考を明瞭にしていく。
ひとまず顔を洗うために洗面所へと向かうと、その途中のリビングに居たミコトに思わず目を奪われた。
「あ、おはようカクシ君。 もうすぐ朝ご飯できるよ」
薄手のセーターにエプロン、長めに伸びた髪を料理の邪魔にならないように後ろで縛り、こちらに笑顔を向ける。
女装と言うわけではない。 シルエットをごまかそうともしていないただのラフな格好だが、向けられる笑顔の愛らしさも相まってドキリとする。
「あぁ……ありがとう。 ちょっと顔を洗ってくる」
「うん、ご飯はテーブルに並べておくね」
その言葉を背に、冷たい水を顔にかけて火照った顔を冷やした。
ここ一週間はずっとこうだ。
正直に言って心臓が持たない。
学生の時は、ミコトとはかなりの時間を一緒に過ごしていた。
だがその時は、自分が人を好きになってはいけないという自罰的な気持ちや、愛されるわけがないという思い込みもあって、今ほど緊張はしなかった。
だが今は違う。
ミコトとの関係は恋人になり、プロポーズまでされている。
それを自覚したことで、緊張や照れや気恥ずかしさが纏めて襲ってくるようになってしまった。
俺は何故一緒に住むことを了承したんだろう。
もう少し色々なことに慣れてからにするべきだと思っていたはずなんだが……。
俺は当時の自分の判断を恨めばいいのか、それともその判断のおかげで好きな人と共に暮らせることを感謝すれば良いのかを悩みながら、リビングへと向かった。
***
今日の朝食は焼き鮭と卵焼き、味噌汁にほうれん草のお浸しという和のメニューだった。
学生の頃を思い出させる落ち着く味をゆっくりと楽しんだあと、食器をシンクへと運び、水につけておく。
朝食を作ってくれたのだから洗い物くらいは、と思ったのだがミコトの家は大抵の部分が自動化されているので、本当に手間がかからない。
食洗器が大型で朝から夜にかけて使った食器が一度に全て入るので、食器洗いは一日に一度、夜に食洗器にセットしてスイッチを押すだけで済んでしまう。
諸々の家事にとられる時間を極力減らし、その他活動に使う時間にしているのだろう。
俺はミコトの元に戻ると、食後のひとときを楽しんだ。
今晩の配信の予定や、次にスケジュールの都合が出来た時にどこに行くかなどを話す。
その中で俺はミコトに、平野先生と虹色先生から飲酒配信に誘われている、ということを切り出した。
配信でボイスチャットを繋げながらの飲酒とはいえ、誰かと一緒に飲むというのはミコトにもきちんと伝えておかなければいけない。
一緒に飲酒した時点で浮気、と思われたら困る。
好きな相手にそういうことを疑われたくないし、不安にもさせたくない。
幸い、互いに知っている人達が相手だからかミコトは気にしてない様子だった。
「へぇ……、それじゃモデルを作った保護者飲み会だね」
「俺は保護者じゃなくて……恋人だけどな」
照れながらそう言えば、ミコトはこちらをニコニコと見つめていた。
「ちょっとずつ、慣れてきたんじゃない? そういう発言」
確かに、以前よりは口に出しやすくなったような気がする。
……というよりも、手をつないで歩いてみたり、頬にキスをしたりするようになったのだから、このくらいのことは軽く言えるようになっておきたい。
「それで実は……俺はお酒を飲んだことが無いんだよ」
「え……? あ、確かにキミがお酒を飲んでるの見たことないかも。 でも確か、友達とかに何度か誘われて飲み会に行って無かったっけ?」
俺はミコト以外に、卒業してからも遊んだりするような深い縁は無いとはいえ、在学中は飲み会に誘われれば一緒に行く友人たちもいた。
「あの時も飲んでない。 酔いつぶれたら介抱するって言って俺だけ飲んでなかったんだ」
「大学生は変な飲み方しがちだからねぇ」
「ほんとにな。 何人抱えて寮の部屋まで運んだか思い出せないくらいだ。 ……まぁ対価に奢ってもらえてたから良いんだけど」
「あ、それでキミ結構飲みに誘われてたんだね」
懐かしい日々を思い返す。
大学の時は苦学生だからという意味で奢られてたわけじゃない。 本当にただ「迷惑をかけるから食事代くらいは」という意味合いだったから、俺も気兼ねなく楽しむことができた。
……五人で行って俺以外が完全につぶれてしまった時は、運ぶのが大変でちょっと後悔したが。
「……ただ、ホントのことを言うと酒に苦手意識があるんだ。 親の影響でな」
「あぁ……バーをやってたんだっけ?」
親の話題を出すと、ミコトの目が鋭く細められ、声のトーンが少し下がった。
どうも俺の親への好感度がはかなり低いようだ。 ……まぁ、当然か。
