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75話 髪

「ドリスさん、この奥の箱でいいですか? うちが注文したやつ」


「は、はい! あの……いつもすみません。お客様に運ばせてしまって……」


「いいんですよ。私こう見えて力仕事得意なんで。このくらい軽いもんです」


 逆にこちらが恐縮してしまうくらい、ぺこぺこと頭を下げているのは果物屋のドリスさん。今日は俺が追加注文したリンゴを納品しに来てくれたのだ。

 荷馬車に載せられているリンゴの入った木箱を厨房まで運ぶ。とりあえず1箱でいいよな。これ以上の追加は売れ行きを見て判断しよう。


「セドリックさん、ありがとうございました」


「いいえ。ところで、これから時間はありますか? 良ければお茶をご一緒にと思うのですけど……」


「えっ! わっ、私とですか?」


「確か……午前の配達はうちで終わりなんでしょう? 私も丁度ひと息入れようと思っていた所なんです。話相手になってくれませんか」


 彼女が商品を乗せていた荷台はカラになっている。配達ルートの関係上、うちの店が最後になっているのは毎度のことなので把握済みだ。もちろん彼女にこれから予定が無ければの話で、無理強いするつもりは無い。


「実は今度店に出す新メニューの試作品があるんです。食べて感想聞かせてくれると嬉しいのですが……リンゴのケーキなんですけど」


 ケーキと聞いてドリスさんの目が輝いた。彼女は甘い物に目がないのだ。店にも時々お客として来てくれる。今回の新作は特に自信作だ。反応が見たくて従業員を始め、出入りする業者などにも手当たり次第に試食させている自分はちょっと浮かれている。


「えっと……じゃあ、お言葉に甘えて。ご、ご迷惑でなければ……」


 こっちが誘っているのだからそんなに畏まらなくてもいいのに。両手を胸の前でもじもじと弄りながら、彼女は頬を赤く染めている。うちの店に来るようになってから随分経つのに、彼女は俺の前でいつもこんな感じだ。恥ずかしがり屋なんだろうな。仕事はキチンとしてくれるので文句は無いが、それなりに人との関わりが多い職業だろうに大丈夫なんだろうか。










 しばしのブレイクタイム。時計は10時30分を指していた。昼時になると客が増えて忙しくなるので、比較的空いているこの時間帯に15分程度交代で行っている。もう1人くらい新しい従業員を増やさないといけないかもな。ミシェルもクラヴェル兄弟も当分は手伝いに来れないだろうし、後の2人は……裏方ならともかく接客は難しいだろうなぁ。しかし誰でもという訳にもいかない……


「あ、あの……ケーキとっても美味しかったです。お店にもまた食べに来ます。絶対……」


「甘過ぎかもと思っていたのですが、どうでした?」


「私は丁度良かったです。でも、気になるのであればケーキの甘さは抑え気味にしてクリームやジャムを添えても良いかもしれません」


「うん、それは良い。貴重なご意見をありがとうございます!」


「あっ! わ、私なんかが偉そうに……ごめんなさい!!」


「とんでもない。参考にさせて頂きます」


 ドリスさんにも気に入って貰えたようで良かった。みんなの反応も上々だし、明日にでも店に出してみようかな。












「では……私はこれで失礼致します。ご馳走様でした」


「こちらこそ引き止めてしまいすみませんでした。今後もよろしくお願い致します」


 やっぱり始終恥ずかしそうに頬を染めていたドリスさん。そんな彼女の馬車を見送り、店に戻ろうと踵を返したその時――


「うわっ?」


 背後から思い切り突き飛ばされたような衝撃を体に受けて、俺は声を上げた。それはそのまま背中にどっしりと伸し掛かるように張り付いて離れない。首に回される長い腕に、頬を擽る髪の毛の感触……何者かに後ろから抱きつかれている。……正体は分かっている。朝から姿を見ないとは思っていたが、どこに行っていたのだろう。その人物は触れてしまいそうなほど俺の耳に唇を寄せ、潜めた低い声で呟いた。


