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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
100/281

夜の中から

「──っふ!」



 意気に乗せた剣が一呼吸のうちに三回空を切る。


 

 敵はその二つを綺麗に避け、最後の一閃を弾き飛ばすと体制が崩れたユキネを肩から袈裟切りにした。


 バタン、と地面に受身もとらずに仰向けに倒れる。


 

 同時に空想していた敵の姿は途端に頭の中から霧散した。



「"母様"は強すぎるな…」



 宿から少し裏路に入って少し歩いた所にある広場にユキネはいた。



 この町に来たその日に見つけた場所で、この辺りは商業区なので子供が遊んでいることもほとんど無い。


 夜になると腹ごなしに剣を振るのが習慣になっていた。時々はフェンに魔法を教えてもらうこともあるがもう今日は一人だ。



 それもそのはず、今はもう普通の町なら町後と寝静まっているような時間帯だ。


 しかしこの町の、加えてこの時期なら酒場はもちろん町中で夜更けまで騒ぎまくる。


 この辺りはまだ住宅街だから物静かだが、大通りに行けばまだどの店も店を閉めてもいないだろう。



 今の時間は丁度日付が変わったぐらいだろうか。


 普段ならもう寝ている時間帯だし、夜になってからここに来ることもない。


 


 しかし、今日はどうしても眠れなかった。


 ベッドに入り、目を閉じて他の仲間達の寝息が聞こえ始めても眠気が一向にやって来そうになかった。


 予選で負けてしまった今、別に明日何かある訳でもないし無理に眠る必要はないか、と起きて酒場にでも行こうかと思った。


 しかし、そこでハルユキがまだ帰って来ていないのに気付いた。



 今顔を合わせるのだけは嫌で。


 だから適当に町を歩いていたらこの広場に行き着いたわけだ。



「…馬鹿らしい」



 また立ち上がって、剣を握って次の敵を空想する。




 "母様"は空想100%なので適わない。それどころか参考にもならない。


 もっと現実的で、戦い方が分かっている人間が良い。




 最初に浮かんだのは燃えるように紅い髪で年のころが同じくらいの少女。反射的に頭を振って追い出した。


 次に出てきたのは黒髪で見慣れた顔の男。今度は目を瞑って打ち消した。


 何度も何度もその二人が、しかも時々は並んで出現した。


 どうしても、心から追い出すことが出来なくて構えた剣を地面に下ろす。



 

 そして結局一度も剣を振る事無く、その場にまた倒れこんだ。


 勝てるはずも無い勝負なんてしたくない。予選で負けるような人間が、何を夢見ているのだ。


 

 剣を握った指から力を抜き、意識を紛らわせたくて逃げるように夜空を見上げた。


 所々厚い雲が出来ているようだが、ユキネの視線の先に雲は無く、運良くも星空を眺めることが出来る。






 星空を見て、どうしても思い出しまうものがあった。



 半年ほど前に、涙が枯れ果てるほどに泣いた事を。一晩中感じていた温もりを。


 思い出すだけで温かくなれるとっておきの思い出だった。しかし、今は夜の肌寒さを際立たせるものでしかない。




 瞼が熱い、と感じたときには星空が水をぶちまけたかのように滲んでいた。



 両腕を目の上で交差させて、瞼を押さえる。


 その代わりに口から、嫌な物が零れた。



「どうして…?」



 


 ──どうして、居てくれなかったのだろう。


 我侭だと言うことは分かっている。喧嘩もしていたし、この頃はずっと気まずい雰囲気だった。


 それでも、目を覚ましてまずその姿を探したのに。


 手を握っていて欲しかったのに。


 泣きたい時は胸ぐらい貸してやると言ったくせに。


 傍に居て欲しいのに。




 ──勝手だ。自分に吐き気がするほどに。


 どこにいるのもそれこそハルユキの自由だ。


 今まで居て欲しいときにたまたま居てくれていただけだ。


 ハルユキより強くなるなどとのたまったのはどの口だ。


 子ども扱いするなと言っておきながら、甘えたいなどとふざけるな。



 一緒に居る事に、後ろめたささえ感じていたのも。


 たかが予選で敗退したのも。


 ハルユキとノインが一緒にいるのを見れないのも。


 ここで一人で泣いている事でさえ。


 全て全て何もかも。


 私が、弱いからなのに。



 今、ノインと一緒に居るのだろうか。ノインが居れば自分は要らないのだろうか、と。


 そんな非力な考えが頭の中を占めていることが許せない。


 考えていく内に顔がぐしゃぐしゃに歪んでいくのが分かった。




 込み上げる怒りに任せて剣を握った。立ち上がると既に空想の敵などいない。

 