「単独の事故で焼け死んだって以前言ったと思うが……あれ、多分飲酒運転なんだよ。 相続して初めてバーに入った時、明らかに客が飲んだと思えない空の酒瓶や缶が放置されてたからな」
俺はバーに客として入ったことが無いからあくまでイメージでしかないが、流石に瓶や缶の酒をそのままカウンターに直接置いて、客に飲ませることは無いだろう。
だからきっと、あれらは親が飲んでそのまま車で家に帰ったと考えるのが妥当だ。
……本当に、誰かを巻き込む事故じゃなくて良かったと思う。
「……流石にそろそろ、キミの親の墓に蹴りでも入れたくなってくるんだけど、どこにあるの?」
「犯罪だし、お前にそういうことはして欲しくないよ」
「………………はぁ、仕方ないか。 もう死んでるんだもんね」
ミコトはしばらく考えた後、ため息をついてその物騒な考えを思い直してくれた。
とは言っても、どちらにせよミコトの考えは実行できない。 何故なら……。
「元々二人の墓は無いんだよ。 そんなに大事な店だったならってことで、俺がバーの敷地に骨を砕いて埋めたからな」
俺はミコトに何があったかを話していく。
別に恨んでいたわけじゃない。
火葬することも拒否して警察に任せることも出来たが、一応は親ということで俺は引き取って火葬だけ行った。
火葬は意外とお金がかかるもので、この時点で貯めていたバイト代は完全に尽きてしまった。
流石に借金してまで墓を作ってやるような義理は無かったし、そんなに大事な店だというのなら、そこで眠るのが二人にとって幸せだろう。
そのまま埋めれば死体遺棄になるから、頑丈な袋に入れて粉々に砕き、バーの敷地にあった土に埋めた。 ただそれだけ。
「――そのあと、流石に新しく買う人に悪いかと思って埋めた場所を掘り起こせば、骨はもう土に帰ってた」
俺は話し終えると、手元のマグカップに注いでいた白湯を飲む。
これを黙ってた理由は、他の思い出のように傷になっていたからじゃない。 ただ話す程のことでもなかったからだ。
「今そのバーは?」
「周りの区画ごと整理されて、ショッピングモールになってたはずだ。 だからもう痕跡も残ってないよ」
「……ふぅん。 なら、いっか」
「残ってたら何するつもりだったんだよ。 ……だから俺の親についてはこれでおしまい。 それで、今でもそんな親の影響で苦手意識を持ってるのも嫌だなって思って、酒に挑戦するつもりなんだ」
ここまでは、長い長い前置き。
本題はここからだ。 俺は意を決して、ミコトを誘う。
「……それで、その。 初めて飲むならミコトとが良いなって思ったんだが……空いてる夜にでも少し、付き合ってくれないか?」
***
ミコトにだって配信の予定があるため、流石に当日すぐに、と言うわけにはいかない。 だがその翌日に配信を短めで切り上げて、俺に付き合ってくれることになった。
普段食事をするテーブルではなく、くつろげるようにとソファーがあるローテーブルの方を使用することになった。
ローテーブルにはおつまみと、缶のお酒が全部違う種類で六本用意されている。
アルコール度数の低いチューハイから、一般的なビールなど、二人で分けて飲み比べる形だ。
「ボクも普段全然お酒飲まないし、お試しだからこれくらいで充分でしょ」
ミコトはテーブルを挟んで話しやすい対角線上の席に着くと、ビールを互いのグラスに注ぎ、手に持った。
「それじゃ、カクシ君のお酒デビューに、乾杯!」
「乾杯」
互いにグラスを合わせてから、一息に飲む。 ……感想としては。
「……苦い炭酸……? そしてなんか喉がカッとなる感じだ」
思わず眉間にしわが寄った。
「あはは、初めてのビールだとそうかもね。 ……ってそうか、もしかしてキミ、お正月の御神酒とかも飲んだことが無い?」
「無いなぁ……、季節ごとの行事を家でした記憶が全くない。 成人式も参加してないし」
そう考えると、アルコールを体内に入れるのはこれが初めてになるのだろうか。
「……じゃあ、来年のお正月は一緒にお神酒も飲もうね」
「いいな、それ。 どうせなら御節も作って動画にしてみようか」
「キミのチャンネル、結構和の雰囲気だもんね。 良いんじゃない? お正月一本目の動画とかにさ」
そんな取り留めのない話をしながら、おつまみと一緒にお酒を飲んでいく。 おつまみは以前駄菓子屋で見た覚えのあるものやスルメ、ラーメンのスナックやナッツ類だ。
気に入ったおつまみも見つけようと、色々な種類を取り揃えている。
次第にビールが空になり、二本目はアルコール度数がかなり低目で、女性にも人気のあるチューハイが選ばれた。
