平穏(ティータイム)を破壊する『新キャラ』
俺が優雅なモブライフを満喫し始めてから、約一ヶ月が経った。
俺の『モブ・ネットワーク・サービス』は順調そのもの。ノワールズたちは優秀なスパイとして王都の裏情報を掌握し、俺の口座残高は天文学的な数字に膨れ上がっていた。
「……暇だ」
屋敷の自室。最高級のソファに身を沈め、俺は天井を見上げて呟いた。
金もある。安全も確保されている。面倒なイベントもない。これこそ、俺が夢に見た究極の平穏。だが、皮肉なことに、暇すぎると人間、余計なことを考えてしまうものらしい。
(作者は、今頃どうしているだろうか)
あれだけ派手に筋書きを破壊したのだ。もはや、この物語の執筆を放棄していてもおかしくない。そうであれば、俺にとっては最高のエンディングだ。
そんな俺の甘い考えは、突如として窓の外から聞こえてきた、ルナの短い悲鳴によって打ち砕かれた。
「きゃっ! な、なんですか、あなたは!?」
俺が慌てて窓から庭を見下ろすと、そこには、信じられない光景が広がっていた。
庭の噴水から、あるいは地面から染み出すようにして、半透明で水色の、人間の形をした『何か』が、次々と湧き出してきていたのだ。その姿は、まるでゼリーで作られたマネキンのよう。感情の読めない、のっぺりとした顔が、一斉に屋敷を見上げている。
スライム。それも、人型のスライムだ。
そして、その一体が、庭の手入れをしていたルナの腕を掴んでいた。
「ルナ!」
俺が叫ぶのと同時に、屋敷の中から飛び出してきたノワールズの数人が、スライムに襲いかかる。
だが、信じられないことに、ノワールズの鋭い爪も、強力な体当たりも、そのぷるぷるとした体には全く効果がなかった。攻撃は、まるで水の中に石を投げるように、手応えなくスライムの体を通り抜けるだけ。逆に、スライムが腕を振るうと、ノワールズたちが「きゃっ!」と悲鳴を上げて弾き飛ばされた。
(強い……! ノワールズが、全く歯が立たないだと!?)
これは、作者が送り込んできた、新たな刺客。
これまでの罠とは、明らかにレベルが違う。ノワールズという俺の戦力を、完全に無力化するためだけにチューニングされた、完璧なメタキャラクターだ。
そして、その狙いは、すぐに明らかになった。
一体の人型スライムが、俺のいる部屋の窓を、音もなくすり抜けて侵入してきた。
そいつは、俺の前に立つと、そののっぺりとした顔の中心に、ゆっくりと一つの『目』を開いた。そして、声帯もないはずの体から、直接俺の脳内に響くような、無機質な声を送ってきた。
《ターゲット『水無瀬』ヲ、確認》
「……なんだ、お前は」
《我々ハ、『プロトコル・スライム』。創造主ノ意思ヲ代行スル者》
プロトコル・スライム。その名の通り、作者の命令を忠実に実行するためだけの存在か。
《創造主ヨリ、最終通告。貴様ハ、物語ニ対シ、非協力的スギル。ヨッテ、貴様ノ自由意志ヲ剥奪。我々ガ、貴様ノ身体ヲ『乗っ取り』、物語ヲ正常ナ進行ルートヘト強制的に回帰サセル》
「……乗っ取る、だと?」
《ソウダ。貴様ノ意識ハ、精神ノ深淵ヘト沈メル。ソシテ、我々ノ一体ガ、貴様ノ肉体、知識、能力ヲ完全ニ引キ継ギ、『主人公・ミナセ』トシテ、アリシア殿下ト共ニ、魔王討伐ノ旅ヘ出発スル》
最悪だ。これは、これまでで最も悪質で、最も屈辱的な攻撃。
俺という存在そのものを、内側から乗っ取り、作者の思い通りの操り人形に変えてしまうというのか。
俺が築き上げてきた全てを、この偽物の俺が、作者の筋書き通りに動かすために利用するというのか。
《サア、抵抗ハ無意味ダ。オトナシク、身体ヲ明ケ渡セ》
プロトコル・スライムはそう言うと、その半透明の腕を、俺の胸に、ゆっくりと、抵抗なく、沈めてきた。
冷たいゼリーが、心臓を直接掴むような、悪夢のような感触。
作者よ、お前は、ついに、俺というキャラクターの人権すら、完全に無視する道を選んだか。
これはもう、物語じゃない。
ただの、神による、一方的な暴力だ。




