58話 同じ机に座る
午後の教室は、午前中よりも少しだけ柔らかい空気に包まれていた。
窓から差し込む光は強すぎず、
木の床に落ちる影も、どこか穏やかだ。
午前の訓練で体を動かした後だからか、
子どもたちの表情にも、余計な緊張は見えない。
リオルは、昨日と同じ席に座っていた。
(……ここ、だ)
不思議と、もう迷わなかった。
足が止まることもなく、
自然と椅子を引き、机に向かっていた。
教室の前に立つのは、ミリアとエド。
「じゃあ、午後の座学を始めましょう」
ミリアがそう言って、黒板にチョークを走らせる。
描かれたのは、単純な円と、そこから伸びる線。
「午前中にも少し触れたけれど、
今日は“魔力の流れ”について」
「出す話じゃないわ」
「感じる話」
エドが静かに続ける。
「魔力は、力そのものではありません」
「流れです」
「水と同じように、
止めれば澱み、
無理に押し出せば溢れる」
リオルは、その言葉を黙って聞いていた。
(……水)
胸の奥が、ほんのわずかに反応する。
だが、意識して呼吸を整えると、
その感覚はすぐに静まった。
(……大丈夫)
「じゃあ、質問」
ミリアが、子どもたち全体を見渡す。
「魔力が“怖い”と感じるのは、どうしてだと思う?」
しばらく、沈黙。
やがて、前の席に座っていた獣人の少年が、
おずおずと手を挙げた。
「……自分で、止められないから」
「いい答えね」
ミリアは、はっきりと頷いた。
「だから、ここでは“止める”ことから教える」
「出さない勇気も、
立派な訓練よ」
その言葉に、
リオルは、そっと息を吐いた。
(……やっぱり、ここは違う)
帝国で聞いてきた言葉とは、
あまりにも違っていた。
⸻
座学が一段落し、短い休憩時間になる。
教室の中に、控えめな話し声が戻る。
「ねえ」
突然、隣の席から声がした。
顔を向けると、
人間の少女がこちらを見ていた。
年は、リオルと同じくらいだろう。
「あなた、昨日から来た人?」
「……うん」
少し間を置いて、名乗る。
「ぼく、リオル」
「私はナナ」
にこっと、屈託のない笑顔。
「ねえ、訓練きつかった?」
「……うん。きつかった」
正直に答えると、
ナナは少しだけ目を丸くした。
「やっぱり?」
「エリオラ先生、怖いもんね」
「……先生、なんだ」
思わずそう言うと、
「うん!」
後ろの席の少年が、会話に割って入る。
「でも、ちゃんと見てくれるぞ」
「倒れそうになると、
絶対そこで止めるし」
「……そうなんだ」
リオルは、素直に驚いた。
「前に無理した人、
その日は一日中、
水飲まされて寝かされてた」
「……え」
「鬼だけど、鬼じゃない」
その言い方に、
思わず小さく笑ってしまう。
「……みんな、ここ長いの?」
「俺は三年!」
「私は二年!」
次々に声が返ってくる。
「ここ、好きだよ」
ナナが言った。
「比べられないから」
その一言が、
リオルの胸に、静かに落ちた。
「……うん」
気づけば、
自然と会話の輪の中にいた。
「リオルは?」
少年が聞く。
「……まだ、来たばっかり」
「じゃあさ」
ナナが、身を乗り出す。
「一緒にやろうよ」
「分かんないとこ、教えるし」
「……いいの?」
「いいに決まってるでしょ」
当たり前みたいに言う。
リオルは、一瞬だけ迷ってから、
小さく頷いた。
「……ありがとう」
その様子を、
教室の後ろからエドが静かに見ていた。
「……馴染んでいますね」
ミリアが、小さく微笑む。
「ええ」
エドは、穏やかに頷いた。
「この環境が、
彼を支えています」
教室の中では、
子どもたちの小さな笑い声が響いていた。
リオルは、自分の机を見つめる。
同じ高さの机。
同じ椅子。
(……同じだ)
それだけのことが、
こんなにも心を軽くする。
「……ここなら」
誰にも聞こえないほど小さな声で、呟く。
「……ちゃんと、学べる」
午後の光が、
教室をやさしく満たしていた。




