19_炎上
八月七日。
誕生日凸待ち配信から一夜が明けた朝。
昨日の仕事の影響で睡眠時間が遅くなったため、まだ多少眠くはあるが問題になるほどではない。
朝起きて身支度を整え、スマホでミコトの配信を流しながら朝食を取って職場へ向かう。 普段ならそのような朝を迎えるはずだったが、ここしばらくはミコトがTAC企画中で、朝の配信が無く少し妙な感じだ。
ミコトの配信を見ながら朝の準備をするのが、既に日常に組み込まれてしまっていることに気付いて少し笑った。 ミコトのリスナーたちも同じような思いをしているのかもしれない。
今日は金曜日だから仕事を終えたら、明日の青空読書会の準部でもしようか。
そんなことを考えながら朝の支度を済ませ、家を出る十分前。
ミコトから一本の電話が鳴り響いた。
「おはよう、どうかしたか?」
「……ごめん、昨日の配信でミスした……。 出来るなら今日から新しく届くコメントはしばらく見ないでほしい。 もし見るにしても、何も気にせずに削除してほしい」
ミコトの言葉は深刻そうで、俺は会社に向かう電車を一本遅らせるつもりで椅子に座った。
「……本当にどうした? 何があった?」
「ごめん。 ホントにごめん。 キミに迷惑をかけるつもりじゃなかったんだけど……」
ミコトは何と説明すればいいか迷っている様子だった。 だが、意を決したように話し始める。
「ボクがキミの彼女で、彼氏を伸ばすために男と偽って配信してたってことになってるみたい。 ……リスナーから貢がせたお金を、ボクがキミに貢いでたんだって」
俺はそれを聞いた瞬間、完全に意味が解らなくなって静止した。
ミコトが彼女?
――そういえば、俺のリスナーにも恋人のような距離感と言ってる人はいたか。
彼氏を伸ばすため?
――確かに俺と度々してたコラボはその側面が大きいと思う。
お金を貢いでたとは?
――ああ、3DモデルとVR機器か。
落ち着いて考えれば一つ一つは、わからなくはないのだが……。
「ミコト、動画で腹とか手とか出してなかったっけ。 綺麗だけど、ちゃんと男とわかる手をしてたと思うんだが」
「そうだよ、だからわけがわかんないんだ……。 動画で君にハグしたり、3Dお披露目でお姫様抱っこだってしてもらってるのに、なんでか今回炎上したんだよ……!」
ミコトの声は落ち込んでいる。 周りに避けられてた時は何も気にしていない様子だったし、大学で"わたし"と振舞っていた時も表面上は気丈に振舞っていた。 ここまで弱っているのは初めてかもしれない。
「俺に出来ることはあるか? ……いや、俺から言えば更に燃えるか」
何とかミコトの力になりたくてそう尋ねる。
「ボクの方の炎上は平気だよ、コメントを消せるモデレーターの人も沢山居るしね。 ……コメントのユーザー名を見てた感じだと普段から来てくれるアクティブユーザーは殆どいないみたい。 大半は切り抜きだけとか、記念日だけ配信に来る層かな。 多分、今回の件もチャンネル登録を多少解除される程度で済みそう」
ミコトは、自分の炎上自体は特に気にしていない様子だ。 じゃあ何を気にしてるんだろうか。
「ボクが気にしてるのは、キミのチャンネルの方。 ……ごめん、多分そっちに変な人がいっぱい行くと思う」
「……そうか、わかった」
「コメントを消すより、もしかしたらしばらく配信を休んだ方が良いかもしれない。 一週間もすれば飽きると思うから、そこから消すのでも構わない。 ボクにIDとパスを教えてくれたら、こっちの方で削除したって良い」
ミコトはそう俺に提案する。 自分が原因で起きてしまった炎上だ、責任を感じているんだろう。
だけど……。
「ミコト、誕生日配信の後から寝てないだろ? 今はゆっくり寝て休んでくれ。 こっちはこっちで何とかするから」
ミコトの声に疲れが滲んでいるのは、おそらく慣れない昼夜逆転生活と、炎上の対処と俺への連絡のために朝まで起きていたことが原因だろう。 ゆっくり休めば、多少は心の方も回復するハズだ。
「……ホントごめん。 今度ボクが君の配信に行ったとき、ボクにモデレーター権限をつけておいて。 次からはちゃんと協力するから」
「ああ、ありがとう。 ミコトの方はこの状況でも配信するんだろ? 最終回まであと数日だ。 無理するなよ?」
「……うん、朝からごめんね。 行ってらっしゃい」
「ああ、行ってくる。 お休み」
俺は電話を切ると、カバンを掴み会社に向かうために駅へと走った。
***
ミコトは配信を休んだ方が良いと言ったが、それはしたくなかった。
俺は小学校から社会人まで、一度として休んだことがない。
だから、休むことに対して言いようのない罪悪感が有る。