 好都合だ。



 何もない夜の闇に向かって出鱈目に剣を振り下ろした。


 何度も、


 何度も。



 そして不意に。


 ボロッと、抑えるモノが無くなった目から熱いものが零れて、頬を伝った。


 構わず思い切り剣を振るとそれは空気中に弾き飛ばされる。



 零れて。また振り切る。


 でも、一度零れてしまったら剣のほうが追いつかなかった。


 腕が震え、結局またすぐに剣が地面に落ちた。



「…っぅ…ぁ」



 嗚咽を漏らしながらその場にへたりこんだ。


 今更声を我慢した所で何が変わるわけも無い。意味もない。


 しかし一体自分の中の何が許さないのか、ただ必死に唇をかみ締めて声を押し殺しながら、只管溢れてくる涙を拭いていた。




 自分のえづく音が広場に消えて行く中で。


 不意に。


 ヒュン、と風を切る音が聞こえた。


 

 そしてその一瞬後、十メートルほど向こうの地面に何かが衝突して砂塵を巻き上げた。



「え……? うわッ…!?」




 ドドドドドド度ドドドドドドドド度ドドドドドド呶呶ドド弩ドドドドドドドドドドドドドド奴どドドドドドドドドドドドドドドドド弩───…!



 息つく間も無く、そして当然事態を把握していないユキネに構うことも無く、最初の何かを追うように、砂塵を切り裂きながら剣弾の雨が降り注いだ。


 剣は最初から血に染まっている。いや、むしろ"血で構成されている"ように真紅に光っていた。



「レイ…!?」



 屋根の上で今までに見たことが無いほど無表情で剣の雨を眺めている女は間違いなく。月明かりの下で艶やか振袖をはためかせている血の鬼は間違いなく──。



 その間も剣の行進が止む事はない。毎秒数十本という規模で打ち出される剣群はその先のことごとくを塵殺する。




 地面ごと削りとって葬り去っていく光景に一種の憧れさえも抱きそうになっていた頃、ようやく地面を掘削する音が止んだ。




 剣の雨が上がり風が砂塵を吹き飛ばしその跡が露になる。



 壮絶だった。



 平地だった地面は大きく放射状に抉り取られ、その中心には紅い剣が塔のように突き刺さりながら積み上がっている。


 全く状況を把握できない、がどうやら何か一つの出来事が終わったらしい事は理解できた。変わらず屋根の上で剣の塔を睨みつけるレイに声をかけようと口を開けた。



 その瞬間。



「ッ─gt───ァ──…、─sp─l──ッ!!!!」



 鼓膜に。


 直接刃を入れたかのような痛みが走った。



「何、だ…!?」



 押さえた手を苦ともせずに耳を襲うその痛みの正体は、音。しかも恐らくは叫び声。


 今まで聞いた事が無いような高すぎる音に、言葉として意味なんてあるはずもない。


 しかし何故かそれは人間の断末魔のように聞こえて、一瞬で全身の肌を粟だたせていく。


 直後、剣の塔の間、まさに針の間ほどの隙間から何かが這い出してくるのが見えた。


 それは蟲のようで、蛇のようで、針のようで、呪のようで、血のようで。


 そんな生理的に受け付けないものを全て足して割った様な印象を脳髄に刻み付けられる。



「──"終盤"」



 そんな凶声を押し退け得るとは思えない声が、事実呪詛のような声を打ち払って、広場に凛と響いた。


 一瞬で真紅の魔法陣が広がる。


 更に僅か一秒程の時間でそれが大小問わずに数十個複製されていく。


 

 地面が突き刺さった剣さえも紅く赤く染まっていく。──いや、そもそも魔法陣の基盤が剣の配置になっているようだ。



 それを看破した事に頭が追いついた瞬間。



 合計数十個は在ろうかという程の魔方陣から。



 天に向かって赤い魔力の奔流が立ち昇った。




 同時に、紅剣群の行進の時よりも黒い叫び声などよりも、比べ物にならないほど巨大な轟音が最早衝撃となり広場に拡がっていく。

 

