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〜epilogue〜 オレンジハートムーンの味


――3ヶ月後。


田島と紗江は、静かに愛を育むように、お互いのタイミングを図りながら二人の時間を楽しんでいた。


言葉にしなくても伝わる想い。

ふとした瞬間に重なる視線。

離れている時間さえも、互いの存在を感じられるような穏やかな日々だった。


けれど、その静けさに割り込むように、三上は二日に一度のペースで紗江へメッセージを送ってくるようになった。


あの宣告以来――三上は、紗江への強い想いを隠さなくなっていた。


――紗江さん、あなたをイメージしたデセールを作りました。是非、食べに来て頂きたい。


紗江はしばらく画面を見つめた後、ゆっくり指を動かした。


――ありがとうございます。近々伺いますので……その時にでも。


――本当に? いつ頃お会い出来ますか?


――二週間後の週末に伺います。


――分かりました。楽しみに待っています。


携帯をデスクに置くと、紗江は深いため息をついた。


「……私は、どうしたらいいんだろう……」


ふと両手で頭を抱える。


その時だった。


「課長〜、今夜飲みに行きませんか〜?」


澤口の明るい声に、紗江は顔を上げた。


「……久しぶりに、飲もっか」


その夜、二人は仙台の街へ繰り出した。


連れて行かれたのは、女子の部屋をコンセプトにした少し変わった店。柔らかな照明の下、ソファー席には可愛らしいクッションが並んでいた。


「課長〜、お腹空いてません? こんなのありますょ〜」


澤口が指差したのは、伊勢海老をふんだんに使ったパスタだった。


「それ食べたい!」


二人はおつまみを二品と伊勢海老のパスタを注文し、秋保ワインで乾杯した。


「……何か、課長、重い顔してるから心配になっちゃって」


「えっ? そんな顔してた?」


「ホームシックですか? しっかりしてくださいょ〜」


「ん……う〜ん……」


紗江がワインを口に含んだ、その時――携帯が鳴った。


画面に表示された名前は、田島。


紗江は慌てて店内の電話BOXへ入った。


「もしもし……どうしたの?」


『ん〜……君の声が無性に聴きたくなって』


その一言に、紗江の胸がきゅっと痛んだ。


「……あのね、三上さんから連絡があって、お店に招待されたの。あなたも来れない?」


『えっ?』


一瞬、田島の声が揺れた。


「二週間後の週末……だけど」


『……日曜日の夕方なら大丈夫』


「分かった。じゃあ、Dolce Mareに16時。大丈夫?」


『分かった。紗江……泊まるの?』


「ん〜……これから考えるわ」


電話を切った紗江は、しばらく携帯を見つめていた。


――そして二週間後。


東京行きの新幹線の窓から、紗江は流れゆく景色を眺めていた。


季節は冬へ向かい始めている。

柔らかな陽射しが車窓を照らし、胸の奥には懐かしさと不安が入り混じっていた。


東京駅に着くと、本社時代にお世話になった上司が改札口で手を振っていた。


「朝比奈くん!」


「部長……!」


久しぶりに見る顔に、紗江は思わず笑った。


近くのcafeで近況を話し、仙台の土産を手渡す。


「朝比奈くん…身体に気をつけてね」


「はい。ありがとうございます」


上司と別れた紗江は、Dolce Mareへ向かうタクシーに乗り込んだ。


見慣れた東京の街並みが流れていく。


「……懐かしい……」


頬を一筋の涙が伝った。


Dolce Mareの重厚な扉を開ける。


「紗江さん……!」


海が目を見開いた。


「お久しぶりです。お待ちしていました」


「海くんも……相変わらずイケメンね。懐かしい……」


紗江は仙台土産を差し出した。


「もう一人来るの。奥の席でもいい?」


「もちろんです。まだ開店前なので、お好きな席へどうぞ」


やがて海がコーヒーを運んできた。


「お連れ様が来るまで……よかったら」


「ありがとう……懐かしいわね。この匂いも、この空間も……」


コーヒーの香りが、過去の記憶を静かに呼び起こしていく。


その時――


重厚な扉が開いた。


黒いコーディネートに身を包み、帽子を目深に被った田島が入ってきた。


「……待たせたな」


紗江の向かいに腰を下ろす。


すると厨房からスタッフが現れ、白いプレートを静かにテーブルへ置いた。


「Fleur de Neige(フルール・ドゥ・ネージュ)でございます」


白いモンブラン。


続いて海がRivesaltes Ambré

(リヴザルト・アンブレ)のスパークリングワインを運んできた。


「ナッツやドライフルーツ、キャラメルのような熟成香を持つ強化ワインで、栗の香ばしさとよく合います」


一礼して去っていく海。


二人がフォークを手にした、その瞬間――三上が現れた。


「……冬の花をイメージして作りました」


三上は紗江を見つめた。


「凛とした冬の日に、雪の中で静かに咲く一輪の花が……紗江さんに似ている気がして」


田島の手からフォークが落ちる。


「お前……何なんだょ」


低い声だった。


「何で俺とコイツの邪魔するんだょ!」


三上は静かに田島を見つめた。


その時、紗江が口を開いた。


「今日は、は…はっきりさせようと思って、仙台から来ました」


「えっ?」


田島と三上の声が重なる。


紗江は二人を交互に見つめた。


「わ……私は、どちらの気持ちも選べません」


「えっ? な…何言ってんの、お前……」


田島の声が震える。


紗江は涙を堪えながら、静かに続けた。


「私は……仕事に生きていきます」


「えっ……?」


二人の声が再び重なった。


「こ……婚約、解消するのかょ?」

田島


「……ごめんなさい」


「じょ…冗談だろ……そんなの、俺は認めねぇょ!」


田島は必死に紗江を見つめた。


やがて三上を振り返る。


「お前のせいだろうがっ!」


胸ぐらを掴まれても、三上は動かなかった。


「……紗江さんが決めたことですから」


田島はテーブルの上のキャップを掴み、深く被った。


「……帰るっ!」


そして店を出て行った。


残された紗江の瞳から、涙が静かに零れ落ちる。


三上は俯いた。


「紗江さん……申し訳ありませんでした……」


何度も、何度も謝った。


紗江は震える手でフォークを握り、モンブランを一口食べた。


――甘い。


けれど、その奥には、どこか苦い味がした。


Fleur de Neigeーー冬の花。


その甘さはいつまでも口の中に残り、東京駅に戻っても、栗の香りと恋の苦さが消えることはなかった。


――これで、良かったのだろうか。


今でも分からない。


それでも、誰かを選ぶのではなく、自分自身の道を歩いていく。


それが、私らしいのかもしれない……。


田島との恋。

三上との恋。


どちらも、決して忘れることのできない大切な時間だった。


甘くて、ほろ苦くて、少し切ない。


まるで――


オレンジハートムーンの味。


紗江は窓の外を見つめ、ほんの少しだけ微笑んだ。


そしてまた、自分の未来へ向かって歩き始めた。

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