99話 精霊は、そこにいる
第三訓練場は、夕方になると空気が変わる。
昼間に使われる第一・第二訓練場とは違い、
ここには常に“余白”があった。
魔力が張り付いていない、静かな空間。
だからこそ――
人以外の存在が、はっきりと息をする。
ナナは、訓練場の中央に立っていた。
昼から夜にかけて行われる精霊魔術訓練。
時間をずらして使われるこの場所は、
リオルたちの気配が完全に消えたあとだ。
土の床に、足裏の感触が伝わる。
「……静かですね」
独り言のように呟くと、
「精霊には、このくらいがちょうどいい」
少し後ろから、落ち着いた声が返ってきた。
ミランダ・コーチェラは、腕を組みながら訓練場を見渡している。
視線は鋭いが、どこか余裕がある。
「余計な魔力の残滓がない。
人間の訓練場としては上出来さ」
ナナは、頷きながら胸元に手を当てた。
制服の下。
そこに刻まれた精霊紋が、淡く反応する。
「今日は、無理に出さなくていい」
ミランダは言った。
「“呼ぶ”んじゃない。
“そこにいる”ことを、確かめな」
ナナは目を閉じる。
深く息を吸い、ゆっくり吐く。
(……聞こえる)
音ではない。
声でもない。
けれど、確かに“気配”がある。
次の瞬間――
空気が、ふわりと揺れた。
淡い青の光が、ナナの右肩に集まる。
続いて、緑。
そして、柔らかな白。
三つの光は、やがて形を持つ。
手のひらほどの大きさ。
羽の生えた、人型。
水精霊。
木精霊。
光精霊。
それぞれが、ナナの周囲を静かに漂っていた。
「……」
ナナは、無意識に口元を緩めた。
精霊たちは、言葉を発しない。
だが、そこにいるという事実だけで、心が落ち着く。
ミランダは、その様子を黙って観察していた。
「三体同時でも、安定してるね」
淡々とした評価。
「制御しようとしてない。
それがいい」
水精霊が、ナナの手のひらに降りる。
ひんやりとした感触。
木精霊は、精霊紋の近くで静かに羽ばたき、
光精霊は少し離れた位置から全体を見守っている。
「……暴走した時とは、違う」
ナナが小さく言う。
ミランダは頷いた。
「そりゃそうさ」
一歩、前に出る。
「暴走ってのはね、
力が多すぎるから起きるんじゃない」
精霊を一瞥する。
「“距離”を見失ったときに起きる」
ナナは、息を呑んだ。
「近すぎても、遠すぎても駄目だ。
精霊は武器じゃない。
命令の対象でもない」
ミランダは、口の端を少しだけ上げる。
「相棒だよ」
その言葉に、光精霊がふわりと高度を上げた。
「……分かります」
ナナは、静かに答える。
「前より、ちゃんと……
一緒にいる感じがします」
「それでいい」
ミランダは満足そうに頷いた。
「今日は、これだけで十分だ」
ナナは驚いて顔を上げる。
「え、もう……?」
「精霊魔術は、やり過ぎると壊れる」
ミランダは肩をすくめた。
「力も、関係もな」
そして、少しだけ苦笑する。
「ババアをこき使うんじゃないよ、全く」
その言葉に、ナナは思わず笑ってしまった。
精霊たちも、それに呼応するように、くるりと宙を舞う。
第三訓練場の空気は、穏やかだった。
暴走の気配はない。
焦りも、恐怖もない。
ただ、確かに――
精霊とナナが、同じ場所に立っている。
それだけで、十分だった。




