第163話 白雪の望み
白雪の答えに、定哉はしばらく黙った後、ふぅ、とため息を一つ吐いた。
「そうか。まあ、そうだろうとは思ったが」
「答えを分かっていてお聞きしましたよね、おじい様」
「まあな。念のための確認というやつだ。お前の意思が固いのはよくわかった。貫之や月下殿の話を聞いた限り、そうなるとはわしでも思うしな」
「……その、和樹さんとお会いしたのはお聞きしましたが、何をお話したのでしょうか」
白雪からすれば、そちらの方が気になるところだ。
普通に考えて、定哉や貫之が白雪が和樹の家にいることを知らないとは思っていない。
だが、一応白雪は法的にも成人であり、少なくとも自分の意思であの家にいる以上、そこに法的な問題はもちろんないし、また、他人にとやかく言われることではないはずだ。
無論、未婚の男女がその様な状態にあることへの世間体の悪さは白雪自身分かってはいるが、かといって今のこの環境を手放すつもりは、全くなかった。
「うん。まあ……色々聞いた。お前たちが、親子の様な気持ちでもあるともな」
「え……」
その話を和樹が定哉にしているのは予想外だった。
とはいえ、和樹の立場では、白雪の身内に適当なことをいうわけにもいかないし、少なくとも現状、白雪が和樹と結婚どころか付き合ってもいない以上、説明するのにはどうしても明かす必要があったのだろう。
「……そう、ですね。私が最初にあの人を父だと……そう思ったのは事実です」
「また随分年齢は近い気がするがな」
「そうなのですが……私の中では、父はあの年齢で止まってしまっているんです」
「……そうか。なるほどな……」
父白哉が死んだのは二十七歳の時。今の和樹は二十六歳。出会った時は二十三歳。多少違うとはいえ、白雪からみれば同じように見えた。だから、和樹を父親のようだと思ってしまった。正しくは思いこんだ。
思えばそれが、最初のボタンの掛け違いではあったのだが。
「もちろん、年齢だけが理由ではありませんでしたが」
「で、今もそうなのか?」
「……和樹さんはなんて?」
「白雪が幸せになれるように、家族として協力したいと言ってたよ」
いかにも彼が言いそうな言葉だ。
彼は本当に、家族であろうとしてくれているのだろう。
ただし、彼の中では、おそらく白雪の立ち位置は彼の妹の美幸と同じ家族。それよりももう少しその行く末に責任を持とうとしているという点で、まさに娘の様なものなのだろう。
だが、白雪の望みは違う。
「私は……和樹さんのことが、好きです。それは、家族としてだけではなく、私自身が選んだ、一人の男性として、です」
言ってから、顔が紅潮するのが分かる。これは、夏の暑さの為ではないだろう。
考えてみれば、なぜ祖父にこんな話をしているのかと思うが、少なくとも自分の意思をはっきり言っておく必要があると思えたのは確かだ。
それを聞いた定哉は、嬉しそうにニンマリと笑った。
「そうか。添い遂げたいと思ってるか」
さすがに言い回しが古くて、一瞬理解が追い付かなくなり――理解してから、さらに顔が赤くなるのを自覚した。
「……そ、そう、です。あ、でもその、和樹さんに余計なことを……」
「しねえよ。まあ随分こじらせてると笑っちまうが、孫娘の恋路に祖父が口出しするとか聞いたことがない。まあ、ばあさんがいたらいい相談相手になれたのかもしれんがな」
定哉の妻、玖条香澄。彼女は身体が弱く、白雪の父である白哉を産んですぐに亡くなったと聞いている。
「おばあ様の話は、初めてお聞きしますね」
「まあな。お前が生まれるはるか前にいっちまったからな。白哉も実質ほぼ会ったことがないからな」
「どんな方だったのですか?」
「どんな……か。俺には過ぎた妻だったよ。よく気が利いて、周りを明るくさせて、俺のこともさりげなく支えてくれた。辛い顔一つせずにな。だからかな。あいつが無理してるのにも気づいてやれなかった」
定哉が若い頃は、今ほど世情は安定していなかった。
特に、貴族はその権限をことごとく剥奪され、家を維持できずにいなくなった者を、定哉は何人も見ている。
