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第七人類絶滅報告書  作者: ななめハンバーグカルパス
第四部 デルタは目を瞑る
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旅立ち

 低く規則的な振動音で、サキは目を覚ました。

 石棺の天井は、今日も鉛色に沈んでいる。配管の唸りに混じって、何か——金属が共鳴していた。

 毛布を払い、簡易ベッドから足を下ろす。


 コンクリートの冷たさは、もう微温湯のようにしか感じない。

 保温ポットには、昨夜のコーヒーが半分残っていた。サキはそれを一口含んで、研究区画へ向かった。

 奥の柱が、薄明かりの中にそびえていた。


 ソ連時代の配電盤から剥がしたケーブルが、規則正しく螺旋を描いて巻きつけられている。三重に。六重に。九重に。

 その根元に、エレナがしゃがみ込んでいた。


「また夜通し?」


「6時39分。夜通しではない」


 振り向かずに、答えが返る。声だった。端末ではない。

 サキはその声にもう驚かなくなっている自分に気づいて、ほんの少し、唇を噛んだ。

 隣にしゃがみ、塔を見上げる。


「これ、また大きくなりました?」


「テスラの世界無線システムの逆応用」


 エレナの指が、コイルの一巻きを微調整する。


「送信ではなく、受信のための再構築」


「……何を受信するんですか」


「まだわからない」


 短い答え。


「完成には、まだ遠い」


 サキは膝を抱えた。


「完成したら、どうするんですか」


「アーリンに見せたい」


 その一言に、サキの口角が勝手に下がった。


「……アーリンに、ね」


「あなたの声には、棘がある」


「気のせいです」


「気のせいではない」


 エレナはようやく、サキのほうを見た。


「あなたは——嫉妬している」


「してませんけど」


「している」


 サキは唇を尖らせた。


「だって、いつもアーリンですよ。完成したらアーリン。新しい理論もアーリン。私は何ですか、ただの——観察記録ですか」


 エレナは答えなかった。

 代わりにコイルから手を離し、サキの前髪を不器用な動きで撫でた。


「観察記録には触れない」


「……それ、慰めてるつもりですか」


「慰めではない。事実」


 サキは、ふと、エレナの口元が——わずかに、本当にわずかに緩んでいることに気づいた。


「エレナ、今、笑いました?」


「笑っていない」


「笑いましたよね、絶対」


「これはデータ整理に対する、満足の表情」


「それ絶対、笑ってるじゃないですか!」


 エレナは何も言わず、視線をコイルへ戻した。だが、髪に触れた手はまだ少しだけ長く、そこに留まっていた。



 ◆


 何日が過ぎたのか、サキは正確に数えていない。三十、いや、もっとだろう。鉛色の天井の下では、太陽も月も意味を持たない。


 朝、ということにしている時間にエレナが水を一杯、枕元に置く。それが一日の始まりだった。


「ありがとう」


 返事はない。かわりに乾いた指先が、サキの額に一度だけ触れる。


 その指の硬さに、サキはいつも頬を寄せたくなる。武器を握るための硬さではなく、百年分の孤独を、そっと畳んでいるような硬さだった。


 夜、エレナが()()に入ると——彼女は眠らない、ただ静止するだけだ——サキは古い録音機を取り出した。


 個人ログ。誰に届くわけでもない記録。


「……今日も、何もしなかった日。コイルの様子を見て、コーヒーを飲んで、エレナの手が止まるのを待って」


 言葉が続かなかった。


「文明復興庁にいた頃は、毎日、誰かの代わりに何かを背負っていた。カナリアが鳴れば走った。人を、生きた人も、死んだ人も守った。今は——」


 録音機の赤いランプが、無言で点滅していた。

 サキはスイッチを切った。



 ◆


 きっかけは、些細なことだった。


「ドゥーガの方角を、見に行こうと思います」


 エレナの指が止まった。


「行かなくていい」


「手伝います。あの森の感覚、覚えてますし」


「危険すぎる」


「私、ホモ・ロゴス化、進んでるんですよね? 放射線、もう微温湯みたいなものだって」


「進行速度が不明。リスクは私が引き受ける」


「私には、引き受けさせない、ってことですか」


 エレナは答えなかった。

 その沈黙は、いつもの満たされた沈黙ではなかった。ただ、何もない沈黙だった。

 サキは立ち上がる。


「私、ここで何してるんですか、エレナ。コイルの数式もわからない。アーリンみたいに対話もできない。リアムみたいにデータも読めない。私にできることが、ひとつもないじゃないですか」


「あなたは——」


 エレナの口がそこで止まった。長い沈黙。

 それから、ようやく文字にも声にもならない呼吸の後、言葉が落ちた。


「あなたは、生きているだけでいい」


 サキは、その一言をしばらく理解できなかった。

 理解した瞬間、何かが静かに割れた。


「……それ、観察記録と同じですよね」


「違う」


「同じです。役割なんて要らない。ただそこにいて、データとして存在していればいい。それがエレナの言ってることです」


「サキ」


「私には、文明復興庁にいたときの方が、まだ、誰かの役に立ってた気がします」


 エレナは動かなかった。動けなかったのか、動かないと決めたのか、サキにはわからなかった。



 ◆


 荷物は、多くなかった。F.C.E.U.のIDタグと、欠けたティーカップの破片を一つ。

 エレナは止めなかった。コイルの前に立ったまま、振り向かなかった。

 その背中に向けて、サキは扉の前で一度だけ足を止めた。


「行ってきます、じゃないですね。……行きます」


 返事はなかった。

 鉛色の通路の向こうへ、サキは歩き出した。

 扉が閉まる、その最後の隙間から、サキは見た。


 エレナの手がコイルから離れ、何もない場所で——一度、握られている。

 水を渡すための手だった。

 花を持ってくるための手だった。


 しかし今は、何も持っていなかった。

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