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優しいナイフ  作者: 音澄 奏
2/6

その二

 しかし、奇妙なことに、そんな不器用な加賀見にも探偵が務まるように世の中はできているらしかった。

 翌日、部屋を訪れた私と大木刑事の前には、加賀見と、もう一人、この事件の重要な鍵を握る人物が待っていた。

 「一ツ橋龍乃介と申します」

 いかにも育ちの良さそうなその男性は、私たちに向かって深く礼をした。加賀見は一ツ橋氏に長椅子に座るよう促すと、「この度は大変なことでしたね」と声をかけた。加賀見の言葉に一ツ橋氏の顔に影が落ちた。

 「妹があんな風になってしまいまして…でも加賀見先生が助けて下さる、と聞いてとても心強く思っています」

 「ちょ、ちょっと待ちたまえ加賀見っ!妹?そして、一ツ橋ってまさか…!?」

 「二階堂、君ねぇ、事件関係者について把握しておくのは刑事として当然の勤めじゃないかい?」

 混乱する私に加賀見が呆れた声で言った。

 「改めて紹介しよう。亡くなった三園百合子さんのお兄さん、『一ツ橋龍之介』さんだよ」

 加賀見の言い方はまるで旧友を紹介するような調子だったので、私と大木刑事の口はぽかーんと開いたままになってしまった。

 「…って!!亡くなった三園百合子さんの兄と言えば、一ツ橋財閥のご長男じゃないですか!!」

 「だから、そう言ってるじゃないか、大木刑事。二階堂君、部下のしつけも上司の仕事だと思うよ…って?」

 ん?と首を傾げた加賀見の服の袖をぐいぐいと引っ張ると、こそりと耳打ちした。

 「加賀見!一体今度はどうやって一ツ橋のご長男をたらしこんだんだ!?」

 「たらしこんだって…君、もうちょっと他に言いようはないのかい??」

 冷静に考えたまえ、と混乱する私に加賀見は言った。

 「三園財閥のご当主の細君が亡くなって、しかも変死ときている。容疑者はご当主。…と来たら、困っているのは三園財閥の方さ。だから僕は、母上につてを頼んで、亡くなった百合子さんに近しい人を紹介して貰ったのさ」

 「あ、ああ…なるほど」

 言われてみれば、その通りだ。こう見えて、「帝都の名探偵」と名高い加賀見である。亡くなった百合子さんの兄の一ツ橋氏が加賀見を頼ってきても不思議ではない。

 「あの…刑事さん…ですか?」

 その時、加賀見の後ろで私達の言い合いを眺めていた一ツ橋氏が口を開いた。

 「僕は…捕まるのですか?」

 加賀見と私は一ツ橋氏の言葉にびっくりしてお互いの顔を見た。

 「捕まる…とは、どういう意味ですか?龍之介さん」

 加賀見の言葉に一ツ橋氏――いや、龍之介さんはびくりと背を震わせた。

 「酷いな…僕のことを助けて下さる、と聞いたから、やって来たのに…加賀見さんまで僕を疑っているなんて…」

 ぐっと拳を握り締めた龍之介さんに、辺りの空気がぴんと張り詰めるのを私も感じた。どうやら、私達二人が刑事、だということで龍之介さんを疑心暗鬼にさせてしまったようだ。しかし、「捕まる」というのはどういう意味だろう?

 「なるほど…そうですね。確かに助けるかどうかは保障致しかねます」

 そう正直に言った加賀見に私と大木君は阿呆のようにあんぐりと口をあけてしまった。馬鹿加賀見、ここは嘘でも「必ず助けます」と大見得を切る場面だ。

 「やっぱり…!」

 「僕は百合子さんを殺した犯人を突き止めるために動いています。ですから、もし、貴方が犯人なら躊躇なくそこにいる二階堂刑事に引き渡すでしょうな」

 私は無言で天を仰いだ。隣にいる大木君がどんな顔をしているかは見えなかったが、恐らく私と大差ない馬鹿面をしていたことだろう。

 しかし、加賀見の言葉を聞いた龍之介さんの顔は、だんだんと明るくなっていった。

 「百合子を…百合子を殺した犯人を捕まえてくださるのですか…?」

 龍之介さんの言葉に加賀見は深く頷いた。

 「もちろんです。そのために僕は貴方に会いに来たのです」

 その言葉を聞くと、龍之介さんは堪えきれず泣き崩れた。加賀見は黙って龍之介さんの背をぽんぽんと優しく叩くと、私達の方を見て言った。

 「大丈夫です。そこにいる二階堂君と大木君は立派な刑事です。きっと力になってくれます。だから、事件のあった日のことを話してくれますね」

 龍之介さんは涙で顔を濡らしたまま、黙って頷いた。

 「僕と百合子は三つ年が離れた兄妹になります」

 と、ひとしきり泣いた後、龍之介さんはぽつりぽつりと話し出した。

 「百合子の下にもう一人妹がおりますが、僕と百合子とは年が近いこともあり、幼い頃からよく一緒に遊んで育ちました」

 そう目を細めて百合子さんの思い出を話す龍之介さんを加賀見は黙って見つめていた。

 「晃と…ええと、三園晃と妹が出会ったのも、僕がきっかけでした。晃の道楽で書いていた小説をこっそり持ち帰って百合子に読ませたのが、始まりでした。…もっとも、晃には後でひどく怒られましたが」

