86話 想定外のその先へ
第2章 リオル修行編
86話 想定外のその先へ
朝の第三訓練場は、すでに熱を帯びていた。
土の地面には無数の足跡。
踏み固められたその中央で、二つの影が動いている。
「――止まるな」
エリオラの低い声が飛ぶ。
リオルとカイルは並んで腹筋を続けていた。
呼吸は一定、動きに無駄はない。
「腹で呼吸しろ。
回数じゃない、“崩さないこと”を意識しろ」
「……っ、はい」
「了解です!」
筋トレはただの基礎ではない。
魔力を安定して流すための器作りだ。
腹筋、背筋、腕、脚。
一つ終わるたびに重しが追加される。
だが二人は、もう顔を歪めない。
汗は流れる。
息は荒い。
それでも、動きは乱れなかった。
「よし。次」
エリオラが顎で示す。
「走れ」
訓練場外周を使ったランニング。
だが、ただ走るだけではない。
「魔力を流せ。
呼吸と一緒に、一定量を体の内側に巡らせろ」
リオルは頷き、走り出す。
――吸う。
――吐く。
呼吸に合わせ、胸の奥から魔力が静かに広がる。
赤と青。
二つの属性が、薄く身体を包む。
以前なら、どちらかが暴れただろう。
だが今は、混ざらず、干渉せず、並走している。
(……いける)
走りながらでも、制御は崩れない。
カイルも同様だった。
白虎の獣人らしいしなやかな動きで、魔力を巡らせている。
「――止まれ」
エリオラの声で、二人は足を止めた。
「魔力放出」
短い指示。
二人はその場で立ち、体内の魔力を外へと流す。
地面に、淡い属性色が滲む。
「……悪くない」
エリオラは腕を組んだまま言った。
「じゃあ次。
Cランク魔術、実践」
二人は頷き、距離を取る。
まずはカイル。
「――氷よ、形を成せ」
丁寧な詠唱。
術式を組み、魔力を注ぐ。
次の瞬間、鋭く澄んだ氷の刃が空中に現れた。
「Cランク《フロストエッジ》、成功」
「……よし」
続いてリオル。
「――集え、水よ。形を持て」
詠唱は落ち着いている。
声に迷いはない。
青い光が集まり、圧縮された水弾が形成された。
「Cランク《アクアスフィア》、成功」
二人とも、完璧だった。
詠唱あり、術式安定、魔力消費も適切。
「合格だ」
エリオラは即座に言い切る。
「Cランクは問題なし。
十分、軍の実戦基準に達してる」
そのときだった。
リオルが、少しだけ手を挙げる。
「……あの」
「なんだ」
「興味本位なんですけど……」
一拍、間を置いて。
「Sランクの魔術、
やってみてもいいですか?」
一瞬、空気が止まった。
カイルが目を見開く。
「おい!?
リオル、それ――」
だが、エリオラは止めなかった。
むしろ――
「……はは」
小さく笑う。
「やってみろ」
即答だった。
「私が止める。
好きにやれ」
言うが早いか、エリオラは一歩踏み出す。
瞬時に、訓練場全体を覆うように
無属性の防御魔術障壁が展開された。
透明だが、確実な圧を持つ壁。
「さて……」
小さく呟く。
「できるか?
それとも、否か……」
口角が上がる。
「――見せてみろ」
リオルは、深く息を吸った。
詠唱はしない。
術式も、組まない。
ただ、呼吸と共に――
魔力を“思い描く”。
次の瞬間。
赤が、立ち上る。
「――《フレイマーズファンタジア》」
五十。
火が、人の形を取る。
揺らめく炎の兵士たちが、無音で並び立った。
続けて――
青。
「――《ウォーティアスファンタジア》」
五十。
水が、人型へと変わる。
揺れることなく、整列する水の兵士。
炎の軍隊。
水の軍隊。
二つのS級魔術が、
同時に、詠唱破棄で展開された。
しかも、完全制御。
訓練場が、静まり返る。
エリオラは――
次の瞬間、頭を抱えた。
「……はは……ははははは!!」
腹を抱えて、笑う。
「おもしれぇ……!」
「いや、反則だろそれ……!」
笑いながら、心底楽しそうに言う。
「S級二つ同時!?
しかも詠唱破棄!?
しかも制御完璧!?」
障壁越しに、炎と水の兵士たちを見渡す。
「……ほんとに、最高だなお前」
リオルは、少し困ったように言った。
「……やっぱり、ダメでした?」
「馬鹿言え」
エリオラは即答した。
「ダメなのは世界の基準だ」
そして、にやりと笑う。
「――次からはな」
「これを“普通”として鍛えてやる」
カイルは呆然と立ち尽くしていた。
(……追いつくの、大変だぞこれ……)
だが、不思議と嫌な気はしなかった。
むしろ――
(……負けてられねぇ)
リオルの背中を見て、そう思った。
訓練場には、
まだ消えない炎と水の兵士たちが立っている。
この日、エリオラは確信した。
――この二人は、
常識の外側へ行く。
それを、
笑いながら見守れる自分がいることを。
「……あーあ」
最後に一言。
「ほんと、退屈しねぇな」
そう言って、
エリオラは満足そうに腕を組んだ。




