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優しいナイフ  作者: 音澄 奏
6/6

その六

私たちが部屋に入ってまず目にしたのは、憔悴しきった一人の男性だった。私はその男性が三園晃さんだと知って、酷く驚いた。直接会ったことはなかったものの、小説家でもある彼の著作を読んだことのある私は、きっととても理性的な人だと信じて疑わなかったからである。細君を亡くして泣き続けたのであろう、虚ろな瞳はどこか腫れぼったく、ぼんやりと宙を見つめていた。身なりはそれなりに整ってはいたが、とても三園財閥の御曹司とは見えなかった。

「晃さん、初めまして。僕は加賀見恭一と申します。」

それまでぼんやりと虚空を見つめていた晃さんが加賀見の名前を聞いて、ぴくりと眉を動かした。

「加賀見…?帝都の名探偵の…?」

いや、そんな大それたものでは、と加賀見が言うか言わないうちに、晃さんは加賀見の肩を掴むと、激しく慟哭した。

「加賀見探偵!!私は、私は自分の醜い嫉妬のために妻を殺しました!どうか、どうか私を牢獄につないでください!!」

お願いします、と泣き崩れた晃さんを見て、私は茫然とした。では本当にあの聡明な晃さんが百合子さんを殺した、というのか…?加賀見は自分に縋りつく晃さんを苦しそうな顔で見ると、「やめてください」と言った。

「やめてください、晃さん。私は貴方を罰する方法を知りません」

「いいえ、私は人殺しです、百合子をあの美しい百合子を殺したのは私なのです、どうか私を罰して下さい」

――それは全く奇妙な光景だった。自分を罰してくれ、と嘆く殺人犯と、それはできない、とはねのける探偵―…私は目の前で何が起きているのかもよくわからず、ただ二人のやりとりを茫然と見ていた。

「晃さん、もうやめて下さい」

先に問答に耐え切れなくなったのは加賀見の方だった。

「貴方が自分を犯人だと言い張るのなら、私は真実を言わなければいけない。」

「真実…?」

真実、という言葉を聞くと晃さんが一瞬たじろいだのが私にも分かった。

違和感を覚えた私は、加賀見の肩を掴んだ。

「どういうことだ…?加賀見…?百合子さんを殺したのは、晃さんじゃないのかい?」

ふ、とその時加賀見が笑った――ような気配がした。何故、と加賀見は言った。

「何故、晃さんが百合子さんを殺す必要があるんだい?」

「いいえ、私です私です、わたくしが百合子を殺しました!」

自分の声を遮るように言った晃さんの方を見て、加賀見は悲しそうな顔で見つめた。

「晃さん…僕には百合子さんの好きな方が分かりました」

「え?」

私と晃さんは驚いて加賀見の方を見た。一体、いつから加賀見は百合子さんの恋人の正体に気付いていたのか?いや、そもそもそれが百合子さん殺害の犯人に関係あるのか――そんな私をよそに、加賀見はまっすぐに晃さんの方を見て言った。

「晃さん、百合子さんの好きな方は」

「私です!わたくしが百合子を――」

殺しました、と晃さんが言うより先に加賀見の声が取り調べ室に響いた。

「一ツ橋龍之介さんですね?」

驚いて私は加賀見の方を見た。

晃さんはその場にへたへたと座り込む。その様子を見て、加賀見はやはりか…と呟いた。

「ま、待ってくれ!加賀見!龍之介さんは百合子さんの実のお兄さんだろ!?それに百合子さんは晃さんの細君で…」

「だからだよ、二階堂。だから百合子さんは晃さんを『隠れ蓑にして』龍之介さんを『愛し続け』なければならなかったんだ」

「そんな…」

私は思わず言葉が続かなかった。百合子さんが愛した人は血の繋がった実の兄だった。許されない恋を忍ぶために、百合子さんは兄の親友である晃さんと結婚した、というのか。でもそれでは、晃さんは…?

