31話 胸の奥
最初は、気のせいだと思っていた。
朝の中庭で感じた落ち着きも、
食事のあとに引いていった熱も、
どれも体調の波のようなものだと。
(……そういう日も、ある……)
そう自分に言い聞かせながら、
リオルは書物を膝に乗せていた。
文字は、読める。
内容も、理解できる。
それなのに――
集中が、続かない。
胸の奥に、
じんわりとした熱があった。
熱い、というほどではない。
触れれば分かるものでもない。
ただ、
内側から温められているような感覚。
(……変……)
ページをめくる指が止まる。
呼吸を整えようとして、
いつもより深く息を吸っていることに気づいた。
「……」
そっと、胸元に手を当てる。
心臓の音は、早くない。
鼓動も、乱れていない。
それでも――
確かに、そこに「何か」が在った。
*
午後、回廊を歩いていると、
不意に足が止まった。
理由は、分からない。
ただ、
一歩踏み出そうとした瞬間、
胸の奥の熱が、わずかに強まった。
(……っ)
痛みはない。
苦しさもない。
けれど、
体が「待て」と言っているようだった。
「……リオル?」
すぐ近くで、ヴォルクルの声がする。
「……大丈夫……」
反射的に、そう答えた。
嘘ではない。
倒れそうなわけでもなかった。
ただ――
今は、動かない方がいい。
そう感じただけだ。
ヴォルクルは、何も言わず、
半歩前に出る。
守る位置。
「……少し、休むか」
「……うん……」
椅子に腰を下ろすと、
胸の奥の熱が、ゆっくりと引いていった。
(……動くと……強くなる……?)
そこまで考えて、
理由が分からず、思考を止める。
*
夕方。
窓辺に立つと、
外の空気は、昼よりも冷えていた。
風が、頬を撫でる。
その瞬間――
胸の奥の熱が、ふっと緩む。
(……外……)
朝と、同じ感覚だった。
外気に触れると、
体の内側が、静かになる。
不思議だった。
病弱なはずの自分が、
冷たい風で楽になるなんて。
(……おかしい……)
自分の体なのに、
知らないことが多すぎる。
指先を見つめる。
震えてはいない。
色も、いつも通りだ。
ただ――
内側だけが、ほんのり温かい。
(……何、なんだろう……)
分からない。
分からないからこそ、
誰にも、何も言えなかった。
*
夜。
ベッドに横になっても、
すぐには眠れなかった。
胸の奥の熱は、
昼よりも静かだが、消えてはいない。
(……明日には……治るかな……)
そんな言葉を、心の中で並べながら、
ゆっくりと目を閉じる。
扉の向こうで、
ヴォルクルの足音が止まる気配がした。
それだけで、
胸の奥が、少し落ち着く。
(……大丈夫……)
理由は分からない。
けれど、今はそれでいい。
リオルは、
静かに意識を沈めていった。
――熱を、胸の奥に抱えたまま。




