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侍女という名の宰相  作者: 黒野ひゅーるり
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第九話 優しい子

犯人の捜査をクラインに依頼した翌日の夕方。もう日が暮れかけており、夜になろうとしていた。

サリスは、窓から外を眺めてため息をついた。彼女は、昨日からため息をついてばかりいる。彼女の主人、リリーシアのせいで。

リリーシアは、基本的に使用人の部屋に付きっきりで看病していたが、たまにサリスのいる部屋に顔を出す。その時のことといったら、落ち着きなく部屋を歩き回ったり、椅子に座ってサリスの方を何やら物言いたげな調子で見ていたりと、そんな調子なのである。

きっとサリスが彼女に何も話さないからなのだろうが、サリスにとってはそんなことはどうでも良かった。クラインといい、リリーシアといい、何をそんなに他人のことを知りたがるのか。結果だけを見せれば、人は満足するのではないか。サリスは、そういう考え方の持ち主だった。

だが、リリーシアがあまりにもじーっと見つめてくるので、さすがのサリスも観念した。

「犯人について、知りたいんですよね?」

「ああ、その通りだ!」

リリーシアは、待ってましたとばかりに椅子を引きずって距離を詰めてくる。

「今日の夜十九時に、十二番地の路地裏に呼び出してます」

「えっ!?どういうことだ!?」

「言った通りです」

「犯人は一体、誰なんだ?」

リリーシアは食い下がった。

「実のところ、犯人についてはあまり重要ではありません」

「何で?」

「その黒幕の方を突き止める必要があるからです」

「ま、まさか既に政争が始まってるのか!?」

リリーシアは、身構えて後ろに飛び退いた。

「まあ、政争の可能性は三割といったところでしょうか」

「ということは、お前は今回の事件が政争によるものではないと見ているのか」

「まあ、私の勘ですが」

「じゃあ、何だ?」

「リリーシア様、私は憶測でものを話すのは好きではありません。なぜなら、時間の無駄だからです」

「まあ、そうだが……」

「約束の時間まであと一時間ほどありますし、少し別の話をしませんか」

「別の話?」

「はい。あなたの過去の話を」


「わたしの、過去の話?」

リリーシアは、少し暗い表情を見せた。

「はい。あなたの過去、つまりあなたの最初の人生について話して下さい」

「大した話ではないぞ」

リリーシアはそう前置きして、話し始めた。

「わたしは十六年前、生まれて間もない頃に母を病気で亡くし、その後は父と共に過ごしてきた。他の貴族がやるような一般的な教育を施され、育った。

父はいい人だった。普通、貴族の当主は男であることが多い。ために、女は政略結婚の道具に他ならない。わたしには兄弟がいなかったから、父が再婚して男子が産まれればそれでいいはずだった。だが、父はそれをしなかった。なぜだと思う?」

「継母とあなたの関係がこじれるのを危惧したからなのでは?」

「よく分かったな、お前はこういう感情的な話は不得手だと思っていたぞ」

「私にも心はあります」

「まあ、それもそうか」

リリーシアは小さく笑うと、話を続けた。

「父はわたしを当主にすることに決めていた。だが、父はわたしが当主に向かないと思っていたらしい」

「でしょうね」

「でしょうね、とは何だ!」

「まあ、続きを」

「ゼメル家は、ハートヴァル家と繋がっているに過ぎない、下級貴族の中でも下位に位置する家だ。だが、父はそれを逆に良いことと考えたんだろう」

サリスは、黙って聴いている。まあ、その理由が何なのかはすぐに察せられたのだが。

「わたしが政治的に表舞台に立たずに済む、と考えたんだろうな。父ほどの力量があれば、あんなハートヴァル家なんかに礼をとらずとも、いくらでもコネクションを作って中級貴族への出世だって果たせたろう。それを、わたしのためにしなかった。そして、わたしが十五の時に死んでしまった」

「なぜ死んだのですか?」

「分からない。屋敷の近くの川から発見された。役人の調べによると、自殺で間違いないそうだ」

「自殺、ですか……」


サリスには、少し引っかかるところがあった。リリーシアの父、リルート・ゼメルについてである。

実は、彼女は以前にリルート・ゼメル本人と直接会ったことがあるのだ。

彼女が下町に店を構えてまだ間もない頃。彼女の店の前を、一台の馬車が通りかかった。そして、その馬車は彼女の店の前で停止し、一人の男が降りてきた。

見るからに貴族だと分かった。きちんと整えられた身なりに、立派な髭。決して豪華に着飾ることをせず、装飾品の類は一切身に付けていない。だが、それでいて毅然とした態度に迫力のある眼差しは、まさに「貴人」と言うに相応しい人物だった。当時のサリスの目から見ても、貴族とは本来こうあるべき、というような人だった。

