第186話 和樹の誕生日
十月六日。和樹の二十七歳の誕生日である。
今年はちょうど日曜日のため、白雪としては家で祝うつもりで色々考えていて、すでに和樹の予定も抑えていた。
なのだが――。
「それでは来宮君、セッティングは任せたよ」
「任せてください、教授っ」
教授の言葉と元気のよい渡の声に、困惑気味の表情になっているのは和樹。それに奈津美だ。
発端は奈津美が和樹に、誕生日を祝わせてほしい、と言い出したことだった。
いつ誕生日を知ったのだろうと思ったが、それは別段それほどおかしいことではない。和樹も聞かれれば普通に答えるだろう。
ただ、それを聞きとがめた来宮渡が「それならみんなで行きましょう!」と言い出した。
そしてあれよあれよという間に、プロジェクトに属するメンバーの大半が参加することになってしまったのだ。
単に宴席のチャンスに乗っかっただけかもしれない。
さらに、他に同じ十月の誕生日の人がいるかとなったとき、なんと奈津美自身が十月二十五日であることが判明。それなら一緒に祝いましょう、ということになったのだ。
そのため、日取りは十月の連休前の金曜日となった。
参加メンバーは結局先のプロジェクト開始打ち上げの時とほぼ同じ感じだ。
前回は居酒屋だったが、今回はイタリア料理の店の予定らしい。
いつぞや美雪らといった店かと思ったがさすがに違うようだ。
酒ではなく食事メインでという和樹の希望らしいが、これは白雪ら二十歳前の参加者に配慮してくれた気がする。
「なんか……大事になってるなぁ。まあ来宮に聞かれた時点でこうなるか」
「そうなんですか?」
「あいつ、『プロジェクトの宴会部長』を自称してるからなぁ。しかも教授がそれを半ば認めてる」
「宴会部長……?」
「あいつ、昔から宴会とかが好きだったからな」
なんとなくそれは分かる気がした。
ふと視線を転じると、何やら落ち込んだ様子の奈津美が見える。
誕生日を一緒に祝ってもらえるのは嬉しいのだろう。
ただ、おそらく奈津美としては二人でどこかに食事に行こうとしていたのかもしれないが、その思惑が完全に外れてしまった格好だ。
予約していたか、あるいは目を付けていた店などはあるのだろうが、おそらくそれは完全に空振りになるだろう。
かといって、こういう話になってしまうと、改めて別日程で食事に誘うというのは難しいのだろう。
白雪としても少し同情はするが、同時に図らずも二人きりになるチャンスを妨害できたので、内心安堵する気持ちがあるのも否めなかった。
そしてこういう時は、白雪としては一緒に住んでいるアドバンテージを活かさない理由はなかったのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「お誕生日、おめでとうございます、和樹さん」
そう言って、白雪は和樹のグラスにワインを注いだ。
今回はノンアルコールではなく、普通にワインだ。
もちろん自分の分は別にノンアルコールを買ってある。
これは先月末、孝之の誕生会を美雪と二人で美雪の家で開催した時にも買ったもので、とても美味しかった。
美雪曰く、『本物のワインの味がすると思う』とのことだが。
なぜ本物のワインの味を知っているかは気にしないでおくことにする。
「ありがとう、白雪。でも、プロジェクトで祝ってもらえるのだから、別に個別にしなくてもよかったとは思うが」
「そうはいきません。家族枠として祝うのは別です」
今日は和樹の誕生日の前日にあたる。
お酒を提供することも考えて、前日に設定したのだ。
事前に和樹の外出予定がないことだけは確認した。外出しないのであれば、ほぼ百パーセント家で食事をするからだ。
なので、直前まで特に何も言っておらず、単に夕食に呼び出されてから和樹は白雪が誕生日パーティの準備をしているのに気付いたようだ。
そのために一部買い物をお願いして、出かけている間にケーキを作ったりはしているが。
「いつの間にこんなに準備してた……かは今思えば分かるけど」
和樹が苦笑しながら、しかし嬉しそうに笑う。
「ちょっとしたサプライズをやりたくて。一緒に住んでいると難しいようで意外にできますね」
「急ぎではない買い物をあのタイミングで頼まれた理由が分かったよ」
そう言いながら和樹が座ると、白雪はにっこりと笑って、和樹の対面の席に座った。
今日の料理は定番のハンバーグをシチューにして、サラダとピラフ、ブロッコリーとポテトの揚げ物。あとはデザートだ。
「去年も覚えているが……いつも美味しい料理をありがとう、白雪」
「はい。でも、私もとても楽しくさせていただいてますから」
シチューは大鍋に入れてあって保温機の上にあるので、それを和樹に取り分け、それから自分の分も注いだ。
「それじゃあ――」
「いただきます」「いただきます」
和樹が最初にサラダを食べて、それだけで美味しそうな顔になって頷く。オリジナルのワサビ風味のドレッシングはちょっとした自信作だ。
「相変わらずサラダですら美味しいんだからすごいな」
「そのドレッシングはちょっと自信作なので、そう言っていただけると嬉しいです」
その後も食事は順調に進んだ。
去年のように「あーん」というのをやるという目論見は今回はないが、それでもとても楽しい。
いつもの食卓であるはずだが、やはり特別感がある。
「大学は順調か? 同じ学内にいるとはいえ、ほとんど会えないからな」
「はい。後期に入ってからいくつか講義が変わりましたが、楽しく過ごしています」
和樹はプロジェクト開始後、忙しさが大幅に増している。
学内にいるとは言ったが、いないことも少なくない。他の大学や企業などとの打ち合わせの方が多いのだ。
プロジェクトの発起人の一人であり、中心メンバーではあるが、央京大学は拠点の一つではあっても中心というわけではない。
