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34話 備える者



ミリア・アルトレスは、

静かな執務室で書類に目を通していた。


机の上に並ぶのは、

軍の配置図。

魔術部隊の訓練報告。

領内治安の定期ログ。


どれも、異常なし。


指先で紙をめくりながら、

ミリアは、わずかに眉を寄せた。


(……何もなさすぎる)


帝国軍にいた頃、

本当に危険だったのは――

常に、こういう日だった。


敵が動いていない日。

異常が報告されない日。

すべてが「平常通り」と書かれている日。


「ミリア様」


部屋の入口に、部下が立つ。


「医療棟周辺、異常なし。

 中庭も、平常通りです」


「そう」


短く答える。


声に感情は乗せない。

だが、視線はもう書類に戻らなかった。


脳裏に浮かぶのは、

一人の少年の姿。


細い体。

控えめな声。

それでも、折れていない芯。


(……あの子が、帝国にいたら)


続きを、考える必要はなかった。


帝国は、

測れないものを恐れる。

扱えないものを危険と呼ぶ。


そして――

危険と判断したものは、排除する。


エドが多くを語らない理由も、

痛いほど分かる。


下手に動けば、

「気づかせる」ことになる。


だが。


何もしないまま、

ただ待つという選択は、

ミリアにはできなかった。


「警備配置を、変更するわ」


淡々と、命じる。


「名目は通常巡回。

 だが、中庭、医療棟、居住区は重点的に」


「了解しました」


部下は余計な質問をせず、

そのまま下がっていく。


それを見送り、

ミリアは窓辺に歩み寄った。


外では、

風が草木を揺らし、

港の方から人の声が微かに届く。


平和な光景。


だからこそ――

守る側だけは、

この平和を疑い続けなければならない。


「……準備だけは、する」


誰に聞かせるでもなく、呟く。


剣も、魔術も、

使わずに済むなら、それが一番いい。


だが、

使うことになったとき、

迷わないために。


ミリアは、

ゆっくりと拳を握った。


それは、

戦うための構えではない。


守ると決めた者が、

決して遅れないための――

静かな覚悟だった。


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