第19話 点火
「なるほど、良いでしょう。聞くに値する文言ではありました。根拠は理解出来ませんでしたが、興味は持ちました」
葵蒼汰の言葉に少し唖然とした後で、レクシアはそう言った。
「じゃあ――」
緋奈を助けてくれるのか?
と、蒼汰が言おうとした時。
「だからと言って、私の理論を簡単に覆す訳にはいきません。ですからあなたの言う通り、戦いましょう」
闘争の意思を見せたレクシアの眼光が蒼汰を射るが、蒼汰は怯まずにそれを正面から受け止めた。
「葵蒼汰、と言いましたね。もしあなたが万が一にも私に勝つことがあれば、件のパラドクスの存在を許可してみましょう」
「いいのか!?」
「私が許可してもどうせ天意に打ち消されてしまうと思いますが、やってみるだけなら。ただしそれ以上のことは能力的に出来ませんので、それだけは事前に理解しておいてください」
「ああ、分かってる。少しでも可能性があるなら、それに賭けたいんだ」
「まあその前に、あなたが私に勝てる可能性があれば、ですけれど」
「大丈夫」
そう力強く呟いたのは蒼汰ではなく、黙って二人の話を聞いていたアイソドシンクだった。
「全ての可能性は否定出来ません。だから、蒼くんが勝てる可能性もある、はずです」
「アイソドシンク、あなたの得意な理論ですね。私は、否定できる可能性もあると思いますが」
そんなレクシアの抗議は取り合わずに、アイソドシンクはどこか穏やかな表情で口を開く。
「シア。戦いの前に、蒼くんと二人で話をさせてくれませんか?」
レクシアはほんの少しだけ考える仕草を見せるが、やがて。
「………良いでしょう。作戦会議でもするつもりなのかもしれませんが、どれだけ作戦を講じたところで葵蒼汰が私に勝てる確率は極めて低い。精々、最大限の悪足掻きをしてください」
そう言って少年と白い核神に背を向けると。
「私は離れた位置に居ます。準備が出来たら、私のところまで来てください」
という言葉を残して、夜空を風と一緒に泳いで行く。
レクシアの姿が点になっていくのを確認しながら、アイソドシンクが声を、
「蒼く――」
「バカやろうっ!!」
出そうとして遮られた。
「はい?」
目の前の少年にいきなり罵られたアイソドシンクは思いっきりキョトンとしていた。
「『はい?』じゃねえよ! お前、もっと自分を大事にしろ! 概念て言ったって、お前だって痛みは感じるんだろ!?」
「どうしてそれを?」
「別に。味覚があるなら痛覚もあるだろうっていうただの憶測だよ。それなのに、あんな一撃わざと受けるなんて……」
「どうして蒼くんが怒ってるのか分からないのですが。私が痛いと、蒼くんにとって何か不都合ですか?」
「お前が痛いと、俺も同じくらい、心が痛いんだ。それくらいには俺は、お前を気に入ってる」
「それは……私に対して好意を持っている、ということですか?」
「ああ、そうだ」
蒼汰の答えを聞いてアイソドシンクは無表情で少し沈黙した。
「あの、なんかリアクションしてくれないと流石に恥ずかしいんだが……」
「あ、すみません。概念である私が人間から好意を持たれるという事態を想定していなかったので」
「全ての可能性は否定出来ない、んじゃないのか?」
「そう、でしたね」
穏やかに呟くと、アイソドシンクは少し顔を伏せ、そして何かを決意したように息を吸い、また顔を上げた。
「蒼くん」
「なんだ?」
「どこでも構いません。私の肌に触れてください」
「はぁ!?」
ある種、神と戦うことに腹を括った蒼汰だったが、流石にその申し出には目を白黒させた。
「な、何言ってんだよお前……」
アイソドシンクはどぎまぎする蒼汰を首を傾げて不思議そうに眺めるが、それを特に意に介さずに話を続ける。
「あなたに、あげたいものがあるんです」
「あげたい、ものって……」
何を想像しているのかは謎だが蒼汰の目線は右往左往、更には未だ壁に背中がめり込んでいるアイソドシンクの華奢な身体を下から上へと辿っていく。
と、目が合ってしまった。
「早く」
そう急かすアイソドシンクに迷いはない。
「あーもうっ!」
訳も分からぬままに、半ばやけくそ気味に蒼汰は右手を真っ直ぐに伸ばし、そして包み込むように。
その白く柔らかな。
アイソドシンクの。
頬に触れた。
「そのままキスでもされるのかと思いました」
暫しの沈黙の後でアイソドシンクが言った
「それは神様の台詞じゃねえな……。ていうか、キスとか知ってるんだ……」
「これでも世界各地に存在する概念なので、ある程度の知識は有しています。ただ人間のように、その行為を特別なものとは思いませんが」
「じゃあ、今俺がキスしても、なんとも思わないわけ?」
「なんとも思いません。したいのでしたら、どうぞ」
そんな核神に蒼汰は少しばかりドキッとしたが、目の前薄紅の唇を凝視した後で。
「しねーよ、バカ。キスなんていつか死ぬほど愛した女と一回出来ればそれで十分だ」
「そう、ですか」
蒼汰の少しくさいそんな言葉にもアイソドシンクは無表情で、自分で『少し寒かったかな……』と思ってしまった蒼汰にとってある意味救いだった。
「で? 触ってるけど……」
「はい、大丈夫です。これであなたに、あげることが出来ます」
「あの、くれるって、何を?」
不意に、蒼汰の目を真っ直ぐに見つめるアイソドシンクの両眼に、真紅の火が灯った。
「戦う為の、力です」
そしてその火は勢いを増し、やがて蒼汰の瞳に燃え移った――。