常に気を張り続けていたから、一度でも休めば俺は動けなくなるんじゃないかという恐怖。 ……そして、例えたった一週間でも、休めばリスナーは俺を忘れてしまうんじゃないか。 そんな不安が常に有った。
だから炎上を抑えて配信するためにも、金曜日も土曜日も、そこからはコメントを消す作業に追われることとなった。
Youtubeのアプリを開けば、画面右上の通知に表示された見慣れない「9+」のアイコン。
九件以上のコメントが付いていることを示すこの表示は、以前一度だけ動画が大きく伸びた時に見たことがあった。
通知を開けばいくつものコメントが表示され、『初見です。 チャンネル登録します。 懐かしい気持ちになりました』などの嬉しいものが多かった。
自分の動画が認められた気がして、そんな新規のコメントに一つ一つ返信をするのが楽しかった。
だが、今回はそれとは真逆。
アイコンをクリックすれば、何十件と新しい罵詈雑言コメントが付いている。
動画管理ページでこれまでの動画を確認すれば、常に九割以上の高評価比だった動画たちが、今は七割を下回っていた。
普段の動画の高評価は数十件から多くて百件程度。 母数が少ないために腹立ちまぎれに押された低評価が、数字に大きな影響を与えているようだ。
……なるほど、これが炎上か。
頑張って作り、数件のコメントで嬉しい気持ちになっていた動画たちを、何も知らない者達が口汚い言葉で穢していく。
大事な場所を土足で踏みにじられたような気分だ。
俺はそんなコメントを削除していった。
仕事の移動中であれば、電車の隅で壁を背にしてスマホから。
自宅にいる時間で有れば、PCから削除した。
ミコトは放置しろとも言うが、ここは子供が良く見る場所だ。 見るたびに気が落ち込むような罵詈雑言を残すわけにはいかない。
気にせずに削除してとも言っていた。 ……だがそうは言われても、文字は目に入る。 読書に慣れ親しんだ目と脳が、自然と文字を頭に入れてしまう。
『彼女を利用して伸びてる底辺』
あぁ、彼女以外の部分はそうだよ。 登録者だってこの三ヶ月で六倍だ。
『再生数全然伸びてないのにこの数は登録者数を買ってる』
一体どこで売ってるんだよ。
『他人の力で稼いでるだけ』
そうだよ、3Dお披露目なんて一日で八年分の収益を越えた。 今までスーパーチャットなんて、ほとんど貰ったことも無かったよ。
『見た話を下手な絵と声で動画にしてるだけでセンスがない』
そんなことは八年続けた俺が一番わかってるよ。
ズキズキと痛む心を抑えながら、俺はコメントを削除し続けた。
仕事の休憩時間や、生活の合間。 画面を見るたびに新しく増えてくるコメントを、無視することも出来ずに一つ一つ消していった。
……その甲斐もあってか、土曜日の午後には全てのコメントを削除し終えており、新しいコメントも殆ど来ることは無くなっていた。
普段なら動画を作る時間を、リスナーを楽しませることではなく、不快にさせないための対処に追われた疲労感。
ミコトのことも俺のことも、他の動画を確認すればわかるだろうにも関わらず、女性や恋仲だと勘違いして攻撃を加えてくる者たちへの不快感。
そして、以前であればYoutubeを開いた時にある通知を楽しみにしていたのに、今ではコメントが来ていない通知欄に一安心するようになってしまったこと。
それらすべてが、言葉に出来ないもやもやとした感情となって腹に溜まる。
ミコトは以前炎上したとき、どう対処していたのだろうか。
心を落ち着けるために、白湯を飲んでから大きく深呼吸をする。
ひとまず、今回の炎上を探るためにSNS上でミコトの名前を検索した。
そのほとんどは擁護するものや、騒いでいる人に対する呆れによるものが多かったが、騒いでいるツイートを読んでいくうちにようやく流れを理解した。
どうやら、炎上の原因は切り抜き動画によるものだったらしい。
ミコトの誕生日凸待ち配信の切り抜きで、TAC企画で恋人役をしている一条君と、友人である俺に対するミコトの対応を比較した動画。
切り抜きを投稿した人は、稀にミコトの切り抜きも挙げている人だったため、特に悪意などは無かったのだろう。
ただ、最近は一条とミコトのTAC企画でのやり取りを追う切り抜き動画を数件のチャンネルが投降しており、注目度が高かった。
そのTAC企画切り抜きの影響で、一条とミコトのカップリングを推す人が、俺への対応を見て勝手に裏切られたと思って燃やしていたらしい。
ついでに、女だと思ってたら男だったという層もミコトを燃やすのに加担している。
……本当に、馬鹿馬鹿しい。
