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ケモ耳少女が惚れた勇者は、自己肯定感ゼロでした  作者: 遠崎カヲル


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第1話 森と、大ピンチと、いいにおいの勇者様

「もふもふにだけモテる勇者は、自分の価値がわからない」のリブート版です。

ストーリーはほとんど一緒ですが、こちらを更新していきますので、よかったら楽しんでくださいね。


 足が痛い。


 ニャリエナは木の根を踏み越えながら、それだけを考えていた。走り続けて、どれくらい経ったのかわからない。

 猫毛に覆われたふさふさの耳をぴんと立てる。金色のツリ目が、暗い森の奥を鋭く見回した。

 気配を感じる。四つ……いや、五つ。じわじわと包囲を狭めてくる。


 獣人(さら)いの人間だ。


 においでわかる。汗と、鉄と、それから——獣を捕まえるときに使う、あの薬のにおい。

 嗅いだことがある。族の仲間が攫われた夜と、同じにおい。

 とても嫌なにおいだ。


 木々の間から光が差している。あそこは開けている。

 だが、出れば見つかる。

 ニャリエナは迷わず暗い方へ曲がった。


 だめだった。


 前に二人、立っていた。大きな網を持って、にやにやしながらこちらを見ている。


「逃げ場はないよ、子猫ちゃん」


 振り返れば後ろにも三人。じりじりと距離を詰めてくる。

 ニャリエナは低く身構えた。尻尾が膨らむ。戦えないことはない。でも五人は多い。囲まれたら終わりだ。


 その時、少し離れた茂みから、枯れ葉を踏む音がした。


 全員が動きを止めて視線を向けた。ニャリエナも同じだった。


 木々の隙間から、人間の男が一人歩いてきた。


 男は小さかった。獣人攫いたちより頭一つ分は低い。痩せた身体を縮こまらせるようにして歩いている。

 身長も高くないのに、その猫背のせいで余計小さく見えた。


 ぼさぼさに伸びた前髪が目元へかかり、その奥で分厚い丸眼鏡が鈍く光っている。

 額にはじっとりと汗が滲み、湿っぽい髪が不健康そうな白い肌へ貼りついていた。


 背中には大きな荷物を背負っている。本や紙束、剣の手入れ道具らしきものまで無理やり詰め込まれていて、歩くたびに中身がごちゃごちゃと鳴った。


 歳は十代半ばから後半くらいだろうか。少なくとも、ニャリエナより年下に見えた。


 男は歩きながら、ぶつぶつと独り言を言っていた。


「……いや待って、あの剣筋はそもそも脇が甘いんだよな、だから僕が去年編み出した横薙ぎの変形を使えば——あ、でもそれだと魔力の消費が——」


 男は顔を上げた。そして、獣人攫いたちを見て、ようやく口を閉じた。


 沈黙があった。


 獣人攫いたちの笑い声が上がった。


「なんだこいつ、汗がスゲーな」

「うわ、ずっと独り言言ってるぞ……」

「荷物パンパンじゃねえか。旅っていうか引っ越しだろ」


 げらげらと笑い声が重なった。


 ニャリエナには、その反応の意味がわからなかった。この男の何がそんなにおかしいのか、さっぱりだ。


 男は誰とも目を合わせないまま、ぼそぼそと言った。


「あ、えっと、その……通りたい、というか……僕が通過しても問題なければ、ですが……あわわ……」


「失せろ。関係ないだろ」


「す、みません……いや本当に、その、僕の存在が邪魔で……」


 男はもごもごと謝って、一歩引いた。

 逃げるのかとニャリエナが思った瞬間、男と目が合った。男はニャリエナを見て、それから獣人攫いたちを見渡した。


「な……なるほど、そういう事……ですか」


 縮こまっていた気配が、すうっと消えた。メガネの奥の目が細くなって、五人全員をもう一度静かに見渡した。

 背中がスッと伸びて、ローブの下から剣が抜かれた。


 重心が落ちて、足の運びが変わる。さっきまでと同じ体のはずなのに、まるで別の生き物のように見えた。


「そういうの……感心できませんね」


 最初の一人があっという間だった。剣の柄で首筋を打って、崩れ落ちる前に次へ動く。

 二人目が魔法を構えるより早く懐に入って、三人目が網を投げるより早く足を払う。


 男はぶつぶつと独り言を言いながら戦っていた。


「この角度からだと右に抜けるのが定石で、でも右は根があるから左足に体重を——あ、この人左利きだ、なるほど、だから構えが——」


 誰に言っているのかわからない。でも手は止まらない。

 五人が地面に転がるまで、ほんの少しの時間だった。


 森が静かになった。


 男はメガネを押し上げた。乱れた息を整えながら、困ったように後頭部を掻く。

 ローブの裾がほつれていて、靴紐はまだほどけたままだった。


 ニャリエナは、鼻を動かした。


 男からは汗のにおいがした。紙と、魔法薬の焦げたようなにおいも混じっている。そして、今までに嗅いだことのないような不思議なにおいもした。

 鼻の奥へ残るような、濃いにおいだった。


 ニャリエナは一歩、近づいた。


「いい匂い。かっこいい」


 男の肩がびくっと揺れた。


「えっ……いや、その……違くて……いい匂いでは、絶対なくて……」


 男は目を泳がせたまま、指先でもぞもぞとローブの裾をいじった。


「昨日その……風呂に入ってないから……あぅ……すみません……」


「……名前は、何ニャン」


 男はまたびくっとした。


「アルファス、といいます……いや名乗るほどでもないんですが、僕なんて……あの……んぐっ」


 ニャリエナは頷いた。


「アルファス」


 呼ぶと、男がびくっとした。


「名前で呼ぶのは恥ずかしいから、勇者様って呼ぶニャン」


 ニャリエナは尻尾をゆっくりと揺らした。もう一度男のにおいを嗅ぐ。


「で、ですよね……アルファスなんて……その……恥ずかしい名前で……」


 男は誰にも聞こえないくらい小さい声でブツブツ言っている。


 ニャリエナは気にせずに口を開いた。


「勇者様はどこに行くニャン?」


「え……僕ですか? い、いや、宛はなくて……放浪してるので……あぅ……」


「ついていくニャン」


「え、あの、なんで……」


「助けてくれたから。かっこよかったニャン。あたしはニャリエナ、よろしくニャン」


 アルファスは、しばらく口をぱくぱくさせていた。それからメガネを押し上げて、ぼそぼそと言った。


「……別に、たまたま通りかかっただけで、お礼とかいいですし、その……むしろ迷惑じゃないですか、僕なんかについてきても……」


 ニャリエナはすでに歩き出していた。


 アルファスの二歩前を、当然のように。


 後ろでまたぼそぼそと独り言が聞こえたけれど、ニャリエナは振り返らなかった。足音が、おそるおそるついてきた。


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