遠い二人
「ユキネ」
先に酒場から出たユキネの背中にフェンが声をかけた。
「…ごめんな。うん、分かってるんだけど…」
フェンの言いたいであろう事を先回りして、ユキネが唇を尖らせながら言い訳をしようとすると、フェンが不思議そうに首を傾げた。
「……ユキネは悪くないと思う…けど」
その言葉に、ピタッとユキネの言い分の羅列が止まる。
「…そ、そうだよな! ほらみろあの馬鹿め!」
ユキネは予想外の反応に少し慌てながらも、我が意を得たりと胸の前で握り拳を作って憤りを示した。
「…でも、ハルユキは子供だから、許してあげないと」
「む…そ、そうかな?」
「うん」
フェンが頷くと同時に酒場から三人の人影が出て来た。
内の一人のノインが隣のハルユキに何かを言っており、ハルユキは反論の余地がないのか苦い顔で頭をかいてごまかしている。
ジェミニはそれを見てニヤニヤとしていたが、フェンとユキネに気付くといつもの表情で二人に向けて手を上げた。
「じゃあ、行こか。武具屋なら確かこっちやったやろ」
この町を一番ぶらぶらしているのは恐らくジェミニだ。
もうこの町に来て一月は経っているので、恐らくかなりの地理が頭にはいっているのだろう。
迷う事無く、町の東の方に足を向けた。
ハルユキがユキネに話しかけようとする仕草を見せはしたものの、結局何もせずにジェミニの横に並んだ。
ジェミニと並ぶハルユキを見てユキネもその肩を叩こうとするが、結局その手は何にも触れる事無くユキネの体の横に戻る。
それを見ていたノインが無表情でユキネの隣に並んだ。
「ねぇ、あなた達って恋人なの?」
その声で初めてノインに気付いたのか、ユキネは少しだけ肩を跳ねさせてゆっくりと隣のノインに目をやった。
驚きで見開いた目を元に戻して、そこで初めてじわじわと質問が頭の中に染み込んできて、心臓が一際大きく跳ねた。
「ちがッ──!!」
声が取り乱していることに気付いて一旦言葉を切ると、呼吸を整えた。
「…違う。只の…、友人だ」
「へえ、そうなんだ」
それきりノインから話しかけてくる事はなくなり、ひたすらに足を動かす作業になった。
どれぐらいその気まずい時間が流れただろうか。
肩越しに振り返ってみればまだ酒場が見えるので実際には3分も経っていなかったが、妙に嫌な時間だった。
耐え切れなくなりほんの少しだけ視線を向けると、ノインは穏やかにハルユキの方を見ていた。ユキネの視線に気付いたのかノインがまた口を開く。
「ハルが私の知っている雰囲気と余りに違ったから。てっきり何か特別な関係なのかと、ね」
ハル、と。
言葉の内容は、耳には入りはしたものの頭までは到達せず、ただその妙な単語だけが記憶に残った。
別に呼び方に思い入れがあったわけではない。たまたまそう呼ぶことになっただけだ。今までそう意識すらしていなかった。
ただ少しだけ、喪失感が胸に残った。
「あいつが、…どうかしたのか」
「…別に。ただ弱く見えてしょうがないのよ。貴女と一緒にいると」
その言葉は先程と違いユキネの深い所まで突き刺さった。先程の数倍の喪失感が背中に圧し掛かる。
そしてそれは、確かに嫌な痛みが伴っていた。
表情を変えなかった事だけは自分を褒めてやりたい。
私が居るとハルユキが弱くなる。
分からない。自己弁護する気は毛頭ないが今まで見ている分にはハルユキは強すぎるほど強かった。
今は喧嘩しているにしろ、弱いと感じたことはない。
だけど。
実際に自分が居る時と居ないときの人間の違いを見比べるのは不可能に近い。
それはつまりユキネがいて初めてあの程度なのかもしれない。
だからそれは本来のハルユキより弱く見えているのかもしれない。
つまりそれはユキネがいる事でハルユキを殺してしまっているという事かもしれない。
ノインが見ているハルユキはどのように映っているのだろうか。
自分と言う足枷が付いていないハルユキが何処かに居るのだろうか。
違う、と自分の中でさえ否定する事が出来なかった。
例の古剣の存在が頭の中に浮かび上がる。
否定できるほど、悲しいほど。
ハルユキの事を始め、レイの事もジェミニの事もシアの事もフェンの事でさえも。
何も知らないのだから。
また会話が途切れ、沈黙が訪れた。いつの間にか、視界かまたは世界が少しだけ不安げに揺れていた。
ほんの少しだけ前を歩くノインの顔から、何かを読み取れないかと試みるが人生経験が足りないらしい。
何を考えているかも分からなかった。
思えば最初剣を交えたときから、いや多分もっと、…そう。
顔を合わせたときからユキネはノインの事が苦手だった。
いや、苦手という言い方は少し違うかも知れない。
この女はユキネをただ無言で圧倒する
「羨ましいわ」
一瞬自分の口から気付かないうちに漏らしてしまったのかと思った。
「え…?」
「まぁ、分からないでしょうけど」
「うら、やましい…?」
