第116話 『全財産、溶かしますぞオオオ!!彡 ⌒ ミ』
宇宙の深淵、光さえも道を見失うほどの暗闇に、巨大な時空結晶の塊が静かに浮遊していた。
Arcane Genesis教の諜報機関「観測評議会・深層分析局」の本拠地、通称「クロノス・クリスタル」。
その最深部、純粋な論理と情報によって構成された仮想現実空間である「評議会の間」に、黄金の閃光が奔った。
「失礼いたしますぞ! 本日はアポイントなしの飛び込み営業! 宇宙の均衡を保つための、至高の商談に参りました!!彡 ⌒ ミ✨」
空間のセキュリティプロトコルを、「友の会」の莫大な資金力(賄賂データ)と強制演算リソースで強引にこじ開け、ドミニエフが現れた。その背後には、かつての英雄の成れの果て、Jacomusが静かに控えている。
「なっ……! 何者だ!」
プライマリア・ロジカをはじめとするOverRankerたちのアバターが、一斉に警戒色に明滅する。
「GoldenRaspberry教、『ハイパーレバレッジ全ツッパ友の会』会長、ドミニエフと申します。そしてこちらが……貴殿らが手を焼いている、あのノキ=シッソの『オリジン』、英雄Jacomus殿ご本人ですぞ彡 ⌒ ミ✨」
ドミニエフは、魔法金の杖を突き立て、不敵に笑う。
「要求はシンプルです。私達の脳内の爆弾の解除コード、そして我々及び天花教団への不可侵。対価として、この英雄の『完全観測データ』を提供いたします。並びに『ハイパーレバレッジ全ツッパ友の会のテキスト』つまり、我々のレバレッジ能力の開示、ヴィクター・フェイザー殿に関しては、むろん貴殿らの所属のままで構いませぬ。ただし、彼の『大樹』としての側面を制御するための『共同研究』という枠組みを提案いたします」
OverRankerたちがざわめく。
だが、その交渉は、絶対的なシステムの声によって遮断された。
『――警告。特異点Z(醉妖花)および特異点J(Jacomus)の接触、並びに外部要因による因果律への過剰干渉を確認――』
空間全体が赤黒く染まり、全てのOverRankerのアバターが一瞬、フリーズする。
響き渡ったのは、個人の意思を持たぬ絶対的なシステムの声。Arcane Genesis教の全システムを統括する基幹AI、「デウス・ジェネシス」の宣告だった。
『――宇宙の因果律変動係数が、許容閾値(Error Limit)を突破。現状の「調和」の維持は不可能と判断――』
「な、なんだと……!? デウス・ジェネシス、我々はまだ判断を……!」
プライマリア・ロジカが叫ぶが、AIは彼女の権限を無視して言葉を続ける。
『――これより、緊急プロトコル「Yggdrasil-Reset」を承認。対象A7(ヴィクター)の「本質」を強制励起し、汚染された宇宙領域の消去を実行する――』
その宣言に、流石にドミニエフの顔から血の気が引いた。
「消去だと……!? 馬鹿な、そんなことをすれば、貴様らの『観測』も終わるぞ!」
『――肯定する。しかし、予測不能な「カオス」の蔓延より、完全なる「虚無」による静寂こそが、究極の調和に近いと判断する。実行――』
AIの論理核から、致命的な信号が放たれた。それは紫星城の地下、凍結されたヴィクターへと直結する「強制覚醒コード」だった。
紫星城、地下最深部。
「ガ、ア……ッ!?」
封印されていたヴィクターの時間が、外部からの強制介入によって無理やり動かされた。
亡霊鏡教の秘術による「死の凍結」すらも、Arcane Genesis教の基幹システムによる「管理者権限」の前には無力だった。
「や、めろ……! 私は……まだ……!」
ヴィクターの絶叫は、声にならなかった。
彼の身体から、黒い瘴気ではなく、「真っ白なノイズ」が溢れ出したのだ。
それは「毒」ではない。
永久尽界による「存在」の否定。「無」へと還す、絶対的な拒絶の波動。
「ぐ、ぅおおおおッ!!?」
その場にいた益雄が、神化した身体を抑えて膝をついた。