 ははは、と笑う龍之介さんはその時のことを思い出しているようだった。亡くなった百合子さんと晃さん、そして龍之介さんの三人で過ごした日のことを。

 「晃の才能を最初に見出したのも百合子でした。それまで晃は純愛小説…というのですか、悲恋小説といいますか、ばかり書いていたのですが、ある時、百合子の提案で洋館を舞台にした探偵小説を書くことにしたのです。それが『黒い百合の咲く丘で』です」

 「私も読みましたが、あれは本当に素晴らしい作品でした」

 思わず私がそう言うと、龍之介さんはまるで自分のことのように、顔を上気させて喜んだ。

 「晃さんと百合子さんの仲は円満でしたか?」

 この話の流れで、なんとデリカシーないことを聞くんだ、と私は加賀見の方を見たが、彼の目は至って真剣だったので、私は口を噤んだ。

 「良かったと思います。少なくとも二人は幸福そうに見えました。ただ…」

 「何か気になることが?」

 言葉を濁した龍之介さんに加賀見は身を乗り出した。

 「最近、少し二人とも何か様子が変でした」

 「変…といいますと?」

「百合子は情緒不安定になっていたように、思います。僕のことを見て笑顔で『お兄様は幸せな方だわ』と言ったり、かと思うと潤んだ目で遠くを見つめているのです。晃も…」

そこまでいいかけて龍之介さんは急に黙ってしまった。それを言うべきかどうか迷っているようだった。

「…全て話さないと駄目ですか」

迷っている龍之介さんに加賀見は強く頷いた。

「もし、百合子さんを殺した犯人を捕まえたいのなら」

龍之介さんは逡巡した上で重い口を開いた。

「その、これは百合子の名誉に関わることなので、あまり口にしたくないのですが…晃が言うには百合子には自分の他に愛する人がいるというのです」

私と加賀見は驚いて顔を見合わせた。

「どういうことです?」

「僕もにわかには信じられませんでした。二人は愛し合っていると信じて疑わなかったものですから。晃は…『百合子は私を隠れ蓑に今もその人を愛し続けている』と言っていました。あの日も…」

「事件のあった日ですね」

加賀見の言葉に龍之介さんは事件を思い出したのだろう沈痛な面持ちで頷いた。

 「事件のあったあの日、僕は一通の手紙を受け取りました。筆跡は変えてありましたが、それは晃の書いたものだと思いました。その手紙には十時に三園の別邸…別邸というのはあくまで呼び名で、実際は晃の書斎になっていました…そこに来るように書いてありました。百合子の愛する人をそこに招待した、と…」

 私は驚いた。亡くなった百合子さんがよもや夫の書斎で恋人と密会していたとは。加賀見は何か考えにふけっているようだった。私は身振りで龍之介さんに先を続けるようすすめた。

 「僕も…とても悩みました。行って百合子に会い兄として諌めるべきだ、という思いと…何も知らなかったままにしておきたい、という思いと…結局、一度は晃の書斎に行きましたが、時計の針が十時を指すより先に、耐え切れず外へ駆け出したのです。…僕が百合子の死の報せを受け取ったのはその翌朝でした」

「その告発の手紙はどうされましたか?」

 加賀見が険しい顔をして言った。龍之介さんは首を振った。

 「失くしてしまったようです。確かに取ってあったのですが、何処を探しても見つかりませんでした」

 晃さんが書いたと思われる告発の手紙…。失くしたと龍之介さんは言っているが、本当なのだろうか…。そもそも、本当に告発の手紙は存在したのか…?

 そんな疑問が私の頭を掠めた時、加賀見が龍之介さんに言った。

 「貴方はいつ百合子さんの死を知りましたか?」

 何気ない加賀見の質問に、龍之介さんは啜り泣きのような声を漏らした。驚いた私と加賀見は顔を合わせた。

 「翌朝…っ…僕が…晃の書斎を訪ねた時には…っ!百合子はもう…っ」

 なんと驚いたことに、百合子さんを最初に見つけたのは他でもない、龍之介さんだったのだ。加賀見はとんとん、と優しく龍之介さんの背中を叩いた。それは泣きじゃくる小さな子供を母親があやすときの仕草に似ていた。

 「ありがとうございます、龍之介さん。貴方は全てを話してくれました。僕も全力を尽くして犯人を捕まえます」

 龍之介さんが泣き声の間に何度も「ありがとうございます」と繰り返すのが聞こえた。


 

 「二階堂、大木くんに事件の概要をできるだけ詳しく調べてくれるよう頼めるかね」

 龍之介さんが帰った後、しばらく加賀見は長椅子の上であの不器用そうな指を組んだり、冷めた珈琲を啜ったりしていたが、急に出かける準備をしながら私にそう言った。

 「それはまぁ、多少はできるだろうけど…ってどこに行く気だい?」

「野暮なことを聞くね、君も。関係者に事情を聞いたら、次は現場検証と決まっているじゃないか」

「三園の別邸に行くつもりかい!?無理だよ、恐らくすでに警察が…上が調べてる、通しちゃくれないさ!」

「別に通して貰おうなんて思っちゃいないさ。…ちょっと忍び込むだけだからね」

加賀見の言葉に私は眩暈を覚えた。…このまま、事件の現場が荒らされるのを刑事として黙って見ているわけには行かない。

「分かった。私も付き合おう」

加賀見は僕の言葉ににやりと笑った。

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