その人物は、ステッキをつきながらサリスの近くまで寄って来た。サリスは相変わらず気付かないふりをしていた。

「君、ちょっといいかね」

その人物、リルート・ゼメルは、彼女に声をかけた。威厳を持った、それでいて不快感のない調子で。

「何でしょうか」

当時のサリスは、今と変わらず無愛想な対応をする。

「いや、私は客ではないのだ」

意外なセリフである。だが、サリスは平然と応答した。

「では、何のご用で?」

「実は、三日前にここを通った時、君のことを見てふと思ったことがあるんだ」

「え?何をですか?」

「実は私には、君と同じくらいの年齢の娘がいるのだが、何しろやんちゃで、手のかかる子でね。いつも何かやらかしはしないかと冷や冷やしてるんだ。そんな子が次期当主なのだから、私も色々と心配なんだ」

リルートはそう言うと、少し笑った。

(のろけてるな、こいつ)

サリスはそんな風に思った。だが、自然と彼には好感を持てた。

なぜなら、貴族はたくさんの子供をつくるものだから、側室なんかもいたりする。そうすると、ものすごい人数の子供ができることになる。もちろん、優先して可愛がられるのは男子から。数ある子の中の一人の女子のことなど、ただ存在を認められるだけで、気にかけないのが普通だ。

それに、もし娘しかいないのであれば、男子が早く産まれるようにということにばかり気をとられ、むしろ娘のことを邪険に扱う貴族も多い。リルートは、そういった貴族とは異なる存在だった。

「でも可愛いよ、娘のことは」

「そうですか」

サリスはのろけ話を聞きながら、商品の展示作業を始めていた。当時のサリスも、貴族相手になかなかのものだ。何も変わっていない。

「それに引き換え、君はその年齢で店まで持って、非常にしっかりしている。それに、君は優しい子だ」

サリスの手が止まった。そして、顔をほころばせているリルートの顔をじっと見つめた。

「なぜ、そう思うんです?」

「見ていれば分かるさ」

「そんなこと、言われたことありませんけどね」

「その人たちは、君のことをちゃんと見ていないのさ。だから、何も分からない」

「……」

「人というのはね、ちゃんと見てあげることが大切なんだ。一見冷たいように思える人でも、心根が優しいなんてことはよくあるんだ」

「そんなものでしょうか」

「そうとも。君も人と会った時には、よく見てあげることが肝要だよ」

変わったことを言う貴族だ。しかも、この差別社会で。貴族というのは、人のことなんか道具のようにしか思っていない奴らの集まりではないのか。サリスの価値観は少し、揺らいでいた。

「そんな話をしに来たんですか?用がないなら、商売の邪魔なんで帰ってください」

「ああ、それはすまない。用というのは、いわば勧誘だ。君を私の屋敷で雇いたいと思ってね」

「え?」

「まあ、驚くのも無理はない。私はリルート・ゼメルという者だ、名前くらいは聞いたことがあるかな?」

「はい」

「私は、私の人生についてはあまり興味がない。娘が生まれてきてくれたことで、私は一生の幸せを手にすることができたのだから」

「そうですか」

「だが、娘は違う。私の娘には母も、兄妹も、友達もいない。あの子には誰もいないんだ。本当に不憫な子だ。私が死んでしまったら、天涯孤独になってしまう」

サリスは黙って聴いている。

「そこで、君にあの子と一緒にいてもらいたいと思ったんだ。君なら、私の屋敷の仕事なんか簡単にこなせるだろう」

「話は分かりました。でも、なぜ私なんです?」

「そうだね……。君が優しい子だからというのと、後は私の勘かな」

「勘、ですか」

「そうだ。君ならあの子と仲良くやっていけそうな気がするんだよ」

リルートは、サリスの目をじっと見つめた。

裏表のない、実直な言葉だった。だが、サリスの答えは決まっていた。

「お断りします」

リルートはその言葉を聞いて、そうかね、と言うと少し悲しそうに笑った。

サリスは、その去り際の横顔を今でも鮮明に覚えている。


「わたしのことで、思い悩んで死んじゃったのかな。思えば、父にはたくさん苦労をかけたな」

リリーシアは、悲しそうに呟いた。

サリスは、リルートの死因が自殺であるということを信じていなかった。あの貴人と呼べる人物、あの娘思いの人物がそんな簡単に自殺なんかするわけがない。きっと何か裏がある。リリーシアは、そう考えていた。

「お父様は、リリーシア様のことを愛していらっしゃったのでは?」

「そうだな。それも……そうか」

「少なくとも、あなたのせいで死ぬなんてことはあり得ません。お考えになるだけ時間の無駄です」

「フフッ、お前なりの励ましか」

「まあ、そんなところです」

「お前、意外と優しいとこあるよな」

(まったく、この父子は)

揃いも揃ってお人よしだ、とサリスは思った。

そんな会話をしているうちに、いつの間にか一時間が経とうとしていた。

サリスはすぐに椅子から立ち上がると、用意していた黒いフードを携えて、「行ってきます」とリリーシアに声をかけてから入り口の戸を開いた。

そして、サリスは外に出て戸を閉めると、黒いフードに身を包み、夜の闇の中を歩いて行った。















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