推すと言うならせめてミコトのSNSアカウントやチャンネル概要欄。 別にネットの大百科でもいいから一目見ればいいだろうに。 どれも読んですぐの場所に女装Vtuberと書いている。
人気順で動画をソートした際、上位に来るシェイプアップ動画には、薄く締まった腹筋だってサムネイルで表示されている。
俺は今回炎上を起こした人たちが、元々のリスナーから反転したアンチというわけでは無いことに対する安堵と、理由のくだらなさについてため息を吐いた。
幸い、ミコトの方の炎上は問題が無いようだ。 金曜日も無事に配信していたようだし、そもそもTAC企画をし始めてからマナーの悪い視聴者が多く流入し、コメントを完全に見ないようにしているらしい。
俺の方に来ている荒らしコメントも一旦は沈静化しており、数時間前からコメントの通知は来ていない。
コンテンツの流行り廃りの激しさか、はたまた一日経って冷静になったのか。
一応は、炎上前と変わらない状態に戻った。
これでようやく普段通りの定期配信、青空読書会の配信ができそうだ。
俺はPCの前に座ると、配信開始のボタンを押した。
***
「こんばんは、本や物語を紹介するVtuber、紙カクシです」
>コメント:こんばんはー
>コメント:待ってた!
>コメント:今日は何の本読む?
配信を開始すれば、いつもと変わらないリスナーたちが出迎えてくれた。
炎上に気付いていない……というわけでは無いだろう。
もちろん目に触れてほしくなくて削除をしていたわけだが、対処が追い付かない程の量だった。
とくに、アーカイブ再生数の多い3Dお披露目や古典紹介は荒らしコメントも多かった。 何人かは炎上していることにも気づいたはずだ。
だが、つまらない話だし、あえて触れて蒸し返す必要も無い。
俺は炎上を無かったことのようにして、本の話題をすることにした。
「今は色々と考えているところなのですが、古典紹介のテーマで何か聞きたい物とかあったりしますか? 本格的に解説するのは隔週の古典紹介の方で行いますが、そこから繋がりそうな話があれば、青空文庫の方で朗読しようと思います」
>コメント:よく異世界物で使われてる種族の元ネタが知りたいかも
>コメント:玉手箱とか打ち出の小槌みたいな、不思議な道具まとめかな
>コメント:カクシさんのおすすめのお話セレクションとか聞きたい
リスナーからは続々とお話が集まってきて、手元のメモにそれらを纏めていく。
「皆さん色々な意見ありがとうございます、これらは順番に紹介していきますね。 ……しかし、そうですね。 異世界物の種族、ですか。 どんなものが使われてるかわかりますか?」
恥ずかしながら、異世界物について俺はそこまで詳しくない。 書籍化されたものを数本読んだことはあるのだが、その程度だ。
>コメント:エルフ、ドワーフ、獣人、竜人、魔族とかかな
>コメント:異世界物の元ネタはファンタジーのRPGだから、カクシにはなじみがないのかも
>コメント:貢がせてるやつがなんで配信してるんだ
>コメント:職業冒険者はともかく、勇者とか聖女が職業ってまんまゲームだもんな
……どうやらまた荒らされ始めたらしい。
無言で『チャンネルに表示しない』を選択してブロックする。
「なるほど、確かに私はRPGをしたことがないのでそこはわかりませんが……。 そうですね、エルフ、ドワーフはトールキンの作品や北欧神話と繋げられそうです。 元ネタとは言いませんが、竜や獣に変わるお話もあるので参考にはなるかも。 魔族は、キリスト教圏にとっての悪魔が元でしょうか」
>コメント:北欧神話ってヴァルキリーとかベルセルクの奴だね
>コメント:彼女が配信してるのにいい御身分だな
>コメント:伝説の武器とかアイテムでよく使われるやーつ
>コメント:有名だけど全然読んだことないわ
>コメント:同接釣り合ってないけど恥ずかしくないの
>コメント:あとラミアとかアラクネも気になるところ
不愉快なコメントを削除しながら会話する。 モデレーターの権限は信頼できる相手に渡さなければ、付与してしまったリスナーが暴走したときが怖い。
現状渡せる可能性があるのは、ミコトか平野先生ぐらいに限られていた。
「北欧神話ですと、エッダと呼ばれる歌謡集があります。 中々売っているところはないのですが、面白いのでお勧めですよ。 ……ラミアやアラクネですか。 そちらはギリシャ神話ですね。 アポロドーロスやオウィディウスの変身物語から読むことができます」
>コメント:旅行先のでっけぇ本屋でエッダ見つけた時はテンション上がって買っちゃった
>コメント:これ他の配信者のパクリだよね?
