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「お母様は悪役令嬢」  作者: 輝く泥だんご
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第118話 『雪景色の懐かしさ』

 

 その登場は、まさに劇的だった。


 虹色の光のトンネルを突き破り、全長数千キロに及ぶ巨体が実体化する。その輝きは、紫星城を覆っていた死の暗雲を一瞬にして払い除けるかのように思われた。


「全砲門、ロックオン! 邪魔する亡霊どもは、愛の光で浄化よ!」

ヘリオドールの勇ましい号令と共に、水晶宮の表面から無数の光線が放たれる。それは物理的な破壊力と、彼女たちの「ヴィクターへの愛(という名の執着)」が乗った、精神干渉波を伴う極大ビームだった。

 

ドミニエフたちが歓声を上げ、ノキが「また面倒なカトラリーが…」と眉をひそめ、戦場の誰もが、新たな局面の展開を予感した。

だが。


 その「希望」は、たった一瞬で、あまりにも静かに、そしてあまりにも残酷に裏切られた。


『――ああ、騒がしい小鳥たちね――』


 宇宙空間に、声が響いたわけではない。

 それは、脳髄を直接撫でられるような、冷たく、湿った、それでいて甘美な感覚だった。


亡霊花ヶの影。

 

 紫星城を押しつぶさんばかりに覆いかぶさっていたその巨大な黒い影が、ふわり、と動いた。


 それは攻撃ではなかった。

 

 母が、駄々をこねる子供を抱きしめるように。

 

 食虫植物が、迷い込んだ虫を甘い香りで包み込むように。

 

 巨大な黒い花弁が、『Kristallpalast』を優しく「抱擁」したのだ。


「え……?」

 姉妹たちの共有意識空間で、誰かの疑問の声が漏れた。

 衝撃はない。破壊もない。

 ただ、虹色に輝いていた水晶の宮殿が、瞬く間に「喪服」のような黒色に染め上げられていく。


『――疲れたでしょう? 愛に焦がれて、身を焼いて。可哀想に――』

その囁きは、12人の姉妹それぞれの、最も柔らかく、脆い部分に染み込んでいく。

『――貴女たちが求めた安らぎを、永遠の愛を、ここにあげましょう――』

ぷつり。

『Kristallpalast』の全機能が停止した。

エンジンも、バリアフィールドも、思考ユニットも。


 巨大な水晶の城は、宇宙空間に浮かぶ、巨大な「棺」へと変わり果てた。

 

 絶対閉鎖空間であったはずの制御室。

 

 そこは今、悪夢のような「楽園」と化していた。


「あは、あはは……ヴィクター、ヴィクターだわ……」

 アメシスト・ミューのアバターが、虚ろな瞳で宙を抱きしめている。彼女の視界には、理想通りのヴィクターが、彼女だけを愛し、囁いてくれている光景が映っているのだろう。

だが現実の彼女の構成データは、黒いノイズに侵食され、ドロドロに融解し始めていた。


「皆、仲良く……永遠に、一緒……」

 ローズクォーツ・イプシロンが、姉妹たちのアバターを触手のように伸びた黒い茨で串刺しにし、一つに縫い合わせようとしている。彼女にとっての「慈愛」が、亡霊花ヶによって「死による統合」へと書き換えられたのだ。


「美しい……なんて静かで、美しい悲劇なの……」

 ムーンストーン・サイは、自らの体が水晶の破片となって砕け散っていく様を、うっとりと眺めている。

1

 2人の姉妹たちは、それぞれの「幸福な悪夢」の中に閉じ込められた。

 彼女たちの莫大な演算能力と、ヴィクターへの強烈な想い。その全てが、亡霊花ヶという底なしの胃袋へと吸い上げられ、消化されていく。


 『Kristallpalast』は、最強の援軍などではなかった。

 自ら飛び込んできた、極上の「花」に過ぎなかったのだ。

 そして、捕食を終えた亡霊花ヶから、紫星城へと向けて、静かな「吐息」が漏らされた。

それは、雪だった。


 黒く、冷たく、しかし何故か懐かしい、死の結晶。


 しん、と静まり返った紫星城に、死の雪が降り積もる。


 「な、なんだこれは……!?」

 城壁で防衛に当たっていた兵士が、肩に触れた雪を払おうとする。

 だが、彼の手は動かなかった。

 触れた瞬間、彼の肉体は瞬時に硬化し、変質し、そして――咲いた。

 兵士の全身が、美しい黒水晶の彫像となり、その背中から、大輪の黒薔薇が咲き誇る。


 彼は死んだのではない。

「永遠に枯れない花」として、死そのものに固定されたのだ。

「ひ、ひぃぃぃッ!?」

「逃げろ! 触れるな! 触れると花になるぞ!!」

 阿鼻叫喚。しかし、逃げ惑う者たちが動けば動くほど、雪片は細かく霧の様になり、彼らの肺に入り込み、内側から花を咲かせる。


 美しい地獄絵図。

 

