42話 守るために動く者たち
医療棟を出た廊下は、夜であっても騒がしかった。
足早に行き交う使用人。
紙束を抱えた執事。
低く抑えた声で飛び交う指示。
それらすべてが、
ひとつの方向へ向かって動いている。
――もう、何も起きていない屋敷ではなかった。
屋敷奥の会議室で、
ゼクロア・アルトレスは地図を広げていた。
中庭の見取り図。
屋敷全体の構造。
領内の街道、港、駐屯地。
その傍らに立つミリア・アルトレスは、
腕を組んだまま地図を見下ろしている。
「……想定より、少し早かったわね」
静かな声。
だが、動揺はない。
「想定通りだ」
ゼクロアは即答した。
「遅かれ早かれ、この力は表に出る」
短い沈黙。
医療棟の白い天井。
怯えながらも逃げなかった少年の瞳。
二人の脳裏に、同じ光景が浮かんでいた。
「……守るわよ」
ミリアが言う。
「命だけじゃない。
あの子の未来ごと」
ゼクロアは、深く頷いた。
「だから、全部動かす」
それは命令ではない。
当主としての、決断だった。
*
「中庭は、即時修復する」
ゼクロアは指示書を取り上げる。
「ただ元に戻すだけじゃない。
魔力耐性を持たせる」
「結界基礎陣を組み込むわ」
ミリアが続ける。
「三重構造。
暴走時に、外へ漏らさない受け皿にする」
「庭じゃないな」
「ええ。
表向きは中庭。
実態は防御施設よ」
*
「執事と使用人を増やす。今の倍だ」
「身元調査は厳密に」
即座にミリアが応じる。
「帝国派は排除。
獣人とドラゴニュートを中心に」
「軍も同様だ」
ゼクロアの声が、わずかに低くなる。
「アルトレス軍魔術部隊。
一気に集める」
「数だけじゃ意味がないわ」
「分かっている」
*
地図の端を、ゼクロアが指で叩いた。
「特攻部隊を新設する」
ミリアが、一瞬だけ視線を伏せる。
「……盾役?」
「違う」
首を振る。
「時間を稼ぐ部隊だ」
逃がすため。
守るため。
「覚悟のある者だけ集める」
「志願制にするわ」
その声に、迷いはなかった。
*
「訓練内容を全面的に見直す」
ミリアの口調は淡々としている。
「魔力耐性訓練。
複合属性への対処。
極限状態での判断力」
「脱落者は出る」
「構わない」
即答だった。
「守る覚悟がないなら、最初からいらない」
*
ここで、空気がわずかに変わる。
「……リオルには、基礎からだ」
ゼクロアが言う。
「魔術理論。
属性の理解。
魔力の流れ」
「座学だけじゃ足りない」
ミリアが引き継ぐ。
「身体を鍛える。
体力がなければ、制御はできない」
「筋力訓練」
「剣術」
「体術」
項目が、一つずつ積み上がる。
「それぞれに、専属の講師を用意する」
「妥協はしない」
甘やかしではない。
生き残らせるための準備だった。
*
「帝国が勘づいた前提で動く」
ゼクロアの言葉に、空気が張り詰める。
「屋敷の警備を三段階引き上げる」
「外周、内周、個人護衛」
「リオル個人の護衛は、
ヴォルクルとミノンを軸に再編」
「不審者は即排除」
ミリアは、躊躇しなかった。
「交渉は後。
まず排除」
*
会議が終わる頃、
机の上には指示書が山のように積み上がっていた。
ゼクロアは、それらを見下ろしながら言う。
「これは、戦争じゃない」
ミリアが、静かに答える。
「防衛よ」
守るものは、国でも領でもない。
――一人の少年だ。
その夜、アルトレス邸では、
誰にも知られぬまま、歯車が一斉に回り始めた。
嵐が来る前に。
奪うためではなく、
守るために。




