27話 当主の判断
ゼクロア・アルトレスは、窓辺に立っていた。
執務室は広く、天井も高い。
だが今は、その空間がやけに狭く感じられる。
外では、領都の音が静かに流れている。
港からの掛け声。
石畳を叩く馬車の音。
すべて、守るべき日常だ。
「……」
背後で、扉が開く音がした。
振り返らなくても分かる。
この足音は、一人しかいない。
「エドか」
「はい」
短い返答。
余計な前置きはない。
エド・イレイユスは、ゼクロアの机に一通の手紙を置いた。
「……メルトガルトからの返書です」
ゼクロアは、ゆっくりと振り返る。
「思ったより早いな」
「ええ。
それだけ、内容が――」
エドは言葉を切った。
「……厄介だった、ということでしょう」
ゼクロアは、手紙を手に取る。
封はすでに切られている。
中身も、だいたい察しはついていた。
それでも、目を通す。
一行一行、逃さずに。
条件。
警告。
そして、暗黙の理解。
読み終え、手紙を机に置く。
「……なるほどな」
声は低く、落ち着いている。
「帝国とは、考え方が根本から違う」
「はい」
エドは一歩前に出た。
「ですが……技術的には、これ以上の選択肢はありません」
「分かっている」
ゼクロアは椅子に腰を下ろす。
肘をつき、指を組んだ。
「問題は、装置じゃない」
視線が、エドに向く。
「……リオルだ」
名前を口にした瞬間、
部屋の空気が、わずかに変わる。
「彼に、どこまで知らせる?」
エドは、即答しなかった。
「……今は、まだ」
そう答える。
「ご自身の中で起きていることを、
完全には理解できていません」
「だろうな」
ゼクロアは、苦く笑った。
「理解した瞬間、
あの子は“自分のせいだ”と思う」
確信に近い言葉だった。
エドは、黙って頷く。
「……だからこそ、測定は慎重に行う必要があります」
「強制しない、か」
ゼクロアは、メルトガルトの条件を思い返す。
「帝国なら、即拘束だな」
「ええ」
エドは淡々と答える。
「測る。
管理する。
危険なら、消す」
その言葉に、
ゼクロアの目が、わずかに細くなる。
「……消す、か」
エドは、一瞬だけ視線を伏せた。
「……この力が帝国に知れた場合、
その可能性は極めて高いでしょう」
言葉は選ばれている。
だが、曖昧ではない。
ゼクロアは立ち上がった。
窓際へ歩き、外を見下ろす。
領都。
港。
獣人も、人間も、ドラゴニュートもいる街。
「この領はな」
低く、語る。
「帝国にとっては、
最初から“扱いにくい”」
反帝国派。
獣人が多く暮らす土地。
独自の軍備と情報網。
「ここに、
“国を揺るがす可能性のある存在”がいると知れたら?」
問いではない。
答えは、二人とも分かっている。
「……圧力では済みません」
エドが言う。
「調査。
介入。
最終的には――」
「排除、だな」
ゼクロアは、静かに言った。
沈黙が落ちる。
重いが、逃げ場のない沈黙。
やがて、ゼクロアは口を開いた。
「メルトガルトの条件は、すべて受け入れる」
エドが顔を上げる。
「……よろしいのですか」
「ああ」
迷いは、声に出ていない。
「軍事利用はしない。
帝国には知らせない。
測定は最小限」
そして、はっきりと言う。
「何より――
リオルの意思を最優先する」
エドの表情が、わずかに緩んだ。
「……それが、当主としての判断ですか」
「当主として、だ」
ゼクロアは、ゆっくりと続ける。
「そして――」
一拍置いて。
「……親としての判断でもある」
その言葉は、軽くなかった。
だが、揺れてもいない。
エドは、深く頭を下げる。
「承知しました」
ゼクロアは机に戻り、書類を取り出す。
「ミノンとヴォルクルには、引き続き警戒を」
「はい」
「ミリアには、装置が来る可能性を伝えろ。
表向きは、医療研究だ」
「分かりました」
一つ一つ、指示を出す。
それは、戦の準備ではない。
守るための布陣だ。
最後に、ゼクロアは小さく息を吐いた。
「……帝国が気づく前に、
こちらが“家族だ”と示す必要があるな」
エドは、静かに頷いた。
「その点では――」
一瞬、言葉を選び。
「リオル様は、すでにここに居場所を見つけています」
ゼクロアは、微かに笑った。
「それなら、いい」
窓の外で、風が吹く。
何も壊さない、穏やかな風。
だが、ゼクロアは知っている。
これから先、
もっと強い嵐が来ることを。
それでも。
「……この領で、
あの子は“消されない”」
その決意は、
当主のものだった。




