魔王
驚かないで聞いてほしい。
雲にまで届こうかという超巨大な魔王城は、何とびっくり平屋だった。
見上げて目を凝らしても見えることのない天井と、意味不明な程に広いホール、そしてその最奥で偉そうに頬杖をついて座っている魔王。
偉そうにしているが魔王様、つまりここはハリボテ空間ということですよね、えぇ。
『ヌハハハハハ! よくぞ来たな勇者よ!』
『魔王! 民を苦しめる貴様を倒しに来た!』
『ヌハハハハハ! 四天王を倒したくらいでいい気になるんじゃないぞ!』
シリアス展開を繰り広げているところ悪いが、ハリボテに動揺しすぎてそれどころじゃないのだが。
何だこの空間は。何だこの無駄に無駄を重ねた広すぎる空間は。歪な屋根の形をした平屋って、めっちゃ高い平屋って、どういうことよ魔王様。
魔王が手を一振りしただけで大地が裂けた。
魔王の部下の四天王なんて比べ物にならない。強すぎる。
魔王は高らかに笑い、腕を振り、大地を踏み、咆哮する。そのどれもが国も滅びかねない強力な一撃で、ママ上達は避けるだけで精一杯だった。
胎児の俺はと言えば、ママ上の支援魔法に自らの支援を乗せてパパ上達を補助し、ママ上を加護で包んで身を守っていた。いつも暖かなママ上の胎内で、いつもよりも上昇したママ上の体温を感じ、彼女がどれだけその体にムチを入れているのかに気付かされる。
ママ上の体力も気力も底上げし、妊娠時の負担も和らげたつもりだ。
まだ七週目だ。お腹も少し張る程度だ。ここまで支援をした。それでも雪崩のように疲労が押し寄せてきている。
ママ上は無理をしているのだ。生命を腹に宿すとはこういう事だ。妊娠とはそういう事なのだ。
何より力を分け与えている自分自身が、ママ上の体力を奪っているということに悔しさがこみ上げてくる。歯さえあれば歯噛みしていた。腕さえあれば扼腕していた。
『ごめんね……、私頑張るから。あなたを守るから。だから、少しだけ、ほんの少しだけ我慢してね。ごめんね……』
ママ上はお腹をさすり、荒い呼吸を抑えながら、俺に伝える。
母親の愛。既に彼女に芽生えていたそれを、小さな振動として肌身で感じる。まだろくに形成もされていない、細胞の塊で、感じる。
あぁなんと心地の良い事か。
戦闘中で、しかも自分の死に直結していることが、目の前で起きているのに、ママ上に撫でられただけで、安心感が湧いてくる。
その時強烈な振動が俺を襲った。
魔王がとてつもないスピードでママ上の目の前にやって来て、ママ上を殴ったのだ。
ママ上の体が浮遊し、無駄に広い魔王城の壁際まで飛ばされる。
『セシル!!』
パパ上が叫んでママ上に駆け寄ろうとするが、やはり瞬速で現れた魔王に翻弄される。動くこともままならず、とめどなく注がれる攻撃を何とか防いでいた。
ライオさんも、フリューナさんも、同じような状況に立たされ、ママ上に駆け寄ることすら出来ないでいた。
ママ上はと言えば、ぐったりとその場で倒れ、意識を失っていた。
間一髪で俺が加護を最大出力まで上げることが出来ていたので、傷自体は一つもなかった。痛みもゼロに出来たと言えよう。言うなれば体が少し浮いて移動しただけだ。
だが、ママ上にかけた加護が強すぎて、ママ上の意識を遮断してしまったようだ。
要はママ上は寝てしまったのだ。胎内に包まれる感覚を再現した加護によって発生する強烈な睡魔に抗えるはずもない。
だが、それで良い。
ママ上が眠ってくれたならそれで良い。
ママ上、安心してください。俺が、奴を、倒します。
セシルが殴り飛ばされた。
俺はいてもたってもいられずに駆け寄ろうとしたが、凄まじい力の魔王に圧倒され、近付くことが出来ない。
「アレス! セシルが!!」
「大丈夫かセシル!!」
フリューナとライオも慌てているが、魔王のあまりの速さと力に一歩も動けずにいた。斯く言う俺もその一人。
「クソ! どうしてセシルが……! 彼女は俺の子を身篭ったというのに!!」
不甲斐ない。
父親になった途端にこれだ。元より勇者である自分が彼女を妊娠させたのがいけなかったのだろうか。いや、こんなことを言えばセシルは怒るだろう。
愛の結晶だ。
俺はまだ性別も分からない、名前も決まっていない我が子の無事を祈る。無事を祈ることしか出来ないことすら歯がゆい。
死ぬなセシル。死なないでくれ。
そう願った刹那。視界の端に映していたセシルが立ち上がったのが見えた。
「セシル!」
彼女が立ち上がったことに対する喜びが、思わず言葉として飛び出した。そして気付く、自分の失態に。
魔王もまた、その一言で彼女の生存に気付いてしまったのだから。
「おかしいな。聖女如き、あの一撃で殴り殺せたはずなのだがな」
ふっと笑みを浮かべ、一瞬でセシルの前まで移動した魔王は、再びセシルに殴打を食らわせんと、腕を振り上げていた。
クソ! クソ! クソ!
