第1章:生存戦略と、毒入りのスープ
「……死ぬ。このままだと、恋に落ちる前に物理的か社会的に死ぬわ」
昨夜の出来事を思い出し、私は頭を抱えて自室の文机に伏した。
腹違いの兄であり、この国の実権を握る第一皇子・李耀天。
あの冷酷無比な男が見せた、苦々しい葛藤の表情と耳根の赤さ。
あれは間違いなく、男相手に理性が揺らいでいた顔だ。
(あぶなさすぎる……! 相手は国のトップよ!? もしあっちの理性が吹き飛んで手を出されたら、私(男の身体)の貞操も命も一気に吹き飛ぶじゃないの!)
この大華帝国において、皇帝や権力者が男寵を抱く「断袖」の風習自体はある。だが、私はただの男寵になって愛憎劇の渦に巻き込まれるつもりなど毛頭ない。
目標はただ一つ。
「無能で無害な弟」を徹底的に演じきり、ほとぼりが冷めた頃に小さな領地をもらって地方へ隠居すること。
「よし……! まずは『私には政治的価値も、男としての魅力もありません』というアピールからね」
方針を固めた私の元へ、トントンと軽やかなノックの音が響いた。
「第九皇子様、朝食をお持ちいたしました」
入ってきたのは、私専属の小仕丁(下働き)である少年・小蘭だ。
彼が手に持っていたお盆には、湯気を立てるお粥と、いくつかの小鉢、そして深緑色の綺麗なスープが載っていた。
「小蘭、ご苦労様。今日も美味しそうね……じゃなくて、美味しそうだな」
うっかり口調が出そうになり、慌てて咳払いをして男らしく(?)言い直す。
小蘭は「ふふ」と可愛らしく笑いながら、膳を机の上に並べた。
「皇子様、最近なんだか雰囲気がお優しくなりましたね。以前はいつもおどおどされていて、声をかけるのも怖かったのですが……」
「そ、そうか? まあ、命の危機を感じると人間変わるものさ」
乾いた笑いを浮かべつつ、私はスープに手を伸ばそうとした。
――その時。
(……ん?)
前世で乙女ゲームやサスペンスドラマを嗜んでいた私の勘が、猛烈に警鐘を鳴らした。
スープの表面に浮かぶ、かすかな油の浮き方。そして、ほのかに漂うアーモンドのような香気。
(これ……杏仁の香り? いや、中華後宮もので『アーモンド臭』といえば――毒やんけ!!)
背中に冷や汗がドバッと吹き出す。
そうだ、ここは中華宮廷。私のような「冷遇された皇子」は、いつ誰に毒殺されてもおかしくないポジションなのだ。耀天からのアプローチ(?)にビビっている場合ではなかった。命の危険はリアルタイムで迫っていたのだ。
「あの……皇子様? お口に合いませんでしたか?」
不審がる小蘭を見て、私は咄嗟に頭を回転させた。
ここで「毒が入っている!」と大騒ぎすれば、犯人はもみ消しに走り、私は「騒ぎを起こした厄介者」として処罰されるかもしれない。
かといって黙って飲むわけにもいかない。
(待てよ……? これ、逆に使えるんじゃない?)
私はピンと閃いた。
毒殺されかけたことを「巧みに」「大事にせず」、かつ「上の人間(耀天)」の耳にだけ届くように立ち回ればどうだろう?
「自分は毒を盛られても騒がない、争いを望まない無害な人間です」とアピールしつつ、自分の身の安全を確保できるかもしれない。
「小蘭。このスープ、すごく良い香りがするね。……でも、急に『お兄様』と一緒に食べたい気分になっちゃったな」
「えっ……お、お兄様というと……第一皇子、摂政閣下のことですか!?」
小蘭が恐怖で顔を青くする。無理もない。耀天はこの宮廷で最も恐れられている男だ。
「そう! 兄弟の絆を深めるために、差し入れとして持って行くことにするよ。準備を手伝ってくれる?」
私は満面の笑みを浮かべた。
(耀天お兄様。あなたが私に妙な執着を見せるなら、その権力、有効活用させてもらいますよ……!)
自分の命を守るため、そして「無害な弟」として無事に宮廷を逃げ切るため。
私は 毒 入りのスープを豪華な重箱に詰め、いざ、魔王(摂政閣下)の執務室へと向かうのだった。