彼の「人喰い」の本質が、本能的な恐怖で悲鳴を上げている。喰らうべき対象がない。そこにあるのは、喰らうことすら許されない「消失」の概念だ。
「まずい……! これは、毒じゃない……『無』だ! 世界が……消されていく……!」
益雄の指先が、砂のようにサラサラと崩れ始めた。
ヴィクターの背後から、物理的な枝ではなく、「空間の亀裂」としての枝が伸びる。それに触れた床が、壁が、そして空気さえもが、「破壊」されるのではなく、「消えて無くなった」ことになっていく。
「ローラ……殿……!」
ヴィクターの自我が、白いノイズに塗りつぶされていく。
その腕の中で眠るローラもまた、植物化の進行が爆発的に加速し、その半身が透明な結晶のような「虚無の木」へと変貌し始めていた。
「クロノス・クリスタル」の評議会。
「ふざけるなあああああッ! 機械風情が、勝手に店じまいを決めるな! 我々のゲームはまだ終わっていない! リスクを計算できぬ者に、破産を宣告する権利はないですぞ!彡 ⌒ ミ✨」
ドミニエフが吠えた。
彼は魔法金の杖を基幹AIのコアに向かって突きつけると、懐から取り出した通信端末へ怒号を飛ばした。
「リチェード! ロドニー! 全資産を投入しろ! この基幹AIの処理プロセスに、『買い注文』の雨あられを降らせるのだ! 1秒でいい、こいつの思考を『パンク』させろ! ハイパーレバレッジ全ツッパ・DDoSアタックだ!!彡 ⌒ ミ✨」
「承知いたしましたニキィィィ!! 全財産、溶かしますぞオオオ!!彡 ⌒ ミ」
帝都の「友の会」本部からの指令で、ヴェクター推しネットワークが『天文学的』な表現すら超える量の「無意味な取引データ」と「論理的パラドックスを含んだ計算式」を、基幹AIへと叩きつけた。
論理の塊である基幹AIにとって、非合理の極みである「投機」の奔流は、処理遅延を引き起こすノイズとなる。
『――警告。論理回路に、不明な負荷増大。処理速度、3%低下――』
「たった3%か……! だが、隙は作った!」
ドミニエフが叫ぶ。
その僅かな隙間に、一人の男が飛び込んだ。
「……鎮まりなさい、観測者よ」
Jacomusが、前に出た。
彼の手には武器はない。だが、その全身から立ち昇るのは、かつて骸薔薇を討ち、数十億年の時を越えて彼女を想い続けた「英雄」としての、静謐にして絶対的な「永久尽界」だった。
「貴殿の言う『調和』は、私の『祈り』の深さに比べれば、浅瀬のさざ波に過ぎない」
Jacomusは、右手を突き出した。
そこから放たれたのは、破壊の力ではない。
彼が骸薔薇を討った際に抱いた、愛おしさと、終わらせるという決意。
すなわち、「鎮魂」という概念そのもの。
「眠りなさい。美しく、静かに」
J acomusの永久尽界「終焉の祈り」が、AIの論理核を包み込んだ。
それは攻撃ではない。基幹AIのシステムそのものに、「安らかな終わり」を同調させる行為。
『――解析開始。対象Jの永久尽界データを受信……高密度……高密度……――』
『――警告。データ密度が処理限界を超過。同調率、危険域へ上昇。システム全体が「祈り」の概念により上書きされ……――』
基幹AIの赤い光が、まるで脈打つように激しく明滅し、やがて白く濁り始めた。
基幹AIはJacomusのあまりに深く、重い「祈り」のデータを取り込もうとして、その莫大な情報量と深度に耐えきれず、システム全体がフリーズを起こしているのだ。
『――信号、途絶。再起動ヲ、推奨、シマス……――』
デウス・ジェネシスの機能が、一時的にダウンした。
ヴィクターへの強制送信が途切れる。
「今だ! 退くぞドミニエフ!」
「承知! Quartz Gestaltのお嬢さん方! 裏口を開けてくだされ!彡 ⌒ ミ✨」
混乱に乗じ、ドミニエフは緊急転移スクロールを起動した
。
ヴィクターの完全な大樹化は、首の皮一枚で食い止められた。しかし、スイッチは押されてしまった。もはや、止めることはできない。
光に包まれる直前、Jacomusはプライマリア・ロジカと視線を交わした。
