↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
32/33

第32話 脅威としての名

 捕らえた男は、結局ほとんど喋らなかった。


 工房区の詰所へ連れて行かれ、ガルムとミハイルが交互に問い詰めても、返ってくるのは「知らない」「言われた通りにやった」ばかりだった。だが、それでも無意味ではない。喋らないこと自体が、男の背後に何かある証拠だった。


 しかも、男の持っていた細工道具と袖の内側の印は、工房区の誰にも見覚えがなかった。現場の雑役にしては手慣れすぎている。かといって、ただの雇われ仕事なら、ここまで口を閉ざす理由も薄い。


「口を割らないのは、割れないからだろうね」


 セルドが詰所の外で言った。


「喋ったら自分だけじゃ済まないと思ってる」


 エルナが壁にもたれ、腕を組む。


「脅されてるか、縛られてるか。どっちにしろ、下っ端だ」


「でも、下っ端でも十分だ」


 レインは短く答えた。


「向こうが、こっちを止めるために動いてるってわかった」


 その一言の重みは、倉区のときとは違っていた。倉区では、壊された流れを見抜いた。工房区では、壊している手を掴んだ。しかもその手は、ただ現場を乱すためではなく、**レインが直す前に止めるため**に動いていた。


 それは、周囲の見方を変えるには十分だった。


 詰所の外には、工房区の職人たちが何人も集まっていた。昨日まで露骨にレインを嫌っていた者たちもいる。だが今、その視線は違っていた。好意ではない。もっと切実なものだ。

 ――この男がいなければ、見えなかった。

 そう認めざるを得ない視線だった。


 ガルムが詰所から出てきた。顔は険しいままだが、昨日までの拒絶はもうない。


「喋らん。だが、十分だ」


「十分?」


 エルナが聞き返す。


「工房区の中で、誰かが意図して流れを壊してる。それを現場の前で暴いた。職人どもも見た。もう『たまたま不調が重なった』じゃ済まん」


 ガルムはそこでレインを見た。


「お前の言った通りだった」


 それは感謝ではない。職人頭なりの、重い認定だった。


 レインはうなずくだけに留めた。ここで言葉を重ねても意味はない。大事なのは、工房区の現場がようやく同じ前提に立ったことだ。


 だが、その変化は現場だけに留まらなかった。


 昼過ぎ、倉区からミハイルの使いが戻ってきた。倉区の古参管理者が、工房区の詰所へわざわざ顔を出したのだ。以前なら考えにくいことだった。


「本当に工房区でも同じ手が入っていたのか」


 古参管理者は、捕らえた男と細工道具を見て、苦い顔をした。


「倉区だけの恥じゃなかったってわけだ」


「恥で済めばいいがな」


 ガルムが吐き捨てる。


 古参管理者は鼻を鳴らしたが、レインを見る目には、もう露骨な侮りはなかった。


「西門の修復師、だったか」


 その呼び名が、工房区の中でも自然に通じたことに、レインは少しだけ違和感を覚えた。倉区で広がった名が、もうここまで届いている。


「倉区を戻し、工房区の妨害まで暴いた。噂になるのも当然か」


 セルドが小さく言う。


「噂で済めばいいけどね」


 その言葉の意味は、すぐに現れた。


 夕方、詰所の裏口で見張りをしていた見習いが、妙な紙片を拾った。丸めて捨てられていた小さな紙だ。何気なく開いた見習いが青ざめて、セルドのところへ持ってきた。


 紙には短く、乱暴な字でこう書かれていた。


 **――修復師を通すな。火を戻させるな。**


 それだけだ。署名もない。だが十分すぎた。


 エルナが紙を見て、目を細める。


「ずいぶん親切に教えてくれるじゃないか」


「親切じゃない」


 セルドは紙の端を指でなぞった。


「これは命令の写しだ。たぶん、誰かが受け取ったものを捨てた」


「わざと落とした可能性は?」


「ある。でも、どっちでも意味は同じだよ」


 セルドはレインを見た。


「向こうは、もうはっきりお前を名指しで止めようとしてる」


 ガルムが低く唸る。


「修復師を通すな、か」


「つまり、工房区の不調は偶然じゃないどころか、レインが入った後にさらに強められる可能性がある」


 ミハイルの声には緊張が滲んでいた。


 その場にいた職人たちの空気が変わる。

 昨日まで「外から来た修復師」だった男が、今は敵にとって止める価値のある相手になっている。


 それは、現場の人間にとって何よりわかりやすい証明だった。


「……そこまでか」


 古参管理者がぼそりと呟く。


「倉区で流れを戻しただけじゃない。向こうにとって、邪魔になるほど見えてるってことだ」


 レインは紙片を見下ろした。

 修復師を通すな。

 火を戻させるな。


 短い文だ。だが、その裏にははっきりした意志がある。壊すだけでは足りない。直されることまで織り込んで、止めに来ている。


 セルドが静かに言う。


「これで、周りの見方は変わるよ」


「変わってほしいわけじゃない」


 レインは答えた。


「必要なのは、工房区を落とさないことだ」


「でも、変わる」


 ガルムが言った。


「現場の連中は、役に立つかどうかでしか人を見ない。お前はもう、便利な手伝いじゃない。止められなきゃならん相手だ」


 その言葉は、妙な重みを持っていた。

 評価された、というだけではない。

 敵にとっての脅威として、王都の現場に位置づけられたのだ。


 だが、良いことばかりでもなかった。


 詰所の隅で、工房区の帳場付きの一人が小声で言うのが聞こえた。


「そこまで目立つと、上の連中が嫌がるぞ」 「現場を勝手に動かす修復師なんて、扱いづらいからな」


 セルドもそれを聞いていたらしく、苦笑した。


「評価が上がると、別の面倒も増える」


「上が勝手に面倒になるのは後でいい」


 エルナが言う。


「今は目の前だろ」


 その通りだった。


 工房区の危機は、まだ終わっていない。むしろ、敵がレインを止めようとしているとわかった以上、これからさらに強く来る可能性が高い。


 そして、その予感はすぐに現実になった。


 日が落ちる少し前、東二列の奥から、今までとは質の違う音が響いた。金属が軋む音ではない。もっと重い、腹に響くような低い唸りだ。


 ガルムが顔を上げる。


「何だ、今のは」


 次の瞬間、見習いが駆け込んできた。


「頭! 東四番炉の排出が逆流してます! 五番も熱が抜けません! 南樋の水が急に落ちた!」


 詰所の空気が凍る。


 レインはすぐに立ち上がった。


「連鎖が始まった」


「今すぐ動かなきゃまずいってことか」


 エルナが問う。


 レインはうなずく。


「工房区だけじゃ済まない。ここが落ちると、倉区へ戻す荷も止まる。王都全体に響く」


 ガルムが歯を食いしばる。


「……来やがったな」


 敵は、こちらを認識した。

 そして認識した上で、止めに来ている。


 工房区の本格崩落は、もう目の前だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。