聖女の帰還
「ここ。何処ですか」
舌を抜かれた筈の少女には舌があった。
醜く潰された頬には赤みが、優しい肌色がある。
「夢の中だよ。ゆっくりお休み」夫の声が響く。
暗闇の中で夫の腕はマナちゃんを抱き、ゆっくりと進む。
体の中に器具を突き込まれ悲鳴を上げる老婆を彼は救いだし、
石を投げられ、弄ばれて死んでいく子供の束縛を解き。
嫉妬で告発された乙女の弁護に立ち、あるいは告発者の詭弁を暴く。
何よこれ。
「何って」いや、何しているのかは私も解るわよ。でもね。
「人助け」夫は珍しく真面目な声を出す。今度はおばさんの耳に溶かした鉛を注いで脳と耳を焼こうとした拷問吏を吹き飛ばした。
焼けた鉛の臭いは優しい花の香りに。
血の味は暖かいスープの味に。撃ちつける鉄棘の鞭は優しい抱擁に。
罵る言葉は祝福の声に変わっていく。
なにより、彼の瞳の先。彼の瞳の先に微笑む人々。
女の子やおばちゃんや老婆の姿が私越しに彼に微笑む。
「ありがとう」「ありがとう」「お兄ちゃんありがとう」
私越しに彼女たちを見る夫の瞳が揺れる。
「ごめん。遅くなって。今更来て申し訳ない」
彼に駆け寄り、花束を渡す幼い少女。「きにしない。ゆうしゃさま」
手をふる彼女たちを尻目に、私とマナちゃんと夫は暗闇の中を歩く。
彼は歩く。
「この荒れた大地を花咲く都に。私と共に歩むものはいませんか。
私はこの通り無力で何もできない娘にすぎません。それでも私と共に夢を追う人は手を上げてください」
荒れ果てた大地の中、人々の中央で少女が呟く。
ゆっくりと手が上がる。その娘は少し丸顔で優しい。
「先代の夢はまだ果たされていません。それでも彼女は大きな夢を私たちに託してくれました」これって。
「悪を許すなッ 我が『花咲く都』は邪悪に聖戦を挑みますッ」
「皆様のおかげで今年も暖かな冬を迎えることが出来そうです。寄り添い温め合い、春を待つ日を喜びましょう」「勇気あれッ 勇気こそが人の輝きッ 」「掌に花と微笑みを。我らの夢は大地に広がる」これって。
黒い肌の手があがる。白い腕が上がる。肌色の腕が上がる。
「我は今日より聖女として皆と歩む」「私についてきてください」「無力な乙女の私を信じる皆様の為に微力を尽くします」
歴代の『聖女』の記憶?!
手を上げていく乙女たち。
その中央で微笑む女性の前に私たちは立つ。
夫が軽くマナちゃんの背を押した。
「マナ」
マナちゃんは夫の腕から飛び降りるとゆっくりと初代『聖女』の前に歩む。
「この荒れた大地を花咲く都に。私と共に歩むものはいませんか。
私はこの通り無力で何もできない娘にすぎません。それでも私と共に夢を追う人は手を上げてください」
「私が。私で良いのですか? 私が皆さんの意志を継いで、本当に良いのでしょうか」
震える声。マナちゃんが女性たちに問う。
女性たちはゆっくりと手を上げ、未来に誓っていく。
マナちゃんの震える腕がすこしずつ、すこしずつ上がっていく。
くらり。重圧に屈して膝を折る彼女を夫が支える。
「私には。無理です。絶対無理。だってだって」
暗闇が晴れていく。
空から降り注ぐ花弁。太陽の輝き。人々の歌う声。
祝いの酒樽が開き、香辛料のついた肉が焼け、楽器が鳴らされ祝福の声が上がる。
「お前ひとりじゃないさ」夫が力強く彼女の背を支える。
「私は。私は」
細い腕がゆっくりと上がっていく。
歴代の『聖女』達が微笑む中、マナちゃんはその小さな腕を上げた。
彼女たちの拍手が。人々の喜びの声が聞こえる。
「やらせてください。貴女の。あなたたちの夢を継がせてください」
「これで。良いんだよね」
マナちゃんは抱き合う女性たちに告げる。
「ごめんなさい。私」「いいの」
親友に抱きしめられながらも申し訳なさそうにマナちゃんに謝る少女にマナちゃんは笑う。
「あなたの苦しみは私が受け継ぐから。貴女は喜びをもって友達と旅立ってください」