「わたくしは百合子を愛しておりました」

はっと私は驚いて晃さんを見た。晃さんはまるで独り言のようにぽつりと言った。

「わたくしは百合子を愛しておりました…たとえ、百合子がわたくしのことを愛していなくても…」

「晃さん…貴方は…」

気付いていたというのか、百合子さんが龍之介さんを愛していた、ということに。

「…百合子が龍之介を好きだとしても…いいえ、違います…私は百合子の想いを侮っていたのかもしれません…それは恋ではないと…だから、いつの日か自分のことを愛してくれるのではないかと…でも…」

ぽろぽろと晃さんの瞳から透明な涙が零れ落ちた。私はあれほど透き通った涙を見たことがない。

「でも…百合子の想いは確かに恋でした…透き通った、でも確かに燃えている青白い焔のようでした…」

ぽつりぽつり、と語る晃さんに私は龍之介さんの言葉を思い出した。

「でも…だって、貴方がた夫婦はとても仲が良かったと…!」

そう言ってから、私はすぐに後悔した。晃さんがひどく悲しそうな顔で、けれど表情だけは笑って言ったからである。

「…私たちはある意味では共犯者でしたから…私の想いは叶うことはないですが、百合子の想いが叶うこともない…そして私といる限り、百合子の想いは白日の下に晒され非難を浴びることもなかったのです…」

「そんな…」

言葉を失った私に加賀見が辛そうな顔をして言った。

「お二人の関係はうまくいっていた。――少なくとも龍之介さんの結婚が決まるまでは」

はは、と晃さんが力なく笑った。

「そんなことまでご存知なんですか…そうです。あの時から、少しずつ何かが壊れていきました。百合子は晃の前では気付かれまい、と精いっぱい明るく振舞っていました。…しかし、夜になると声もたてず泣くのです。ただ涙だけを流して…先に耐えられなくなったのは私でした」

「…龍之介さんを書斎に呼び出したのは貴方ですね?」

「そうです。…私は龍之介が憎かった。何も知らずに百合子の前でへらへらと笑って、花嫁の話をする龍之介が憎くて仕方なかった。あいつも百合子の想いを知って、少しは苦しめばいい、そう思った…」

「ちょっと待って下さい、じゃあ、あの手紙は…」

晃さんの言葉に混乱した私は思わずそう言った。私の考えていることを見透かしたのだろう、晃さんの代わりに加賀見が言った。

「龍之介さんが言っていたじゃないか。手紙に百合子さんの愛する人をそこに招待した、とあった、と―――」

そうか。招待した、というのは他でもない、手紙を受け取った龍之介さん自身のことだったのだ。

「――晃さん、貴方は百合子さんにも十時に書斎に来るよう、手紙を出した。そこで、二人が対面し、龍之介さんが問い詰めて耐え切れなくなった百合子さんが想いを告白するだろう、そう考えたのですね?」

晃さんは無言で頷いた。

「でも、まさか、こんなことになるなんて――」

そう言って、晃さんが泣き崩れた。

その時、扉の外で大きな音がして、加賀見は眉を顰めた。

「全く、二階堂、君の部下は見張り番も静かにできないのかね――」

そう言ってドアを開けた加賀見は、そこに立っている人物を見て青ざめた。

そこに立っているのは龍之介さん本人だったのだ。

「嘘だ…」

 茫然と立ち尽くす龍之介さんを見て、加賀見は叫んだ。

「大木君!大木君は一体何をしてるんだ!?」

そう言って加賀見は大木君を呼ぼうとしたが、龍之介さんは加賀見を逃がさなかった。

「そんな――でも――では何故、百合子は死ななければならなかったのですか――」

黙って顔をそむけた加賀見の肩を「加賀見さん!」と龍之介さんが揺らした。

「――これは僕の推測に過ぎませんが――貴方がなくした手紙を百合子さんは読んでしまったんでしょう」

加賀見の言葉に私は部屋の隅に何かが燃えたような跡があったのを思い出した。もしかしてあれは――

「書斎の二階から――小道が見えました。十時に書斎に着いた百合子さんは晃さんが龍之介さんに書いた手紙を読んでしまったのです。そして、窓から見ると、去っていく龍之介さんの姿が見えた――」

