51話 訓練初日
朝の訓練場は、まだ空気が冷たかった。
高い塀に囲まれた固く踏み固められた土の広場。
武器架、魔術用の標的、体術訓練用の木人が整然と並び、
どれもが長年使い込まれていることを物語っている。
「……ここ、だよね」
リオルは小さく息を吸い、周囲を見渡した。
広い。
だが、威圧されるというより――
“逃げ場がない”と感じさせる場所だった。
「訓練場だ」
隣でヴォルクルが短く言う。
「今日から、ここで始まる」
「……うん」
不安がないと言えば嘘になる。
それでも、足は止まらなかった。
そのときだった。
「……遅ぇな」
低く、ざらついた声が、訓練場に落ちた。
リオルとヴォルクルは、同時に顔を上げる。
中央に立っていたのは、見覚えのない女だった。
赤い髪。
癖のあるロングヘアが腰まで伸び、
褐色の肌に、引き締まった体躯。
アルトレス軍の軍服を着ているが、
それが異様なほど似合っている。
そして――
目つきが、悪い。
睨みつけるような鋭さ。
だが、その奥にある瞳は澄んだ青だった。
「……誰?」
思わず、リオルの口から声が漏れる。
ヴォルクルは即座に一歩前へ出た。
無意識に、リオルを背に庇う位置取り。
それを見て、女は口の端を吊り上げる。
「はぁ……」
短く息を吐き、
「――ちっせぇな」
容赦なく言い放った。
「……っ」
言葉を失うリオル。
「これが例の坊ちゃんか?
噂より、だいぶ貧弱じゃねぇか」
「……失礼ですよ」
ヴォルクルの声が低くなる。
「あんたがなんでここにいる」
女は肩をすくめた。
「警戒心は悪くねぇな」
ヴォルクルの視線を正面から受け止め、鼻で笑う。
そのとき、足音が近づいた。
「もう来てたのね」
その声だけで、場の空気が変わる。
ミリアだった。
「姉御」
女は即座にそう呼んだ。
その一言に、ヴォルクルの眉がわずかに動く。
「……姉御?」
「紹介するわ」
ミリアは気にした様子もなく、リオルを見る。
「今日から、あなたの訓練を担当する人よ」
女が一歩前へ出る。
「エリオラ・レヴィナント」
短く名乗り、拳を軽く鳴らした。
「アルトレス軍魔術部隊総隊長だ」
「……総隊長?」
リオルは目を見開く。
「そうだ」
エリオラはにやりと笑った。
「魔術も体術も、両方見る。
覚悟しとけ」
喉が鳴る。
強い。
理屈じゃない。
本能が、そう告げていた。
「安心しろ」
エリオラは続ける。
「殺しはしねぇ」
一拍置いて、
「壊すだけだ」
「……言い方が荒すぎるだろ相変わらず」
ヴォルクルが低く言う。
「うるせぇ」
エリオラは意にも介さない。
「甘やかしてどうする」
ミリアは小さくため息をついたが、否定はしなかった。
「エリオラ」
「分かってるよ、姉御」
視線が、リオルへ戻る。
「まずは体からだ」
「……魔術は?」
勇気を振り絞って、リオルが聞く。
「後だ」
即答。
「制御以前に、倒れられたら意味がねぇ」
足元を、指で軽く叩く。
「今日は歩け」
「……歩く?」
「走るな。
剣も振らせねぇ」
戸惑うリオルに、言い切る。
「呼吸、姿勢、重心。
それができねぇ奴に、魔術を扱う資格はねぇ」
乱暴だが、正論だった。
「……できますか?」
ミリアが静かに問う。
リオルは一瞬だけ視線を伏せ、
それでも前を見て答えた。
「……やります」
小さく、だが確かな声。
エリオラは、その返事を聞いて笑った。
「いい顔だ」
「思ったより、根性あるじゃねぇか」
くるりと背を向ける。
「ついてこい、リオル」
呼び捨て。
だが、不思議と嫌な感じはしなかった。
ヴォルクルは、その背中を警戒しながら見つめる。
(……やっぱり強い)
本能が告げている。
信用はできない。
だが――
(あの人には任せていい)
リオルは、一歩、また一歩と歩き出す。
訓練場の中央へ。
この日が、
ただの訓練初日ではないことを、
まだ誰も知らなかった。