やはりそれは政府機関の方になるので、和樹はよく出かけているのである。
無論半分程度は央京大にいるし、講義の合間に研究室に行けば会えることもある。白雪としては奈津美の存在もあって出来るだけ頻繁に行くようにしているが――実のところそこまでしなくてもいいのではというのが本音だ。
奈津美も和樹とはあまり一緒にいられるわけではないらしい。
あと最近になって分かってきたが、少なくとも奈津美と白雪は、ある意味では立場が現状近いということに気付いた。
つまり、和樹にとっては好意の対象となる異性だと思われていない、という点である。
おそらく和樹にとっては、『あの事件』以降に出会った女性は、ことごとく必要以上に踏み込まない相手になってしまったのだろう。
それならば、大学時代にそういう話が全くなかったのも理解できる。
(そう考えると、和樹さんのことを好きになって諦めた女性って、もっとたくさんいそうですね……)
高校は普通に共学の学校だったというから、背も高く――和樹によると中三から高一にかけて急激に伸びたらしい――容姿も比較的整っていた和樹は、少なくとも見た目で悪いと思われることはまずない。
あとは対人関係がどうだったかだが、高校時代のことはある意味中学の時以上に聞いたことがなく、誠や友哉たちも知らないので、謎に包まれているといってもいい。
本人によると至極無難に過ごしていたとのことだが。
(まだまだ知らないことってたくさんありますね)
もっとも、全部知りたいというのは傲慢だろうとも理解している。
夫婦でも、別に出会う前のことを全て共有してるわけではないだろう。出会ってから共有した時間の方がはるかに大切だし、その中でお互いに惹かれあったから結婚するものだろうと白雪は思っている。
ただ現状、和樹はおそらく白雪のことを家族だとは思っていても、結婚相手とは考えてくれてないのだけは明らかだが。
そもそも結婚願望があるかどうかも怪しいが――こればかりは迂闊に訊くと藪蛇どころではないので怖くて訊けない。
和樹は明日で二十七歳。
昨今晩婚化が進んでいるとも言われるが、和樹の友人である誠や友哉はもう結婚している。
全く意識しないということはない――と思いたいが、あの件があるから、本当に考えていない可能性がある。
そして白雪の存在が、もしかしたら『先に白雪を嫁に出す』という考えすら漠然と持ってるかもしれないとすら思えるわけで――。
「どうした、白雪。なんか考え事をしてるようだが」
「あ、いえ。その、今日から数ヶ月だけは、九歳差なんだなぁって」
「ああ、そうだが……九年か。十年一昔ともいうが、九年と考えるとすごいな。俺が……小学三年生の時に、白雪はまだ生まれたばかりってことだもんな」
「いきなりそこまでもどるのはどうかと思うんですけど」
「すまんすまん。でも、ご両親にとっては待望の娘だったんだろうな。というか……そうか。今の俺の年齢が……」
「あ……そうですね」
二十七歳。それは、白雪の両親が死んだ時の年齢だ。
あらためて和樹を見るが――三年余り前に、なぜこの人を父だと思ったのかと思ってしまう。
もちろん説明できるレベルで理由はあるし、当時は仕方なかった。
むしろそう思っているということで、和樹の父性が刺激されたのか、彼とのその後の関係があったのは分かっている。
ただそれが、今になってここまで障害になるとは思いもしなかったが。
「しかし、俺の年齢でもう小学生の娘さんがいた君の両親は凄いな。俺は、子供を育てられるとは到底思えないよ」
「そんなことも……ないと思いますけど。でも考えてみたら、母は私の年齢の時で、すでにお腹に私を宿していたんですね」
白雪が生まれたのは、母雪恵が十九歳の時。
雪恵の誕生日は六月なので、厳密には少しずれるが、それでも高校卒業してすぐ結婚して、白雪を宿していたのは確かだ。
「そう考えるとすごいな、君の両親は。それだけの情熱があったということだし、その後も白雪を育てて頑張ってこられたわけだ」
「はい」
「こういう言い方がいいのかは分からないが、白雪もその両親の想いをしっかり受け取って育ってると思うぞ。多分生きていたら、間違いなく自慢の娘だっただろうから」
「そうだと、とても嬉しいんですが」
「むしろいい娘過ぎて、『嫁になんて出せん!』とか言い出していそうだな」
白雪は思わず吹き出してしまった。
それは和樹も同意見なのだろうか、と思ってしまう。
「どうでしょうね……そこは分からないですが、でも今の私は幸せです、と両親に言える状態なのは確かです」
そう言って和樹を見る。
正面から見つめられて、和樹はわずかに戸惑ったように少しだけ視線を逸らしていた。
「和樹さん。本当にありがとうございます。今私がそう言えるのは、間違いなく和樹さんのおかげですから」
「ああ、うん。そう言ってくれるなら、嬉しいよ」
もう少し踏み込んでくれていいのですが。
そう言いそうになるのを白雪はかろうじて踏みとどまった。
「さて、そろそろ食事は良いでしょうか。一休みしたらケーキを出しますね」
「ああ。ご馳走様。本当に美味しかったよ。ありがとう、白雪」
「はい。どういたしまして」
笑顔でそう応えてから、テーブルの上を手早く片付けてケーキの準備をする。
ちなみに今年のケーキはタルト生地のコーヒー風味のムースだ。
誕生日プレゼントは、最近使うことが増えてきたので、ネクタイとネクタイピンのセットである。
(来年も、こうやって二人で祝えると思えるのが――本当に嬉しいですね)
もちろん理想は、その時に関係性が少しでいいから変わっていてほしいが。
変わっていなくても、それでも幸せな未来を思い描けることが、今の白雪には本当に嬉しく思えるのだった。




