49話 帝国中枢
中央魔術局の執務室は、常に静かだった。
分厚い石壁に囲まれ、外界の音はほとんど届かない。
書架に並ぶのは、魔術理論、因子解析、過去の魔力災害の記録。
すべてが整然と管理され、無駄がない。
帝国の“中枢”にふさわしい空間だった。
その中央で、
ラサド・ウィステリアは机に向かっていた。
机の上に並ぶ数枚の報告書。
すべて、南方に関するものだ。
「……」
眼鏡越しの視線が、淡々と文字を追う。
魔力観測値。
地脈の流れ。
結界への干渉記録。
どの報告にも、決定的な異常は書かれていない。
「異常なし、か」
呟きは、ほとんど独り言だった。
数値上は、確かに問題ない。
観測された魔力反応も、すでに沈静化している。
だが――
「不自然だな」
ラサドは、ペンを置いた。
南方で観測された魔力の波紋。
一瞬で、広範囲に広がり、
そして何事もなかったかのように消えた現象。
自然現象にしては、収束が早すぎる。
事故にしては、痕跡が残らなさすぎる。
「……局長」
控えていた若い魔術師が、静かに声をかけた。
「追加の報告が届いています」
「内容は」
「アルトレス領周辺、依然として平常。
魔力濃度も、通常範囲内です」
ラサドは、小さく頷いた。
「分かった。下がっていい」
魔術師は一礼し、部屋を出ていく。
再び、執務室は静寂に包まれた。
ラサドは椅子にもたれ、天井を見上げる。
(隠しているのか)
それとも、
(まだ、表に出ていないだけか)
アルトレス領。
反帝国派の伯爵。
獣人とドラゴニュートが多く暮らす土地。
ドラゴンを運用する空撃部隊。
どれも単体では、帝国にとって
「厄介だが、脅威ではない」存在だ。
だが、
あの魔力反応だけは違った。
「……」
ラサドは立ち上がり、窓辺へ歩く。
眼下には、帝都の街並み。
整然とした建物、規則正しい人の流れ。
秩序は、保たれている。
だからこそ――
秩序の外で起きた異変は、よく目立つ。
「皇位継承権……第十五位」
ふと、記憶の奥から、ひとつの情報が浮かび上がる。
かつて存在した、
取るに足らない皇族。
能力が低く、
早々に価値を失った存在。
(……関係ないな)
理性が、即座に否定する。
その程度の存在が、
帝国全体に影響を及ぼすはずがない。
それでも――
胸の奥に、微かな引っ掛かりが残った。
「考えすぎだ」
自分に言い聞かせるように、ラサドは呟く。
証拠はない。
現象は終わっている。
今は、様子を見る段階だ。
机へ戻り、書類を整える。
「南方の定期観測を強化する」
それは、局長として当然の判断だった。
「追加の調査班を編成。
だが……深入りはしない」
今は、まだ。
ラサド・ウィステリアは、
報告書の束を静かに閉じた。
帝国は、まだ何も掴んでいない。
だが――
南方に、何かがある。
その予感だけが、
静かに、確かに、
帝国中枢の奥に残っていた。




