第20話 王都へ続く道で、修復師は自分の役目を言葉にする
中継所の夜は、思っていたより静かだった。
門前で三台の荷車が詰まり、仮置き場も柱場も井戸の縁も黒い粉に侵されていたとは思えないほど、夜の空気は落ち着いている。番人たちは遅くまで藁の入れ替えや荷の仕分けを続けていたが、怒鳴り声はもうなかった。代わりに聞こえるのは、桶を運ぶ音と、低く交わされる確認の声だけだ。
止まりかけた流れが戻るとき、場の音まで変わる。
あてがわれた部屋は狭かったが、雨風をしのげるだけで十分だった。壁際に粗末な寝台が三つ、中央に小さな卓が一つ。セルドは帳面の写しを広げ、エルナは剣を外して壁に立てかけている。俺は窓際に立ち、外の気配を聞いていた。
「まだ起きていたんですか」
セルドが言う。
「お前もだろ」
「私は記録を整理しています」
「俺は考え事だ」
「似たようなものですね」
そうかもしれない。
今日一日で見たものが、頭の中でまだ繋がり続けていた。村、宿場、中継所。井戸、工房、結界柱。荷車、人の足、馬の脚、水場、仮置き場、柱場。全部ばらばらに見えて、実際には同じ壊れ方の上に並んでいる。
エルナが寝台に腰かけたまま、こちらを見る。
「難しい顔してるな」
「してるか」
「してる」
「いつもだろ」
「今日は少し違う」
その言い方に、俺は窓から離れた。
「何が違う」
「見えてきたんだろ。相手のやり方だけじゃなくて、お前が何をするやつなのかも」
返事はすぐに出なかった。
セルドが帳面から目を上げる。
「私も同感です」
「お前まで何だ」
「事実です。村では目の前の異常を止めていた。宿場では広がり方を見抜いた。中継所では、止まりかけた流れを戻す順番まで示した」
淡々とした言い方なのに、不思議と重かった。
「それで?」
「それはもう、単に壊れたものを直すだけではありません」
セルドは帳面を閉じる。
「流れを守る役目です」
部屋の中が少し静かになる。
流れを守る。
その言葉は、これまで自分がやってきたことを妙に正確に言い当てていた。
井戸の水が止まれば、人は生きられない。
工房の火が鈍れば、村の仕事が止まる。
結界柱が沈めば、外からの脅威が入り込む。
荷車が止まれば、物が届かない。
人の足が鈍れば、道が死ぬ。
俺が直してきたのは、物そのものじゃない。
その先へ続く流れだった。
「……流れを守る、か」
口に出してみると、少しだけしっくりきた。
エルナが頷く。
「悪くない」
「勝手に決めるな」
「でも違わないだろ」
違わなかった。
追放されたとき、俺は“役に立たない修復師”だと言われた。
壊れた剣を継ぐだけ、欠けた器を直すだけ、そんな半端者だと。
けれど今は違う。村を出て、道を歩き、宿場と中継所を見て、ようやくわかった。
修復は、壊れた物を元に戻すことだけじゃない。
止まりかけたものを、もう一度先へ進ませることだ。
「なら、王都でやることも同じだな」
俺が言うと、セルドが静かに頷いた。
「ええ。王都はもっと大きい。人も荷も、水も金も、情報も流れている。だからこそ、異物が入り込めば被害も大きい」
「でも、見る場所は同じ」
「その通りです」
エルナが腕を組む。
「井戸や荷車が、もっとでかくなるだけか」
「たぶんな」
「嫌になるな」
「今さらだろ」
そう返すと、エルナが少し笑った。
その夜は、久しぶりに少しだけ眠れた気がした。
翌朝、中継所を出るころには、番人たちの動きはさらに整っていた。入口では旅人が自分から靴底を払い、仮置き場では荷が布の上に分けて置かれ、柱場の藁も新しいものへ替わっている。完璧じゃない。だが、昨日までとは明らかに違う。
番人が見送りに出てきて、深く頭を下げた。
「本当に助かった。昨日のうちに手を打てたおかげで、今朝は荷の流れが止まらずに済んだ」
「それならいい」
「教わった順番、忘れません」
その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなる。
俺たちが去ったあとも、ここは自分たちで流れを守ろうとしている。
それは、ただ一度直すよりずっと大きい。
街道へ戻ると、朝の空気は冷たく澄んでいた。王都へ向かう道はまだ続く。遠くには薄く霞んだ丘、その向こうにさらに大きな街道筋が伸びている。
「今日中に、王都外縁の往来が見えるところまでは行けるはずです」
セルドが言う。
「ようやく近づいてきたな」
「ええ。ですが、近づくほど厄介になるでしょう」
「だろうな」
宿場や中継所でこれだけ広がっているなら、王都の周辺ではもっと複雑に絡み合っているはずだ。人も荷も桁違いに多い。流れが大きいぶん、詰まったときの被害も大きい。
それでも、不思議と前より迷いはなかった。
何を見るべきか。
どこから手をつけるべきか。
自分が何をする人間なのか。
それが、ようやく言葉になったからだ。
昼前、街道の途中で小さな荷運びの一団とすれ違った。向こうは俺たちを見るなり、ひそひそと何かを話し合っている。やがて、そのうちの一人が思い切ったように声をかけてきた。
「あんた、もしかして宿場と中継所で荷車を直した修復師か?」
もうそこまで広がっているのか。
エルナが横で肩を揺らし、セルドは「早いですね」とだけ呟いた。
「そうだが」
俺が答えると、男は安堵したように息を吐いた。
「よかった。先の道で、仲間の一人が足を悪くして休んでる。もし時間があるなら見てやってくれないか」
俺はセルドとエルナを見る。二人とも、答えはわかっている顔だった。
「案内しろ」
男の顔が明るくなる。
「助かる!」
その背を追いながら、少しだけ可笑しくなる。
王都へ急いでいる。
元凶を追わなければならない。
それでも、道の上で止まりかけた流れを見つけたら、たぶん俺は放っておけない。
それが遠回りに見えても、きっと違う。
流れを守ることは、そのまま王都へ続く道を守ることでもある。
道端の木陰で休んでいた若い荷運びの足を見て、やはり浅いざらつきを見つける。処置を終えると、男は驚いた顔で何度も足を踏み直した。
「すげえ……本当に軽い」
「靴底を払え。水は流れのいいところで使え。止まった場所ほど気をつけろ」
「わかった!」
一団は何度も礼を言いながら去っていく。去り際、さっきの男が振り返って叫んだ。
「修復師! 王都でも頼むぞ!」
その声が、妙にまっすぐ背中へ届いた。
王都でも頼む。
軽い言葉のはずなのに、重かった。
けれど、もう逃げる気にはならない。
王都へ続く道で、修復師は自分の役目を言葉にした。
壊れたものを継ぐだけじゃない。
止まりかけた流れを見つけ、順番を見抜き、もう一度動かす。
それが自分のやるべきことだと、ようやく胸を張って言える。
街道の先には、まだ見えない王都がある。
その巨大な流れの中で、どれほど大きな詰まりが待っているのかはわからない。
それでも今は、ただ前へ進めばいいと思えた。
自分の役目を知った足取りは、昨日までより少しだけ強かった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
20話までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
村編を越えて道中編に入り、レインが少しずつ「何を直しているのか」「自分は何をするべきなのか」を掴んでいく流れを書いてきました。
ここから先は、道中で見えてきた異変が王都とどう繋がっているのか、そしてレインたちが何に踏み込んでいくのかが、少しずつはっきりしていきます。
引き続き楽しんでいただけたら嬉しいです。
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