歯の間から零れた声は恐らく隣を歩く人物にも届いていない。
意味こそ全く分からないが、恐らく皮肉でも嫌味でもないことは、分かった。
しかし何が羨ましいか全く見当がつかず、ただ気休めを言われているようでただ苛立ちだけが募っていく。
自然とほんの少しだけ強くなった視線をノインにぶつける。
そして横目でこちらを見ているノインと目が合った。
「………ぁ…」
目が合った瞬間、嫌な感覚がユキネを襲った。
──聞けばたかが十の頃に国を立て直したらしい。
聞けば並ぶものが居ないほど腕が立つらしい。
聞けば国中から慕われているらしい。
どれもこれも、何処かの無能が欲してやまなかったものだった。
そいつは十二の頃、望んではないにしても人質として国盗りに加担し。
魔法の一つも使えず。誰からも必要とされず。
引きずっている訳ではなかった。恨んでいる訳でもなかった。
でも、忘れられるはずもなかった。
王女としての違い。その手で支えているものの重さの違い。そして格の違い。
その違いが、その差が、やはりユキネをただ無言で圧倒するのだ。
視界が、世界が回る。
「…仲を取り持つつもりだったけど、やめたわ。私は貴方達から奪う側だもの。貴女はそんなに要らない様だから貰っていく。だから」
似たような生まれで似たような境遇で育って、そして自分とノインの価値を見比べて、自己嫌悪に陥る。
挑んだつもりだった。
睨み付けて戦意を示すつもりだった。
「──邪魔はしないで」
しかし溢れるほどの劣等感と、にじみ出る絶望感で。
怯えるように目を逸らしていた。
ノインは数秒間だけ、俯くユキネを観察した後、視線を前に戻した。
ユキネの歩長は自然と遅くなり、対してノインは歩く速度を上げ前を歩くハルユキの背中に近付いていった。
開き続ける距離に、ユキネは顔を上げられない。
◆ ◆ ◆
『それでは、これより第28回の予選を始めます』
外の景色が茜色に染まる頃、ユキネは闘技場に足を踏み入れた。闘技場の周りにはいくつもの巨大な松明が置かれ、明る過ぎるほどには光量が存在している。
アキラの予選の合否はハルユキの事を改めて謝りに行った時に聞いた。
詳細こそ聞いていないが、ものの数分ほどで決着が付いたそうだ。腕を買われて婿候補として来ているだけはある。
一度息をついてから周りを見渡す。
七割は成年か熟年の男性。所々に女性が混じっているがそのうちの九割はある程度名が知れた傑物であるようで向けられているのは警戒の念。
残りの一割がつまりユキネな訳だが、予想通り奇異の眼差しを一身に受けていた。
しかしフェンのときほどそれは酷くはなく、誰か自粛するように諭される事もなかった。
フェンとは違いユキネは十六歳相当の背格好をしているのが、そうならない理由として一つ。
そしてもう一つの理由としては、手に持った巨大なクレイモアと少女が身に纏うものとは思えない程の鎧があるだろう。
最初に行った武具屋の中で三番目に根が張る代物だそうだ。
少し重すぎる気がするがそのお陰で防御力の方は問題ないはずだ。確かダマスカス鋼に何かの牙を混ぜ込んだのだとかなんとかかんとか。
既に出現させている剣も、周りの威嚇を買って出てくれている。
ユキネに適応しているのかユキネが持つ場合には筆でも持っているかのようにほとんど重さを感じないが、本来ならしっかりと体が出来た男が使うような剣であり、それを少女が片手で担いでいるのが不気味さを醸しているらしい。
鎧の着心地がぎこちなくて、慣れた剣の腹を額に当てる。
冷たくて硬い鉄の感触が今は落ち着きを与えてくれた。
落ち着いて初めて、自分の意識がどこか上の空に浮かんでいた事を自覚する。
視線を上げると、もうほとんどの人間が周りの人間と、ある程度離れて臨戦態勢に入っているのが見えた。
ある者は拳を固め、ある者は杖を掲げ、ある者は剣を構える。
ユキネもその場で剣を構え、いつでも剣が振れるように集中する。
そして間も無く開戦を告げる銅鑼が鳴った。
比喩などではなく、一瞬で闘技場内の気温が上がった気がした。
どの人間も近くの人間に襲い掛かる。ある者は剣の一振りで数人を吹き飛ばし、ある者はそこら中で火を爆ぜさせる。
上手く働かない頭にとって、それは実に好都合なものだった。
ただ無心に、剣を振るだけでいいのだから。
剣を構える。
「…………ぁ」
何の前触れもなしに、ユキネの中から戦意が抜け落ちた。
呆然とする。
頭の中でいろんな思考が混同する。
集中しろ。
銅鑼が鳴った。
剣と魔法が飛び交っているぞ。
しかし鎧が重い。
いや体が重い。
何で。
何で? 当たり前だ。
そもそも自分を奮い立たせるものが何もない。
惰性でこんな所に立つのがおかしい。
ユキネに迫るのは工夫も見えない刃と土色の魔法。
下げてしまった剣を上げることもできず、ユキネは迫る暴虐をその身に受けた。