第六話『正義(あこがれ)』
さかさまだった。
校門も、校舎も、そこに続く並木道も。
コンクリートの天井を見上げながら、俺は自分が刺されたことを思い出した。
見えるのは、眼帯が外れた右目だけだ。
竜の血に浸食された肉体は死ににくいのかもしれなかった。
ルシファーは、聖剣を手に笑っていた。
「ようソード、まだくたばっていなかったのか」
眼球の動きに気付いたらしく、ルシファーは仰向けで血を流している俺を見た。
「ちょうどいい。少しこいつの力を試しておこうと思っていたところだ。そのままそこで見ているといい」
ルシファーはフェンスの向こうの市街地に目をやると、そのまま聖剣を振り上げた。
黄金色の刀身から、まばゆい光が迸る。
大地が揺れる。
普段なら頼もしく感じるそれは、この上なく不吉な鳴動に感じられた。
やめろ。
やめろっ!
俺はかすかな嗚咽を喉から絞り出すことしかできなかった。
聖剣の力が解き放たれる。
周囲が一瞬、赤白く染まったかと思うと、木々が大きくしなり、校舎のガラスというガラスがはじけ飛ぶ。
音が聞こえたのは一瞬だった。
圧倒的な風圧は爆音とすら捉えることが出来ない。
そして。
街が割れた。
巨大な光の刃が駆け抜けたかと思うと、あとに残るのは燃え尽きようとする炭のような黒と赤。
それが眼下の都市を縦断している。
何人死んだ?
何万人?
俺はただ、それを見ていることしかできなかった。
「うーん、まだ力の調整が今一つだな」
ルシファーは何事もなかったかのように首を捻る。
校内は何があったのかと大騒ぎだ。
外の俺たちに気付いた者もいるようだった。
「少し肩慣らしが必要か」
ルシファーは周囲を見渡した。
待て。
約束が違う。
そんな俺に気付いたらしく、ルシファーは血の凍るような笑みを浮かべた。
「だから言ったろ。俺は何にも縛られないって」
言って、俺にとどめの一撃を振り下ろした。
○
俺は白い闇の中にいた。
空白だ。
天も地もない。宙を漂っているようだ。
すべての感覚がなくなって、そう錯覚しているだけなのかもしれなかった。
これが死か。
なるほど、こんなところにいればいずれ自我も保てなくなり、俺という存在は消えてなくなってしまうだろう。
そんなことを考えていると、頭の中に声が響いた。
『久しぶりだな、勇者よ』
聞き覚えのある声だった。
イメージが像を結ぶように、真っ白な空間に巨大な竜が現れる。
竜王。
かつて俺が倒した、最大の敵の一人。
赤黒い鱗がうねり、金色の目が漂う俺を覗き込んだ。
なんだよそれ。
こういう時は死んだ家族とか、懐かしい人が迎えてくれるんじゃないのかよ。
『どうであった、人の世は』
わざわざ嫌味を言いに来たのか。
どこまでも性格の悪いやつだ。
俺は軽くため息をついた。
「お前の言う通りだったよ。正義なんてどこにもなかった。俺が信じていたものは、ありもしない幻想だった」
『無様だな、勇者よ』
「でも、悪いことばかりじゃなかったんだぜ」
言って、はっとする。
「読は?! あれからどうなったんだ!」
竜王が鼻先で示した先に、世界を覗く窓のようなものが開く。
そこには、巨大な獣が幾度となく爪を立てたような、ずたずたに引き裂かれた街があった。
火の粉と塵が太陽を覆い隠し、アスファルトが焼ける匂いがここまで伝わってきそうだった。
読。
栞。
佐竹山くん。
藤木さん、南々坂さん……
風鳴りが怨嗟のような声を上げている。
ビルの看板が煽られて、巨鳥の羽ばたきを思わせる不吉な音を立てていた。
高熱に穿たれ原型を留めぬ建物群にはあのカラオケボックスが入った雑居ビルもあったはずだが、もはや識別することはかなわない。
融解して幾何学模様を描いている交差点に無数の自動車が沈み込んでいる。その窓に貼りついたものに、俺は言葉を失った。
何か手はないのか。
何か。
『コントロールよりイカロス各機』
二機のF2戦闘機が市街に接近しつつあった。