「職場に女の子連れ込んじゃって……セディも隅に置けないなぁ」


「人聞きの悪い……彼女は果物屋です。追加注文したリンゴを持って来てくれただけですよ。てか、重い。離れて下さい」


「……向こうはそれだけじゃ無さそうだけどねぇ」


 首周りに絡みつく腕を解(ほど)き、体を捻る。そうやって俺に抱きついている彼を無理やり引き剥がした。


「俺に対して遠慮が無くなってきたじゃないか。うん、良い傾向だ」


「おかげさまで。ルーイ先生がいらしてから今日で10日になりますからね……多少耐性も付くというもの」


 俺の不遜な態度に怒るどころか、なぜか嬉しそうにしている長身の男。彼は人間ではない。信じられない話だが、目の前の青年は『神さま』なのだ。

 敬愛する主に命じられ、俺はこの方と共同生活をすることになった。神と一緒に住むなんて出来っこないと思っていたが、案外なるようになるもので……

 この方が良くも悪くも自然体というか……神っぽさが無いというか。見た目の通り妙に人間くさいため、今回のような戯れも適度にあしらえるようになってしまった。慣れとは恐ろしい。


「リンゴの追加っていうと、いよいよあのケーキを店に出すのかな?」


「ええ。先生も色々意見をして下さってありがとうございま……て、先生っ……髪、どうなさったんですか!?」


「あっ! やっと気付いた。うん、切っちゃった」


 切っちゃったって……何でもない事のようにさらっと言われてしまう。彼のトレードマークともいえる腰に届くほどの長い髪……それが見事にばっさりと切られてしまっていた。


「マリアちゃんのお友達のジェシカちゃんに切って貰ったんだよ。俺短いのも似合うだろ?」


 マリアちゃん……正しくはマリアンヌ・ベルティア。彼女は夫と共に『とまり木』を手伝ってくれている。従業員がほぼ軍人で構成されているうちの中では、貴重な一般人だ。しかし、一般人と言ってもベルティア夫妻は昔、俺の実家で働いていた経歴がある。つまり、俺やミシェル達の本業を知っている。別に秘密にしているわけではないけど、内情を知っている人間の方が一緒に働く上でやりやすいのは当然のことで……

 新しく従業員を増やそうと思ってはみても、何となく二の足を踏んでしまう。それはきっと、今の状態が心地良すぎるのが理由だ。

 しかし、マリアちゃんか……母親よりも歳上で子供の頃から色々と世話になっている俺には到底無理な呼び名だな。いつの間にそんなに親しくなっていたのだろうか……しかもその友人とまで。たった数日で店のご婦人方と着々と交友関係を広げている。この神の順応性とコミニケーション能力の高さには目を見張ってしまう。俺が早々に慣れたと感じるのも、彼のお陰なのだろうな。


「どうしていきなりそんな……」


「新しい環境で心機一転って感じ? それに働くなら短い方がいいかなって……何となくだよ」


「働く?」


「俺、明日からセディの店手伝うよ」


 冗談だろう。働くだって? あなた神さまでしょう。神さまがカフェの店員をやろうっていうのか。


「タダで世話になるのも悪いしな。それに俺、この10日でかなり人間たちの中に溶け込めるようになったと思うんだよね。もちろん、即戦力ってのは無理だろうけど、どうかなセディ?」


「いや、そんなことをして頂く必要はっ……」


「クーッ、クーッ!!」


 俺たちの頭上に響き渡る、鳥の鳴き声。それは俺の言葉を遮ったことなど意に介さず、己の存在を主張し続けている。


「あれは……レオンの鳥じゃないか。足になんか括り付けられてんな」


「エリス!」


 主の所有している赤い美しい鳥……俺の呼び掛けに応じて高度を落とすと、伸ばした腕に向かって着地の体勢を取った。

 彼を無事に腕に止まらせると、足に結び付けられている紙を解いてやる。この時、労いの言葉を忘れてはならない。


「ご苦労だったね、エリス」


 彼から受け取った紙を広げる。これは主からの文だ。俺は急いで中に記された文章を読み始めた。


「それ、レオンからの手紙だろ。あいつ何だって?」


「……ルーイ先生。先ほどのお話ですが、私の一存では決められません。神であるあなたに労働をさせるなど、メーアレクト様がどう思われるか……」


「メーアは面白がるだけだと思うぞ。俺自身がやるって言ってんだからいいだろ。髪まで切って気合い入れたってのに……」


「明日、店は臨時休業になりました。それについても相談致しますので、返事はもうしばらく待って下さい」


「相談? 誰にだよ」


「我が主に……。レオン様が、明日こちらに来られるそうです」

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