俺は無力な自分を責めながら、それでも届くように祈って剣を振るう。だが届くはずもない。この距離だ。だめだ。当たる。
瞬間、辺り一帯に強烈な打撃音が響き、俺はその場に崩れ落ちた。無様にも、目の前で、最愛の人を失――――――
そこにあった光景に、俺は言葉を失った。
立ち上がったセシルは、俯きながら右手を上げ、軽々と魔王の殴打を片手で受け止めていたのだ。
理解が追いつかなかった。
魔王も理解ができていない。ライオも、フリューナも。
四人に沈黙が訪れる中、ただ一人、セシルだけが怒気を込めた言葉を放った。
「ママ上を、傷付けるな」
謎の言葉の直後、辺りは一瞬眩いばかりの閃光に包まれて、同時に爆音を轟かせた。
何が起きた。この光は何だ。
目を開くことすらままならない程の光が止み、ゆっくりと瞼を開く。
「セシル!」
俺は視界定まらぬ内に駆け出して、剣を構えた時にようやく目に飛び込んできた光景に「はぇ……?」と言葉を漏らした。
左手を翳すセシルと、膝から上の肉体を全て失った魔王、そして消滅していた魔王城の大半。
天変地異でも起こったのだろうか。
もしも俺が見た光景を、そのまま理解するとするならば、聖女であるセシルが魔王を討伐し、あまつさえ魔王城の殆どを消し飛ばしたということになる。
まさか、そんな、ありえない。
ライオやフリューナの方に視線を移してみても、俺と同じように何が何だか理解できていないといった表情を浮かべているだけだった。
残った魔王の脚も塵と化して風に消え、翳した手を下ろしたセシルもその場にはたりと倒れ込んだ。
俺ははっと我に返ってセシルに駆け寄った。
魔王討伐から八ヶ月が過ぎた。
胎児の俺は、それはそれは大切に大切に育てられた。毎日のように声をかけられ、肉体が出来上がり出した頃にはちょっぴりいたずらのようにママ上の胎内で動いてみたりした。
その度に嬉しそうに「今動きましたよ!」と喜ぶママ上や、その言葉を聞いて感動しながらママ上のお腹をさするパパ上を感じながら、微笑ましく思っていた。
魔王を討伐したあとの話だが、ママ上達はあの場で起きたことを、神か何かか赤子のおかげかの二択に絞ってそのまま結論を出さずにいた。生まれてきた俺に聞いてみるだなんて可愛らしいことを言っていたのは覚えている。
ママ上達は国から讃えられ、彼らの願いでこじんまりとした村でひそかに暮らすことを許されたらしい。今でもパパ上は国に呼ばれてドラゴンと戦ったり、新たに現れた脅威に立ち向かったりしているようだが。
そう言えばライオさんとフリューナさんもようやく初夜を迎えたとか何とか。死ぬほど不器用なライオさんのことだから、最初から最後までぎこちなかったのだろうかなどと下世話なことを考える。
今、俺は絶賛誕生中。
ママ上は助産師さんの掛け声とともに必死に力んでいる。
当の俺は殆ど力を使い果たしてしまい、今は小さな意識の集合体となり、ママ上の痛みを和らげることも出来ずにいた。
せめてもの思いで、ママ上の気力体力を少しばかり回復してあげたので、安心して俺を産んでほしい。
俺は体が流れてゆくのを感じながら、これが産まれる胎児の気持ちなのかと感動していた。あぁ、幸せだ。
相変わらず自分がどういう存在なのかは理解していないが、もうこの際どうでもいいんじゃないかと思っていた。
何だかとっても眠たい。
今更ながらに胎児になっているのだろうか。もう生まれる直前だ。
くすりと微笑んだ。
多分、本体の方もくすりと微笑んでいた。
ママ上ようやく俺は産まれますよ。
今更初めましてじゃないけれど、ずっと意識はあったけれど、改めて言わせてもらおう。
俺は消えゆく意識の中、精一杯の気持ちを込めて泣いた。
初めましてママ。
残念だったな読者共! 授乳シーンは無い!
ということで完結しました。結局魔王を倒す間は殆ど胎芽で、実質『胎芽、魔王を退治する』状態だったのですが、気にしないでくださいね。
この物語を書き始めた当初は、何を書いているんだ自分はと思っていましたが、自分でも意外なことに、なんともハッピーな終わり方で、予想していた下品さはほとんど無かったように感じました。
胎児が子宮の観察しながらママをお守りして最後には魔王を倒すという意味不明な内容でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
感謝とともに、授乳シーンを書けず申し訳ございませんでした。ママ上のお顔は想像にお任せしますね。それでは、パイパイ!




