第七話『人間ってのは複雑で、ズルい』
大変というよりは、不思議な一日だったと思いながら、いつもより少しだけ疲労感を覚えて宿屋のベッドに身体を落とし、目が覚めるといつもより少しだけ陽が高いように思えた。
軽く身支度を整えて部屋から出ると、まるで俺を待っていたかのように、綺麗な黒髪が揺れていた。
「おはよう、ございます……っ」
リューネの顔は少しだけ膨れている。ただ、疲れは取れているようで昨日よりも血色は良く見えた。
やはり、昨日は彼女にとっても色々な――どういう感情が渦巻いていたのかは想像出来ないが、大変な一日だったのだろうということは分かった。
「おう、元気そうな顔をしてる。初めましてだな」
「へっ?! 何言ってるんです?!」
むくれ顔よりかは、驚かせた方がまだマシだろうと、俺は軽口を叩く。
「冗談だ。悪かったな、待たせたんだろ?」
「え? えぇ……まぁ、少し」
その少しがどれくらいだったかは、聞かずにおこうと思い、とりあえず食堂へ歩き始めると、隣で小さく足音を鳴らしていた主から、クゥーっという小さな音が聞こえた。
「あっ」
反応しなければ良かっただろうに、と思った。
「あぁ……」
反応しなければ良かったな、と思った。
思えば、リューネは無一文だったのだ。宿賃は俺が渡していた分から引かれたにせよ。食堂を利用するお金も持っていない。
先日の俺達は、宿屋について早々に別行動を取っているし、俺は食事もとらずに眠ってしまっていたから気づかなかったが、思えばリューネはしばらく何も食べていないということになる。
「す、すみま……」
「いや、やめろ、謝られるのは筋が合わん」
真っ赤な顔をしたリューネに、俺は懐から丸い皮財布を出し、数日は食事に困らない程度の金貨をリューネに手渡した。
「気づかなかった俺も悪いが、お前も言え。確かに時間ってもんは関係を作るのに必要だが、こういうことで遠慮はやめろ」
「は、はい……」
色んな事に気を遣って、合理的な事を軸としていた彼女であっても、流石に『お腹が空いたので無一文だけれどお金をください』と言うのは、はばかられたのだろう。
「生きる為に食うのは合理だろ」
「そ、それもそうですが……も、もうやめてもらっても……」
顔がどんどん赤くなっていく。
確かに、俺の部屋の前で待つ程の事があっただろうかと思えば、その恥ずかしさも分かる。
なんというか、食事を待っている忠犬か何かのように見えたという事は、流石に黙っておくことにした。
そんなやり取りをしているうちに、二階にあった俺達の借り部屋から、食堂につくと、スープの良い香りが漂っていた。
自給自足でやっていける程、この村には良い土壌も、良い農家もいないので、殆どは勇者パーティーの為に定期補給される食料で賄われている。
だからこそ、この宿の食事は栄養もあるし、美味しい。
基本的に、この村の施設は殆どが国によって作られた施設、それと同時に国から集められた人材で出来ている。
この宿屋でも、金を弾んだ上で望めば、王都の料亭の食事くらいは用意してくれるはずだ。
しかし、俺達にそんな豪勢な料理は不相応というもの。
「……頂きます」
うんとお腹が減っているだろうに、リューネは丁寧に、噛みしめるように一口ずつパンを千切っては噛み、時折スープを口にして、ホッとした顔をする。清貧といえば聞こえはいいが、少し寂しすぎるような気もする。
「それだけでいいのか? 多少は贅沢しても構わんくらいの蓄えはあるぞ?」
俺はとりあえず簡単な肉料理と卵料理、そうしてパンを頼み、それを口に運び、安くて軽い酒を飲んでいた。
「いえ……このくらいあれば、私は……」
「それが遠慮ならやめろ、二回も言うのは合理的じゃないぞ?」
そう言って、俺は自分の皿から、肉料理と卵料理を新しい皿に移して、そっと彼女の元に差し出す。
