閑話その1 松姫への使者
日向は急いでいた。松姫の元へ。
松姫は勝頼らとは別行動で逃げていた。武田信玄の娘。これを手中に収められれば甲斐や信濃で多大なる影響力を持てるのは当然の事。そして織田信忠の正室候補でもある手中に収められなくても織田家に引き渡せば報奨は間違いないだろう。
とにかく安全な場所。松姫は人目を避けるように東へ東へと逃げていた。
「松姫様、日向にございます」
松姫一行に日向が追いついたのは折しも天目山の戦いの当日であった。
「我ら忍びの者が安全を確保できる場所がございますのでお連れ致します」
翌日夕方、武蔵国八王子にある人里から少し離れた庵に腰を下ろした。
「松姫様、ここは安全な場所にございます。暫く逗留ください」
「ありがとう。ところで兄は?いえ、武田家はどうなりましたか」
「・・・先程、仲間の忍びが連絡を寄越し天目山で滝川の手勢と対峙し、最期を迎えられたとの事です」
松姫は言葉を失った。
「ただ、私は勝頼様から松姫様へ言付けを受け取っております。『我が亡くなった後に信忠公の元に赴き庇護して貰え。願わくば遺臣を1人でも多く命救って貰えるように取り計らうように』との事でした」
「これは勝頼様を見ていて思ったのが、松姫様が信忠殿を本気で好いている事は分かっていたと思います。ただそれを武士の都合で裂いてしまったこと。またその想いを利用して遺臣の保護を申し出てる自分自身にも不甲斐なさを感じていたように思います」
「そんな不甲斐無いなど・・・」
「ええ、松姫様がそう思われて無い事は分かります。ただ、兄としての想いより武田家当主としての考えを常に優先しなければならない自分自身に腹を立てていたのかもしれません」
松姫は庵から外を見つめた。甲斐に住む者なら何度も見上げた有富士があった。
「勝頼様は松姫様にただ幸せになって欲しいだけ。もうその思いしかなかったと思います」
「そうですか。では信忠殿に文を送りましょう。出来れば武田の血を引いた者が天下を取れることを願って信忠殿の元に参りましょう」
「私は武田の血を引く唯一の者として武田の血を未来に繋ぐ使命がありますね」
「いえ、松姫様。恐らくもう1人いらっしゃいます」
「えっ!?」
「信勝様です。新府城を離れる日の朝、勝頼様が皆に信勝様が北条に和睦の申し出の為に旅立ったと言われてました。ただ、北条に行ったというのは嘘でしょう。もし真実ならこの八王子周辺を通過し、忍びの者が気づくでしょう。そうでないということは何処かの地に活路を見つけようとされてるのでしょう」
松姫は甥に思いを馳せた。
「信勝の事は信忠様には内緒ですね」
「ええ、恐らくは生きる為の戦いの最中でしょうから」
「いつか会えればいいですね」