 吹き飛ばされそうになるのを剣を地面に突き立て何とか堪える。


 吹き荒ぶ砂塵の中で何とか目を開け顔を上げる。



 すると、何とも形容しがたい姿をしていた黒い不吉が、幻想的ともいえる風景の中に飲み込まれて無念そうに消え去るのが見えた。




 やがて魔力の紅い柱はだんだんと痩せ細って光を失っていく。


 最後は糸のようにまで柱は細くなり、それが途切れた瞬間、街灯がほっそり照らすだけの夜の闇が戻った。



 あっという間にやって来て怒涛のように去って行った出来事に息を荒げながら夜の闇を見上げていると、強く土を踏む音が聞こえた。



「応、ユキネか。また妙な所で会うのう」



 そんな、まるで昼間に喫茶店でたまたま顔を合わせたかのような声と表情でとある吸血鬼が話しかけてきた。




◆ ◆ ◆




 レイが右手を翳すとあの衝撃でも傷一つ付かなかった紅い剣が液状に形を変え、レイの右手から体内に潜り込んでいった。



「何しとるんじゃ? こんな時間にこんな所で」



 十メートル先で地面を調べながら、声だけでレイが話し掛けてきた。



「…レイこそ、一体何を…?」



 声に泣いていた形跡が残っていないかと一瞬警戒したが、多分問題はなかったと思う。



「儂は吸血鬼じゃからな。言ったじゃろう? よく命を狙われると」



 その言葉は余りに淡々とし過ぎていて、言葉を上手く聞き取れなかった錯覚に陥った。


 聞いてはいた。そもそも吸血鬼は命を狙われる立場にあると。


 だから、本来なら言葉の意味を考える必要すらない。


 しかしあんなものを見て今ようやく、その事が飲み込めた気がした。



「人、なのか…?」

「まあ、人の時もある。ただ大体はああいった人の形をした妖の類じゃの。いやまあ実質は何も分からんのじゃがな」



 ふうと溜め息をつきながら、顔を上げた。



「さて今度はお主が答える番じゃ」

「…剣を、振っていたんだ。鍛錬だ」



 こちらに歩み寄ってくるレイに向かって笑いながらそう答えた。


 鍛錬などとそんな偉いものではなかった。一番近いもので言えばただの八つ当たりだ。それを口にするのがあまりに悔しくて。



 自分でも驚くほど滑らかに。


 嘘をついた。


 随分と、簡単に嘘をつくようになったものだ。



「そんな、泣き腫らした目でか?」



 しかし、数百年の生を歩んできた吸血鬼には稚拙なものだったらしい。


 慌てて腕で目を覆うが、それはレイの言葉を肯定することでしかなかった。



「ふむ」



 レイの視線が一瞬だけ剣に移り、そして直ぐに戻ってきた。


 その顔は悪戯を思いついた子供のように。



「鍛錬か。よし、なら少しだけ稽古を付けてやろう」

「え…?」



 気付けばレイが懐の中に居た。


 速い──。



 ユキネは初動に気付くこともできない。


 そしてそのまま、拳が作られた右腕がユキネに躊躇無く接近する。



「がッ…!!」

「ほう…!」



 無意識の内に剣が手の内にあり、引き寄せられるように拳と体の間に滑り込ませていた。


 しかし、人外の筋力を殺しきる事は到底適わず、体ごと数メートル吹き飛ばされる。


 地面からも二mほどの高さまで押し上げられた。



 何て、馬鹿げた身体能力。



「…こ、のッ!」



 空中で無理矢理体勢を変え、地面に着地して顔を上げる。


 そして目の前に、蹴りの途中で止められた白く艶やかな足。



「……参った」



 強制されるでもなく、寸止めされた足に向かって投了した。



「よし立て。もう一手。今度は不意打ち無しじゃ」

「…分かった」



 一呼吸置いて、距離をとった。


 レイも両手に紅の剣を精製する。








 そして、5分後には夜空を見上げていた。


「ふむ、本当は2分の予定だったのじゃが」

「息、一つ、ッ…乱さずに、何を…言うっ」

「別に手加減したわけじゃない。ただお主より儂の方が強かっただけじゃ」



 そう言ってカラカラと笑いながら、大の字で転がっているユキネの横に腰掛けた。



「鍛錬という事は何じゃ。来る本戦に向けて特訓か?」

「あ……」



 レイは、知らない。


 愉快そうに笑うレイの言葉に、何とも言えない気持ち悪さが胸の中に広がる。



「そうじゃの。思っていたよりもお主出来るようじゃからの。ひょっとすればあの馬鹿にも一太刀位いれられるかもしれんぞ」

「いや、そうじゃなくて…」



 少しは期待をかけて貰っているのに、それを既に裏切っている。


 その事実がユキネの中の罪悪感が肥大させていく。



「何じゃ。優勝でも狙っているのか。そうじゃな、組み合わせ次第では如何にかならん事も…」

「…レイ」



 罪悪感が体から形を変えて溢れてきそうで、堪らず上体を起こし、レイの声を阻んだ。



「負けた…。私は今日。予選で、負けたんだ」

「……………」



 顔を見ることなど到底出来ず、足元の芝生を見ながら呟いた。


 ほんの少しだけ気まずい沈黙が続いて、ゆっくりとレイの口が開く気配が伝わってきた。


 そして──。






「知っとるわ、バーカ」





 そんな事を言い腐りやがった。


 え? と我ながらアホ丸出しの声を出しながらレイに顔を向ける。視線の先には、こちらを指差し馬鹿にしているかのように頬を膨らませて、腹を抱える姿。


 胸に抱えていた罪悪感が霧散した、と同時に、こめかみの血管が浮かび上がった。



「……帰れ、性悪にーと」



 ビクン、と一際大きくレイの体が震えて、その後ゆっくりこちらを向いた。


 表情としては笑顔に分類されるであろうその顔には、私と同じように血管がしっかりと浮き出ている。



「…よーしもう一遍鍛錬といこうか泣き虫娘」

「臨む所だ穀潰し婆…!」



 一瞬空いて、お互いに斥力でも働いているのかというほどの勢いで距離をとり、再び先程の斥力を超える速さで接近した。


 ほんの一握りの憤りが、涙を止めてくれているのは、何となく自覚していた。





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