「少食なのは本当なんです。ですが、そうですね……頂きます」
彼女はパンを大きめに千切り、肉料理と卵料理を丁寧に挟んで、軽くほうばる。
目の色がパッと明るくなるのが分かって、俺は少しだけホッとした。
――美味しい物を食って喜べるヤツで良かった。
遠慮、合理、空気の読み方。
彼女が器用なようで、それでも不器用な人間なのはなんとなく理解していた。
だからこそ、そういう人間らしさが滲む瞬間が見られるなら、俺が普段高いからあまり頼まない肉料理と卵料理も本望というものだろう。
「少しホッとした」
「ふぁにが……んくっ。何がですか?」
食べる時にはちゃんと飲み込む。だけれど美味しければ口一杯にほうばってしまう。
彼女が追放される理由とは何の関係もない話だ。
――だけれど、追放という一括りの言葉に彼女を置くのは、あまりに寂しい。
食事を終えて、俺達は戦闘準備を整え、目的――プロクスの撃破に向けて、改めて森へと向かう。
「装備を整えただけですが、どうにかなるでしょうか……」
「どうだかなぁ……しかしまぁ、状況が違うからな。ある意味では有利だろうよ」
「……と、言いますと?」
昨日のプロクス戦で、俺達は明らかな失態を見せている。
それは、知能があるプロクス達において、新しい記憶として残っているはずだ。
「油断してただろ、俺達。それに加えて、挑んだ挙句に逃げ出したんだぜ?」
「……いいとこなしですね」
「だから、良い。今回の俺達は油断はしていない。それにあいつらの俺らへの認識は、歪んでるはず」
知能があるからこそ、序列を作る。
プロクスだって、強い人間を見たならば逃亡もするだろう。
ただ、奴らは俺達を決して強い人間だと認識していない。
――逃がすことすら、許したのだから。
それはリューネにとっては分からなくとも、俺にとってはささやかでも屈辱で。
だからこそ、ヤツらが俺達の顔を忘れてしまう前の、出発だった。
「数の利は向こう。だからこそ、頭数を確実に減らす」
「前回もそのつもりではあったんですけれどね……」
「でも、前回はバレただろ? だから今回は、人間のズルさで勝ちゃあいい」
俺は足音をなるべく立てずに、昨日逃亡した道を歩いていく。
リューネもそれに気付いたのか、俺同様に足音を潜めた。
「いるな……二体、か」
「一撃というには、少し無理がありそうですね」
やはり昨日の今日ということもあるのだろう。
プロクスは意識的なのか分からないが、固まって行動しているようだった。
「声を出された時点で、昨日の二の舞、か」
「私の電撃で一時的に拘束くらいは出来るかと……それでその、ヴァルドさんが槍投げの名手だったりは……」
「悪いな、流石に当ては出来るだろうが。急所で一撃というわけにはいかない」
俺達はプロクス達にバレないようにもう少しだけ近づき、お互いの武器を握りしめ、小声で相談を続ける。
「この距離なら、一体目は奇襲出来る。リューネは……確か逃げる時に氷属性も撃ってたよな? 右側の顔面を一気に凍らせることって出来そうか?」
「そのままだと時間がかかるかも、ですね。何か、水分のような媒体があれば良いんですが……」
悠長にお弁当を食べるつもりが無かった俺達の荷物に、食料のようなものはない。
水があれば一番だったのだろうが、それは代替するしかないということだ。
「水分ならいいんだな? なら、それは俺がどうにかする。だから俺が一体目を仕留めたと同時に、二体目の凍結の準備を頼んだ」
リューネは不思議そうに俺の顔を見てから、小さく頷いた。
信用されているのはありがたい話だが、自分で言っていても、確実な作戦だとは思えない。
それでも、これは前哨戦でなくちゃいけない。
まだまだ、俺が出来る事をリューネは知り尽くしていないし、俺もまたリューネが出来る事を知らないのだ。
