39話 内側のもの
朝は、静かに始まった。
カーテン越しの光が、
ゆっくりと部屋を満たしていく。
リオルは、目を覚ましても、すぐには動かなかった。
眠れなかったわけではない。
悪夢を見たわけでもない。
ただ――
目を開けた瞬間から、分かってしまった。
(……ある……)
胸の奥。
昨日までとは、わずかに違う感覚。
熱でもない。
冷たさでもない。
それなのに、
確かに「何か」が、そこにある。
呼吸を整える。
吸って、吐いて。
心臓の音を、意識して数える。
(……ぼくの……)
理由は説明できない。
けれど、疑いようがなかった。
それは外から来たものではない。
誰かに与えられたものでもない。
――最初から、ここにあった。
起き上がろうとして、
一瞬だけ、力が抜ける。
「……っ……」
ベッドに手をつき、
ゆっくりと体を起こす。
めまいはない。
視界も、安定している。
それでも、
胸の奥だけが、落ち着かなかった。
(……こわい……?)
違う。
怖いというより――
分からない。
分からないものが、
自分の中にある。
それだけで、心がざわついた。
ノックの音。
「リオル」
ヴォルクルの声だった。
「……うん……」
返事をすると、扉が開く。
いつもと同じ距離。
いつもと同じ立ち位置。
それだけで、
胸の奥のざわめきが、ほんの少しだけ和らぐ。
(……やっぱり……)
理由は分からない。
だが、確かだった。
ヴォルクルが近いと、
内側が静かになる。
「……顔色、悪くねえか」
「……だいじょうぶ……」
嘘ではない。
けれど、本当でもなかった。
「……あの……」
言葉を探す。
どう言えばいいのか、分からない。
「……なにか……
ぼくの中で……
うごいてる……」
ヴォルクルは、すぐには答えなかった。
否定もしない。
軽く流しもしない。
ただ、
ちゃんと聞いている。
「……動いてるって、どういう感じだ」
「……あったかい……
でも……さむい……
どっちも……」
自分でも、変な説明だと思う。
それでも、
今の感覚に一番近い言葉だった。
「……暴れてる感じか」
「……ちがう……」
リオルは、首を振る。
「……じっと……してる……
でも……
いっぱい……」
その瞬間、
ヴォルクルの表情が、わずかに変わった。
「……押さえてるか」
「……ううん……」
即答だった。
「……どうしていいか……
わからない……」
沈黙が落ちる。
重くはない。
だが、軽くもない。
「……なあ」
ヴォルクルが、低い声で言った。
「それ、無理にどうにかしようとするな」
「……でも……」
「分からねえなら、
分からねえままでいい」
リオルは、目を瞬かせた。
「……いい……の……?」
「いい」
即答。
「今はな」
その言葉に、
胸の奥が、少しだけ緩む。
(……いまは……)
今は、まだ。
廊下の向こうから、足音が近づいてくる。
「おはようございます、リオル様」
ミノンだった。
「……おはよう……」
一礼してから、
ミノンはさりげなく周囲に視線を巡らせる。
「……今日は、少し……」
言いかけて、言葉を切る。
「いえ。
特に変わった様子はありませんね」
嘘ではない。
だが、全部でもない。
リオルは、その視線に気づいた。
(……ミノンも……)
その瞬間――
ひやり、とした感覚が、
胸の奥を走った。
「……っ……」
思わず、胸を押さえる。
水に触れたときのような、
あの感覚。
だが、
どこにも水はない。
「リオル!」
ヴォルクルが、一歩踏み出す。
ミノンも、即座に構える。
けれど――
それは、すぐに消えた。
「……だいじょうぶ……」
息を整えながら、言う。
「……いまの……
たぶん……」
言葉を探し、
「……ぼくの……中から……
でて……」
言い切れなかった。
「……でそう……だった……」
三人の間に、
静かな緊張が落ちる。
誰も、答えを持っていない。
だが、
全員が理解していた。
――これは、外の問題じゃない。
――リオルの内側で、何かが限界に近づいている。
リオルは、ぎゅっと拳を握る。
怖い。
けれど、それ以上に――
(……しりたい……)
この感覚が、何なのか。
どうすればいいのか。
それを知らないまま、
また“出てしまう”ことのほうが、
ずっと怖かった。
空は、穏やかに晴れている。
何も起きていない。
今は、まだ。
だが、
胸の奥のものは、確実に――
次の段階を待っていた。




