第14話 『更衣室のとうさつ魔』
――更衣室の怪異はデマ。
そう結論付けようとしていた矢先の、ただならぬ悲鳴だった。
「汐遠!?」
跳ね起きるように廊下へ飛び出す。だが、彼女の姿はない。嫌な予感が電流となって全身を駆け巡る。
離れていたのはほんの数秒だ。どこへ行った?
「先輩! 助けてっ!」
悲鳴は、鍵がかかっているはずの女子更衣室の中から響いていた。
「そこか、待ってろ!」
ドアノブに飛びつくが、回らない。中で激しく争うような物音が響く。
「やだ! なんで! いやぁぁぁぁっ!!」
「くそっ……!」
震える指で鍵束を掴み、鍵穴へ突っ込む。
一瞬、開かないのではという、嫌な想像が頭を過ぎった。けれど、その不安をぬぐうように鍵はしっかりと回り、
「汐遠! 大丈夫か!?」
勢いよくドアを蹴り開け、中に踏み込む。だが、室内は異様なほど漆黒の闇だった。
争う音は途絶えている。
もう一度、彼女の名前を呼ぶのが怖い。
もし、返事がなかったら?
最悪な想像が、僕の喉を潰している。
足元が浮いているみたいに覚束ない。まるで、床まで目の前の闇に飲まれて、消えてしまったようだ。
不安に怯えながら、手探りで壁のスイッチを押し込んだ。
「あ、ちょっと待っ――!」
一瞬遅れて、制する汐遠の声が耳に届く。
その声に、最悪の事態は免れたのだと心底安堵して――――直後、己の過ちに気づいた。
明かりが灯る。
目の前に広がっていたのは、健康的な肌色だった。それから、意外と下着は派手じゃないんだなとか、形状も割合もほとんど変わらないのに、下着姿と水着姿って全然違うよな。なんてことを真剣に考えた。
淡い桜色の下着姿で、床にぺたりと座り込む汐遠。
彼女は両腕で身体を抱え、顔を真っ赤に染めていた。服の上からでも存在感のあった胸が寄せられ、深い谷間を作っている。
室内は、まるで嵐が去った後のようだ。ロッカーが倒れ、長椅子がひっくり返り、中身が散乱した酷い有様。
「先輩……来てくれて、ありがとうございます。おかげで助かりました」
「うん。無事で良かった」
「はい。でも――そろそろガン見するの、やめてもらっていいですか!?」
「ごめん!!」
背を向け、荒い息を整える……目に焼き付いてしまったけれど。
「……その、身体は大丈夫か?」
目立つ外傷はなかったと思う。しかし酷い様子だった。見ようによっては、強姦未遂の現場と言われてもおかしくない惨状だ。
「なんとか……あちこち痛いですけど」
「いったい何があったんだ?」
「……私が悪いんです。女子更衣室のドアが開いて、覗こうとしたら何かに引きずり込まれて……服を剥ぎ取られました。先輩がドアを開けた瞬間に消えましたけど」
か細く怯えた声。
「たぶん……あたし……先輩が来るのがもう少し遅かったら……死んでた、ですよね?」
彼女が身につけているのは下着のみ。『全裸になる寸前』だったのだ。布一枚の差で死を免れた彼女の恐怖は計り知れない。
けれど僕の頭は、恐ろしいほど冷徹に回転していた。
開かないはずなのに、開いた小部屋。
儀式もなく現れたキャプテン。
条件を満たさず襲われた汐遠。
何もかもが異常だ。僕らの情報と整合性の取れない現象。
弘人が噂を調査したのは去年の夏。
メモの内容を更新できていない、と弘人は言った。
そして、キャプテンも言っていたのだ。
誰かが意図的に噂を改変していると。
なら、その誰かが原因か?
だが、情報が足りなさすぎる。
弘人……いや、叶恵さんなら、詳しい話を知っているかもしれない。でも――――
『私は立場上、ヒントしか出せませんが』
叶恵さんのあの言葉は何を意味していたのか。
怪異の中に、僕らの知らないルールがある?
「あの……先輩。怒ってますか?」
いけない。思考に没頭しすぎていた。
「まさか。無事で本当に良かったよ」
「それなんですけど……あたし、どうしましょう? 服が盗まれちゃって」
「あ――」
そう言えば、コイツはそういう怪異だった。
「とりあえず、これ着てくれ」
脱いだブレザーを後ろ手に渡す。袖を通す生々しい音。
「もう大丈夫ですよ」
振り返るが、全然大丈夫ではなかった。
胸元からはハッキリと谷間が見え、下半身も太ももの根元まで露出している。逆に扇情的だった。
そして僕は今更気づいた。この状況のまずさに。
ブレザー一枚の女子生徒と男子生徒が夜の学園にいる。見つかれば即退学だ。つまり、このままここを出ていくわけにはいかないことになる。
上手く学園を出られたとしても、こんな格好で町を歩けるわけがない。
「着替えとか……体操着ってないのか?」
「有りますけど、あたし教室に置いてあるんで」
「じゃあ、僕が持ってくる……ってわけにもいかないよな」
更衣室に汐遠を残して僕が外に出る。そんな馬鹿な選択肢はない。彼女を殺すのと同義だ。
「やっぱりこのまま……バレないように二人で教室に行くしかないですかね?」
「無理だろ。防犯カメラに映るリスクが高すぎる」
その意味では、僕がここに入っているのも不味いのだけど、最悪それは言い訳も出来なくはない。
「毎日確認はしないんじゃないですか?」
「それに賭けるか? 在学中ずっと怯えることになるぞ」
「じゃあ、どうするんですか?」
「ロッカーの中に、誰かの体操着とかないかな?」
「見てみます……え?」
「ん?」
「……ひょっとして、一緒に探そうとしてます?」
「まさか! 僕はここにいるから!」
そうして、なるべく汐遠に目を向けないように待つこと数分。
「駄目ですね。何にもないです」
万策尽きた。実にあっさりと。
完全に手詰まりだ。
「まいったな……こんな落とし穴があるとは」
僕は思わず更衣室の天井を見上げた。
真っ白な天井。僕の頭の中と同じ――
「おやおや? なんだかイケない光景ですね?」
「うわあっ!?」
「きゃあっ!?」
何もないはずの天井から、
にゅっと、叶恵さんの上半身が生えてきた。