「一発で、凍らせられるくらいの出力……ですよね?」
彼女は地面に小さく魔法陣を描きながら、呟く。
「あぁ、周りに水分がありゃいいんだろ?」
「それは、そうですが……水辺は遠いですよ?」
彼女は魔法陣を描き終えて、少し不安げな目でこちらをジッと見つめる。
「水辺はいらない。でも媒体なら、今から出来る」
そう言って、俺は槍の感触を確かめ、プロクスの首を貫くイメージをする。
心臓を貫くよりも、断末魔を出させないこと。
むごいとは思えても、それが俺達がすべきことだ。
一体ずつ、確実に、今回は一瞬の油断も無し、グレイズアーセナルの貯蔵も、今は使う時じゃない。
「リューネ、準備はいいか?」
「……はいっ!」
その言葉を聞くと共に、俺は草陰から思い切り跳躍した。
着地音は確実に聞こえる。しかしこの手の槍が届くのならば、密やかに刻む数歩よりも、確実に近づく一歩で構わない。
「悪いな、人間ってのは複雑で、ズルいんだ」
振り返ったプロクスの、喉元に思い切り槍を突き刺す。
それと共に、プロクスの喉元から吹き出す血飛沫。
「リューネ!」
今だ。と言う前に、既に俺が貫いたプロクスの血飛沫が、もう一体のプロクスの口を覆い、凍らせていた。媒介は、奴らの血だ。
「いい判断力だ……よっ!」
それでも、喉を潰したプロクスはまだ抵抗出来る上に、口を覆われただけのプロクスは傷一つ負っていない。
俺は槍を引き抜き、今度は心臓を穿とうとするが、既にプロクスも戦闘態勢に入り、強い殴打が槍の柄に当たる。
声の無い戦いは、鮮烈とまでは呼べずとも、静かに進行していた。
「……逃がすはずがないでしょう」
俺の後ろでジリジリとした音と共に打音が響く。
「あぁ、本当に悪いが、抵抗させる気はあまり無いんだ」
彼女は彼女で相対しているならば、俺もこの一体だけを確実に仕留めたならばいい。
俺は目の前のプロクスの殴打を、跳ねるように避けながら、ヤツへと思い切り槍を振りかぶる。
プロクスは咄嗟に、心臓の位置を守るように身を軽く屈める。
「そこまで頭がいいとは知らなかったな」
魔物だと思って油断していたのは、やはり俺達だったのだろうと思う。
明らかに、プロクスという魔物は、状況を理解しながら戦っているとしか思えなかった。
「でも、そっちじゃねえんだ」
俺はがら空きのプロクスのふとももを貫くように、更に下の地面に向けて槍を投げつける。
動きが一瞬止まり、声にならない声が聞こえる。
「槍に心臓をやられた仲間でもいたんかねぇ……」
言いながら、俺はグレイズアーセナルから、斧を取り出した。
「恨みはないが、そういうもんだからな」
呟いて、俺はプロクスの首を思い切り跳ね飛ばす。
同時に、後ろからもバタリと倒れる音が聞こえた。
「電撃で止まった心臓を動かすなんて話を聞くが、止める方に使うとは、中々な発想だな……」
俺はグレイズアーセナルに斧を戻し、リューネが倒したプロクスの心臓を、引き抜いた槍で改めて刺し穿つ。
「ヴァルドさんも、大概だと思いますよ……?」
頭を跳ねるか、心臓を止めるか。
結局は生命の取り合いなんて、そんなことばかりだ。
「仕方ねえさ、仲良くは出来ねえんだ。さ、次はどうする?」
「とりあえずは、血を落としましょうか」
ため息交じりに、彼女は水魔法で周辺の血飛沫を洗い流し、俺は二体のプロクスの死骸を草むらへと隠した。
「地道にってのは性に合わないが、二人でやるんなら、これが関の山なのかもな」
「いつもは複数人でしたけれど、私は案外嫌いじゃないですよ。こういうの」
屠った生命を後に、俺達はそんな軽口を言いながらまだ見ぬ森の奥へと歩き始める。
ふと隣のリューネの顔を見て、残りのプロクスの数を考えたくないなと思っていたのは、きっと俺だけではないのだろうな、なんてことを思っていた。