「ん、これは飲みやすいかも。 炭酸のジュースみたいだな」
「そうだね、アルコールもかなり低いから初めてならこっちで良いんじゃない? ……キミ、結構お酒弱そうだし。 ちょっとだけど顔が赤くなってるよ」
「そうなのか……初めて知ったな。 飲酒配信の時は気を付けないと」
「ほら、合間に水を飲んで。 アルコールの分解にはお水が必要だからね」
疲労で頭が働かないときとはまた違う、少し不思議な感じだ。
ビール半分とチューハイしか飲んでいないのだが、おそらく既に多少酔っているのだろう。
予め用意されていたもう一つのグラスに、ペットボトルから水が注がれてそれを飲む。 口の中が洗い流されて少し頭もすっきりした気がする。
もちろん、体内のアルコールが分解されたというわけではないが。
「ミコトは結構お酒に強そうだな、全然顔が変わってない」
「ボクは誰かと飲んでても酔ったことないんだよね。 そこまでお酒が好きってわけじゃないから、限界超えて飲むことも無いし」
思えば、俺もミコトがお酒を飲んでいるところは今日が初めてかもしれない。
「……今日は付き合ってくれてありがとう」
「ふふ、どういたしまして。 ボクが初めてお酒を飲んだのは、父と兄だったんだけど、初めてのお酒の相手に選ばれるのって結構嬉しいね」
ミコトはそう言って笑うと、グラスを持って俺の隣に座り直した。
「ちょっと目がとろんとしてるよ? ……ホントに、キミがお酒に苦手意識があってよかったよ。 学生の時なら、キミを狙ってた女の子達に持ち帰られてたかも」
「……あぁ、告白してくれた子達か」
「キミは気付いてないだけで、それ以外にも結構いたんだよ? キミを狙ってる子。 優しいし、勉強教えてくれるし、見た目も良いし……まぁ、見た目はボクが全面的にプロデュースしたけどね」
新しく開けたお酒を少しずつ飲みながら、思考を回す。
思えば、髪型から服装まで大体ミコトが相談に乗ってくれた。
「以前、リスナーにバレンタインにミコトから服を貰った話をしたら、リスナーがマーキングだって、言ってたっけ……」
「……あはは、まぁ……うん。 そうだよ。 キミに恋人が出来て欲しくなくて、してた。 ……ごめんね、だから学生の時にキミに彼女がいなかったのはボクの所為」
ミコトは神妙に謝ってくる。
「別に、いい。 ミコトが好きだって自覚は無かったけど……誰かと恋人になる気は全くなかったから。 ミコトのおかげで人除けになってたなら、助かったと思ってる」
それが独占欲から来る良くない行いだったとしても、人の好意を受取れなかった俺はどちらにしろ全部断っていただろう。
だから、ミコトの行いを俺は別に迷惑だとは思わない。
「……そうだ、お前が印を付けるのが好きだっていうなら、それもいいよ。 平野先生の首輪とかは嫌だけど、ミコトにならいい」
「……キミは酔うと随分素直になるんだね。 普段どれだけ抑えているんだか」
少しうとうとし始めてきて、本格的に酔ってきたことを自覚する。
ここからは飲むのをお酒ではなく、水に切り替えた。
ビール半分と、チューハイ一杯半でこの頭の回らなさだと、俺のアルコール上限はかなり低いらしい。
「……ホントにキミ、無防備すぎ。 ボクに襲われちゃうよ?」
「ははは、ミコトはそういうことしないだろ」
「……はぁ、人の気も知らないで。 ……これでも、結構我慢してるんだよ?」
ミコトはため息をつきながら、俺の肩に頭を預けてくる。
もうほとんど頭が回っていないが、それでも最後に少し、言わないといけないことがある。
「知ってるよ。 ミコトは昔から、スキンシップをする方だったから。 ……それでも俺に合わせてくれてるんだろ?」
「……気付いてたんだ」
流石に気付く。 引越し前後の俺は何故あんなことをしたのかさっぱりではあったけど、記憶はキチンと今も残ってる。
ミコトの様子も、それでも我慢することに決めたのもちゃんと覚えてる。
「ありがとう。 ……多分ミコトは、俺がホントに嫌がることはしない。 そういうことも、ちゃんと俺の意識があるときにすると思うから……安心……」
うとうとする眠気でこれ以上話せなくなり、俺はそのままソファの背もたれに体を預けた。
「はぁ……。 ボクはキミの判断力が鈍い時に引越しさせたりする卑怯者なのになぁ。 ……こうも信頼されちゃ何もできないよ」
そんな声が遠くで聞こえると、俺の体は座った姿勢から、横向きに眠るように変えられる。 頭の下には少し柔らかく温かいものが敷かれ、何故だかそれがひどく俺を安心させて、完全な眠りに落ちて行った。