それは、玖条家と同格の家であっても例外ではない。
実際、元貴族の家柄で今もそれなりの勢力を保っている家は、定哉が子供の頃と今では、その数は十分の一程度にまで減ってしまっている。
定哉も資産こそある程度あったがそれに胡坐をかくことなく、むしろできる努力はなんでもしてきた。その結果が、今の玖条家である。
「話にしか聞いたことはありませんが……大変だったんですね」
「ああ、まあな。だが、別に玖条家だから生き残ったわけじゃないとは思ってる。それや俺や貫之が頑張ってきたからだ。……白哉も手伝ってくれるとは言っていたんだが」
定哉の顔が少し寂しそうになった。
多分、白哉はそういう祖父や兄の想いも、全部理解していたのだとは思う。ただそれでも、雪恵を選びたかったのだろう。それが、最優先事項だったから。
「悪かったな、白雪」
「え?」
「お前の母を……雪恵さんを認められなかったばっかりに、あの悲劇が起きた。お前がどう考えようが、俺たちにとってはそれは否みがたい事実だ。雪恵さんにも白哉にも何度も謝ってるつもりだが、それでもそれが届いてるかどうかは、わしには分からん。ただお前には、あの二人の分も生きて、幸せになってほしいと思う。これは、わしも、そして今は貫之も願ってることだ」
「おじい様……」
「お前にとっちゃ玖条家はある意味では近付きたくない存在なんだろうが、それでもわしにとって大切な孫娘で、貫之にとってもただ一人の姪だ。まあ、あいつはちょっとやりすぎたところがあるから、許せないと思うところはあるだろうが……」
「いえ……今はもう、それほどは。結局、今の私があるのは伯父上がそれを認めて下さったからですし」
「そうか。まあ、お前が元気そうで、かつ幸せそうでよかった。……ああそうだ、最後に一つ。和佳奈さんがお前と会いたいと言っていた。もしよければ、今度連絡を取ってやってくれ」
玖条和佳奈。その名前はもちろん知っている。伯父である貫之の妻。
会ったことがないわけではもちろんないが、正直に言えば印象がない。
いつも貫之に付き従っている女性、というくらいしか分からない。
一応義理の伯母にあたるわけだが、話したことはほとんどないと思う。
ただこれは、そもそも貫之ともまともに話したことはほとんどないのだから、仕方がないかもしれない。
それはお互い様だろうから、むしろなぜ会いたいと思ったのかが少し気になるといえば気になる。
「わかりました。でも、京都にいらっしゃるのでは?」
「ちょくちょく東京にも来てるんだ。まあわしもまだしばらくはこちらにいる。小遣いせびりたければ、連絡くれてもいいぞ?」
「おじい様……」
半ば以上呆れた目で見ると、定哉は呵々、と大きな声で笑って、席を立つ。
「今日は楽しかった。月下殿と仲良くな。頑張るんじゃな」
「よ、余計なお世話ですっ」
思わず白雪は顔を赤くしてしまう。
それを見て、定哉は笑いながら歩き去って行った。
しばらくすると、和樹が戻ってくる。
「話は終わったのか、白雪」
「ええ。それより和樹さん。祖父に話したこと、ちゃんとやっぱり教えて置いてほしかったです」
すると和樹は、本当に申し訳なさそうな顔になる。
「す、すまん。ちょっとタイミングが……いや、言い訳だな。本当にすまない」
その様子がとても面白くて、思わず悪戯心が芽生えてきた。
「ダメです。許しません」
「そこを何とか……」
「じゃあ、今日のこの後は、私とデートしてください。そうしたら、許してあげます」
別に親子でもデートと言うことはある。だから問題はない――はずだ。
もちろん白雪の認識は違うが。
「わかった。じゃあ、どこに行く?」
「え」
「……考えてないのか」
「こ、これから考えますっ」
慌ててスマホを取り出そうとした白雪の手を、和樹は笑いながら取ってくれた。
「まずは駅前まで戻って食事にしよう。それからゆっくり考えればいい」
「……は、はい」
そのまま和樹の手を握って歩き出す。
その並んで歩く一歩一歩が、白雪にはとても嬉しく思えるのだった。