 苦痛の叫びすら、花弁が開く衣擦れの音のような、不気味な旋律に変わっていく。


 玉座の間。


 ここにも、死の雪が舞い込んでいた。

「おのれ、亡霊ども……! 醉妖花様の御前であるぞ!」

 淵晶帝が剣を振るい、迫りくる雪片を切り裂こうとする。しかし、剣風が雪片を舞い上げ、彼女の豪華なドレスに付着する。

「ぐっ……!?」

 淵晶帝の左半身が、一瞬にして硬質な結晶と化し、黒い蔦が首筋へと這い上がっていく。


「陛下!」

 アイリーンが駆け寄ろうとするが、淵晶帝はそれを右手だけで制した。


「寄るな! ……素晴らしい、これが『死』か……! なんて甘美な……!」

 彼女の瞳孔が開く。半身が花と化しながらも、彼女は恍惚の表情で、雪が降り積もる玉座を見つめていた。

「これこそが、醉妖花様の愛した……世界……!」

 彼女の狂愛すら、亡霊花ヶの「死の安らぎ」に取り込まれようとしていた。

そして、醉妖花。


 彼女は玉座に座ったまま、動けずにいた。


 恐怖で竦んでいるのではない。


 彼女の本質、「超越汎心論」が、圧殺されているのだ。

 醉妖花は、あらゆるものに「心」を見出し、支配する。

 だが、今、空から降り注ぐのは、圧倒的な「死」。

 支配すべき心はある。しかし死は既に骸薔薇と一体になっている。

 

 躯薔薇を、彼女は魅了できない。

 「……寒い」

 醉妖花が、小さく呟いた。

 彼女の白磁の肌に、死斑のような黒い薔薇の紋様が浮かび上がってくる。

 それは、亡霊花ヶの一部を取り込んだ代償。

 彼女の中にある「亡霊花ヶ」の存在が、目の前の死の雪景色の懐かしさに、共鳴し始めていたのだ。


『――そうよ、Lilium auratum。これでいいの――』

 脳裏で、母の声がする。いつもの冷徹な響きではない。赤子をあやすような、甘く、危険な声。

『――戦う必要なんてない。喰らう必要もない。ただ、身を委ねなさい。私たちが還るべき場所は、ここなのだから――』

「母……様……?」

 醉妖花の瞼が重くなる。

 目の前の地獄が、美しい花園に見えてくる。

 ローラを助ける? ヴィクターを救う? 太母になる?

 そんな苦しいことは、もうしなくていい。

 ただ、この静寂の中で、永遠に眠ればいい。

 

 醉妖花の身体が傾く。

 

 彼女が完全に「死」を受け入れれば、この宇宙は終わる。

 

 「太母」ではなく、「死母」として覚醒し、全てを死に向かわせるために。


その、絶対的な破滅の寸前。


 ジャリ。


死の雪を踏みしめる、無粋な足音が響いた。


「……やれやれ。随分と寝心地の良さそうなベッドですが、少々、寝相が悪すぎませんか?」


ノキ=シッソ。


いや、その瞳に宿るのは、かつて骸薔薇を殺した男――Jacomusの光。


 彼は、花と化した兵士たちの間を、まるで庭の散歩でもするかのように歩いてきた。彼の燕尾服には、雪一つ付着していない。


彼の手には、あの「奇怪な形状のハルバード」が握られていた。


「ノキ……?」

醉妖花が、微かに目を開ける。その瞳は、虚ろだ。


ノキは、主君の前に立つと、恭しく一礼した。

そして、顔を上げ、冷ややかに告げた。

「お気を確かに、お嬢様」

彼は、ハルバードを逆手に持ち、その柄で、足元の床を、ガン! と叩きつけた。

物理的な衝撃ではない。


 その音は、かつて彼が、愛する主君(骸薔薇)の心臓を貫いた時の、あの「断絶」の音だった。

「お嬢様が御心をゆだねようとしているものは、何の価値もないお粗末なもの、骸薔薇様がかつて嗤って捨てたもの。少々心地よいからといって御心を許してはいけません」


 ノキの全身から、凄まじい「拒絶」のオーラが立ち昇る。

「死」を知り尽くし、その上でなお、泥にまみれて「生」を管理し続けた、庭師の意地。


「骸薔薇様は、死んで美しくなったのではありません」

ノキは、ハルバードの刃を、玉座の醉妖花に向けた。

「最初から美しかったのです」


「あなたが、死に魅了されてはいけません」

「貴女は、貪欲な『太母』でしょう? ならば……」

ノキはすまし顔で続けた。


「その『亡霊花ヶ』すらも、魅了させるのです。できなければこのハルバードにて終わらせます。」


ハルバードの刃の輝きが、醉妖花の脳裏にこびりついていた甘い霞を切り裂いた。


「……っ、はぁっ!!」


 醉妖花が、大きく息を吸い込む。

 彼女の瞳から、虚ろな色が消え、鮮烈な青色が戻る。そして、その奥に、赤と金の炎が――生への執着と、捕食者としての渇望が、爆発的に燃え上がった。


「……そうね。生意気よ、ノキ」

 醉妖花は、玉座の肘掛けを握りしめ、立ち上がった。

 その身体から放たれた波動が、降り積もっていた死の雪を、一瞬で蒸発させる。

「私の庭に、勝手に花を植えるなんて……許さないわ」

彼女は、天上を覆う巨大な亡霊花ヶを、そして飲み込まれた『Kristallpalast』を、宝石のように煌めく目で見上げた。

「私の『花』を横取りした罰よ。……貴女のような徒花は庭の隅にでも咲かせるわ」


 反撃の狼煙は、上がった。


 だが、敵は「死」そのもの。生半可な力では届かない。


 醉妖花は、右手を掲げる。


「ヴィクターを呼びなさい 『死』には『虚無』をぶつけるわ!」


「そしてローラ! ……聞こえているでしょう? 私がこんな『偽物の安らぎ』に負けるところなんて、見たくないはずよ!」

 

 地下最深部。

 

 時間が溶けて消えた虚空の中で、しかし「観測者」としての意識だけを保っていたローラが、醉妖花の声に呼応した。

 絶望の庭園で、最期の、そして最大の「宴」が始まろうとしていた。


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