その言葉に全てを理解したらしい龍之介さんは驚いた。

「では、百合子は僕に拒絶されたと思って……?」

そう言った龍之介さんに加賀見は黙って目を伏せた。龍之介さんはへたへたとその場に座り込んでしまった。

「僕が――僕が百合子を殺したんだ―――!!」

「違う!」

そう言って、龍之介さんに駆け寄ったのは晃さんだった。

「私があんな手紙を書かなければ、百合子は――」

まるで百合子さんを殺したのは自分たちだ、と言わんばかりに嘆く二人を見て、加賀見は言った。

「――貴方がたを裁くことは誰にもできません」

「――でも!」

「―――人を愛することを、誰が裁けますか?」

そう言った加賀見に二人は目を合わせると、黙って声もたてず、ただ泣いていた――。


「…いつから、君は気付いていたんだい?」

晃さんが警察に自首し、事件が意外な顛末を迎えてから一週間くらいたった頃だったろうか。いつもの部屋の窓辺で日光浴に勤しむ加賀見に私は聞いてみた。

結局、百合子さんの死は事故死として処理されることになった。実際、誰も殺人犯などいなかったから当然のなりゆきだった。

「別邸に初めて行った時かな。…言ったろう?最近の靴跡が二つしかないって。小さな靴跡は、別邸で亡くなった百合子さんのものさ。もう一つは龍之介さんのもの。…他に百合子さんの恋人が訪れたなら、靴跡は全部で三種類はなきゃおかしい」

さすが帝都の名探偵、というべきか。そう言うと加賀見は嫌がるだろうから、私は黙っておくことにした。

百合子さんの死や晃さんの自首は上層部でも隠しきれるものではなく、ここのところ新聞をにぎわせている。そのために龍之介さんの婚約は破談になった、と風の噂で聞いた。しかし、私は龍之介さんが断ったのではないか、と密かに思っている。

「しかし、なんでナイフなんだろう」

凶器の骨董品のナイフは龍之介さんが晃さんに譲ったものだという。龍之介さんや晃さんに疑惑の目がいく可能性もあったかもしれない。やはり、百合子さんは二人を恨んでいたんだろうか?

「――これはあくまで僕の推測――というか希望的観測に過ぎないんだが、あのナイフは百合子さんにとって、大切な品物だったんじゃないかな。彼女はそれを胸に抱いて最期を迎えたかったんだろう」

龍之介さんが、晃さんに譲ったという古いペーパーナイフ。

――私には見えるような気がした。まだ仲のいい兄妹とその友人だった頃の三人が、書斎で語り合う姿と、その傍らにあるペーパーナイフが。

「……ということは、あれは抱擁だったのかな。優しいナイフの抱擁」

加賀見はそれを鼻で笑うと、

「優しいナイフ?何を言ってるんだい?君は。全く洞察力が足りないよ。もう少しまともな本でも読んだら、どうだい!」

そういうと加賀見は私の前に無造作に蔵書を置いた。私は手に取って、二三行読んでみたがすぐに眠くなってしまった。どうも加賀見とは本の趣味は合わない。

「はあ~あ、君のところの小林少年が何か事件でも持ってこないものかな」

「うちの大木君を変な名前で呼ぶのはやめてくれ。それに、ああ見えて彼はとっくに成人しているからな?」

そういいながら、私は全く加賀見には情緒が足りないな、と考えていた。いい機会だから今度アンデルセンでも貸してやろう。


春のうららかな陽ざしの中で加賀見が目を細めるのが見えた。

今、しばらくは私の愛すべき平和で退屈な日々が続きそうである。


2019年3/30にアップした分から加筆修正しました。

こちらの方が読みやすいかな〜と個人的には思います。

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