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32話 治せないという判断



医療棟は、朝から静かだった。


乾燥棚に並ぶ薬草の匂い。

床に刻まれた消毒用の魔術陣が、かすかに緑色の光を帯びている。


エド・イレイユスは、診療記録に目を落としていた。


体温。

脈拍。

血流。

魔力循環の基礎数値。


どれも、基準値から外れてはいない。


「……」


紙を机に置き、静かに息を吐く。


正常。

だが、それは――

測れている部分に限った話だ。



診察台に座るリオルは、相変わらず細い。


病的な痩せ方ではない。

栄養不足とも違う。


ただ、

体の内側にあるはずの力が、外へ回っていない。


「胸のあたりに、違和感はありますか」


「……熱い……ような……

 でも……痛くは、ありません……」


エドは小さく頷いた。


痛みはない。

だが、感覚は確かに存在している。


彼は、そっと手を翳す。


空中に描かれる、淡い緑色の魔術陣。

治癒魔術。


本来なら――

魔力循環を調整し、体調を安定させることはできる。

滞留する魔力を抜き取ることも、不可能ではない。


だが。


(……触るな)


長年の経験が、そう告げた。


感じ取れる魔力は、異常だった。


量ではない。

質だ。


制御されないまま滞留した魔力が、

内圧となって、わずかずつ外へ漏れ出している。


しかも――

その底が、見えない。


抜き取っても終わらない。

循環を整えれば、出口を作ることになる。


――一気に、噴き出す。


「……今日は、ここまでにしましょう」


エドは、魔術陣を消した。


「……え……?」


「無理に調整する段階ではありません」


少し間を置き、続ける。


「異常はあります。

 ですが、病気ではありません」


リオルは、困ったように目を伏せた。


「……よく……分からない……です……」


「分からなくていい」


エドは、淡々と答えた。


「今、それを理解する必要はありません」



診察を終え、リオルが部屋を出る。


エドは一人、椅子に腰を下ろした。


治療手段はある。

だが、使うべきではない。


外部からの干渉は、引き金になる。

抜き取ろうとしても、意味はない。


魔力は、底なしだ。

空いた分を埋めるように、さらに圧が高まる。


「……厄介ですね」


静かな独白。


窓の外では、風が木々を揺らしている。

穏やかな朝だ。


だが――

内側では、確実に進んでいる。


エドは、結論を変えなかった。


――この子は、治す対象ではない。


――守り、待つべき存在だ。


彼は治癒魔術師だ。

だからこそ、

今は何もしないという判断を選んだ。


医療棟には、再び静けさが戻る。


まだ、何も起きていない。

だが――


内側では、確かに変化が続いていた。


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