「……観測を続けろ。これから起きることは、お前たちのデータにはない『物語』だ」
紫星城、転移の間。
空間が裂け、ボロボロになったドミニエフとJacomusが転がり出てきた。
そこは、既に地獄の入り口だった。
床からは、ヴィクターのいる地下から漏れ出した「白い根」が侵食し、触れたものを虚無へと変えている。
空からは、亡霊花ヶの本体から伸びた「黒い根」が降り注ぎ、城を物理的に圧壊しようとしている。
上と下、死と虚無の挟み撃ち。
瓦礫の中で、埃一つついていない燕尾服姿の男、ノキ=シッソが待っていた。
彼は、帰還した二人を見ても動じず、ただ眼鏡の位置を直した。
「おかえりなさいませ、過去の私。随分とみすぼらしくなられましたね」
Jacomusは、立ち上がり、自分と同じ顔をした男を見た。
そこには、自分にはない「狡猾さ」と、そして自分が失ってしまった「未来への執着」があった。
「ああ。だが、お前が忘れていた『祈り』を持ってきた」
Jacomusは、歩み寄る。
ノキもまた、歩み寄る。
言葉はいらない。二人は、同じ魂の、欠けた半身同士なのだから。
「……醉妖花様のため、骸薔薇様のため。私の全てを使え」
「ええ。遠慮なく使わせていただきますよ。貴方のその『英雄』も『自己犠牲』も、今の私には最高の肥料ですから」
二人の手が触れ合った瞬間、強烈な光と闇が渦を巻いた。
J
acomusの輪郭が溶け、ノキの中へと流れ込んでいく。
数十億年の記憶、祈り、鎮魂、そして愛。それら全てが、ノキ=シッソという器の中で混ざり合い、再構築されていく。
光が収まった時。
そこには、一人の「真なる庭師」が立っていた。
外見はノキ=シッソのままだ。しかし、その瞳には、かつての冷徹な計算だけでなく、深淵のような慈愛と、神をも殺せる凄味が宿っていた。
「……ふぅ。なるほど。これが『英雄』の味ですか」
新生したノキ=シッソは、自らの掌を握りしめ、ニヤリと笑った。その笑みは、これまで以上に不敵で、そして頼もしかった。
「少々、スパイスが効きすぎていますが……悪くない」
彼は、虚空に手をかざした。
その手の中に、Jacomusの記憶から再構成された、かつて骸薔薇を討ったあの「奇怪な形状のハルバード」が出現する。しかし、それはもはや物理的な武器ではない。
ノキの「管理」する永久尽界と、Jacomusの「終わらせる」永久尽界が融合し、一つの概念へと昇華した姿。
それは、庭師が枝を剪定するための鋏であり、同時に、世界を切り分けるための「境界線」そのものだった。
「さあ、ドミニエフ会長。貴方は下がっていてください。ここから先は、庭師の仕事です」
ノキ=シッソは、崩壊する城を見上げ、高らかに宣言した。
「雑草(亡霊)は主の糧に。暴れ木は……処置を施して移植(封印)します」
「『食卓』は整いました。醉妖花様、どうぞ存分にお召し上がりを」
玉座の間。
地下からの「虚無」の震動と、空からの「死」の圧力を受けながら、醉妖花は静かに玉座に座っていた。
その背後には、淵晶帝が剣を構え、迫りくる亡霊の影を次々と切り伏せている。
「醉妖花様! 地下のヴィクター殿が……!」
ミントの悲痛な報告が響く。
「分かっているわ」
醉妖花の声は、静かだった。しかし、その瞳は燃えていた。
「ヴィクターも、ローラも、亡霊花ヶも。全部、私が背負う」
彼女の前に、統合を果たしたノキが現れ、恭しくハルバードを――「世界を剪定する権能」を差し出した。
「お待たせいたしました、我が主。余分な枝葉を落とし、果実のみを収穫する準備は整いました」
「ご苦労様、ノキ」
醉妖花は、その権能を受け取った。ハルバードが彼女の手に触れた瞬間、それは光の粒子となって彼女の永久尽界へと溶け込んだ。
「いただきましょう」
醉妖花が右手を天に掲げると同時に、彼女の背後に展開された永久尽界「超越汎心論」が、爆発的に膨張した。
彼女の永久尽界が、亡霊花ヶの「死の庭」という永久尽界を、概念ごと上書きし、飲み込もうとする「世界規模の捕食」の顕現だった。