>コメント:小さい本屋だと、まとめたムック本みたいなのしかないんだよね、北欧神話
>コメント:つまんね
>コメント:ギリシャ神話は星座の本だけ読んだことある
「あ、ギリシャと言えば、太宰治の走れメロス。 あれの元ネタがギリシャ神話ということはご存じですか?」
>コメント:え!? そうなの!?
>コメント:低評価しました^^
>コメント:太宰が友人を支払いの人質に置いていったエピソードが元って聞いたけど
>コメント:XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
>コメント:一条の方が面白いんだからそっち行こうぜ
>コメント:さっきからコメントうっとうしいな……
「えぇ、実はヒュギーヌスのギリシャ神話に、暴君ディオニュシオス、それを殺そうとするモエロス、身代わりに置いていった友人セリヌンティオスが登場します。 メロスが約束を守って暴君と友人になる展開まで同じなんですよ」
同時接続者数が五百人で、以前より百人近く多い。
流石にそのすべてが荒らしだとは思わないが、あまり良い増え方ではないだろう。
話しながら無心で削除しているとはいえ、流石にこの量だとリスナーも無視しきれなくなったのか、多少反応してしまう人が出てきた。
「……すいません、今ちょっと荒らされている状態ですが、皆様は反応されませんように。 こちらの方で削除対応を致しますので、楽しいものだけ見ていてください。 朗読はそうですね……太宰治の、走れメロスにしましょうか」
本当はもう少し考えていたかったが、朗読の場合は画面の文字を読むだけで良い。
読み上げながら、思考のリソースはコメントの削除に回すことができる。
>コメント:お前のせいで楽しめてないんだよこっちは
>コメント:なに被害者面してんだ
>コメント:ぱちぱち
>コメント:小学生以来だから久しぶりだ
>コメント:教科書だと短かった気がする
「それでは、一緒に読んでいきましょうか。 『メロスは激怒した――』」
***
そこからは、無心で物語を読みながら、コメントをチャンネル内に表示できないようにしていく。
声が悪い、朗読が下手。
つまらない、小学校の授業見たい。
無意味な記号の連投。
一条君のチャンネルへの誘導など。
リスナーのコメントを消さずに、荒らしだけを削除するにはどうしてもコメントを頭で認識する必要がある。
リスナーは、俺の言った通りに荒らしに反応せず、だけどそれだけがコメント欄で埋まらないように意味のある内容を送ってくれている。
そのためにリスナーと荒らしを区別する手間は増えたものの、その配慮は嬉しかった。
物語は、老爺が暴君ディオニスを語るところに差し掛かった。
王は乱心からではなく、人を信ずることができなくて周りを処断していったことを語る。
思わず、読むのが途中でつっかえてしまった。
今こうしてコメントを自分一人で削除している俺は、ディオニスと同じだ。
リスナーを信用できていないのだ。 権限を与えたリスナーがもし、意にそぐわぬリスナーをブロックし始めたらどうしようか、とあらぬ心配をしてしまっている。
>コメント:大丈夫?
>コメント:配信今日は休んだら?
「ごめんなさい、大丈夫です。 続き、読みますね……」
だけど、どうすればいいのだろう。
助けを求めればいいとわかっていても、俺にはそれが出来ない。
助けを求めるというのは最後の希望だ。
だけどそれで拒まれれば、誰かが助けてくれるかもという希望すら無くなってしまうから、結局俺は助けを自分で求められない。
……本当に、情けない。
消しても消しても無数に増えるコメントを前に、朗読をすることも出来ず、マウスを動かす手も止まってしまう。
どう行動すればいいかわからないまま、流れていくコメントをただ眺める。
何の意味も無い現実逃避。
深呼吸して、再度向き合おうとしたその時。
背後からガチャリと鍵の開く音と……。
「おじゃましまーす!!」
夜に似つかわしくない、明るく可愛い親友の声が俺の元まで響き渡った。