その翼下にはミサイルを四発取り付けている。明らかな作戦行動装備だ。
国がルシファーを処理すべき対象と認定したのだ。
『アンノウンの位置変わらず。予定距離に到達次第発射。ブレイクせよ』
『イカロスⅠ、了解』
『イカロスⅡ、了解』
二機のF2は、高度を下げてハープーンのセーフティを解除した。
『交戦開始』
聖剣の攻撃を警戒しての長距離攻撃。
だが、悠然と廃墟の中心に立つルシファーは、それらを一瞥するように聖剣を振り下ろした。
光が鞭のようにしなり、空中でミサイルを破壊する。
のみならず、大蛇のごとくF2戦闘機に襲い掛かった。
「バカな、この距離で……!」
二機のF2戦闘機は光に飲まれ、爆散した。
「フフフ……ファーハッハッハ!」
聖剣が振るわれた衝撃で暴風が吹き荒れる街に、ルシファーの高笑いが響いた。
みんな死ぬ。
死んでしまう。
「行かせてくれ! 俺を! あそこに!」
俺は叫んだ。
だがそれは叶わぬことだ。
だって、俺は、もう。
『行ってどうする』
竜王の双眸が迫り、俺を見つめている。
王という名にふさわしい、理性を感じさせるその瞳。
『お前は負けた。お前の信じるものはない。お前には何もない』
「それでもだ!」
俺は無我夢中で喚きたてた。
「何もない、今はまだ何もないよ! けど何もないもののために戦ったっていいだろう? 正義は夢だ。憧れみたいなものだ。あると信じて戦ってきた俺はバカだったよ。でも憧れならそれを実現するために足掻いてみたっていいじゃないか!」
『だがお前は報われなかった』
「まだだ。まだまだだ。まだまだまだだ! ヒーローは諦めないからヒーローなんだ! 必ず叶う夢なんてない。でもそれは諦める理由にはならない!」
『何がお前をそこまで駆り立てる』
「正義はないって言ったよな。でもあれはなんだ。人を苦しめ、死に至らしめる。あれは悪だ。そんな悪を無くしたいと願う……そう思うのはおかしいのかよ」
『もしもまた』
竜王は静かに告げた。
『ルシファーが人質を取ったらどうする。あの時、お前に打つ手はあったと思うか』
「……確かに、どうしようもなかったかもしれない。またやられるかもしれない」
竜王の言う通りだ。
「今はどうすることもできない。悔しいよ。でも諦めない。いつか答えを見つけ出してみせる」
『人の身には無理だ。人の生は短い。そのくせ途方もない夢ばかり語る。ほとんどが叶わず息絶えて終わる』
「…………」
『だがお前は幸運だ。お前には竜の肉体と、その生命力がある。数千年程度なら生き永らえることもできるだろう』
「……え?」
『気づいておらんのか。お前、まだ生きておるぞ――』
○
風の音がする。
黒煙が渦になって空に巻いている。
死のにおいが充満している。
それは、五感が戻ってきたことを示していた。
肺腑から血の塊が上がってきて、俺は激しく咳き込んだ。
「蒼人くん?!」
倒れた俺を覗き込むように、栞の顔がそこにあった。
「よかった……栞、生きて」
すべてを言い終わる前に、栞が俺の胸に飛び込んできた。
よほど心配したのだろう。
子供みたいにしがみついて離れない。
そのまま顔を埋め、支離滅裂な声を上げて泣いている。
知らなかった。
人が、人をこんなに想ってくれるなんて。
「栞、その、離れて」
栞はただ首を振る。
頭皮の匂いまで感じ取れそうなほど密着して、俺は少しくらっとした。
「ほら、汚れるといけないし」
慌てて栞を引き剥がして気づく。
血が……止まってる?
胸の傷も、無理やり溶接したように塞がっていた。
『運がよかったな、勇者よ』
「竜王?!」
確かに聞こえる。声ではなく頭の中に。
『竜の血は浴びたものの肉体を侵食する。お前もだいぶ『混じって』きたようだ』
ドラゴンの生命力は人間のそれとは比較にならない。
人間のままなら死んでいた。
「ずっと見ていたんだな」
本当に、どこまでも性格の悪い。
『お前の馬鹿げた夢、見届けたくなった。少し力を貸してやろう。蘇生にかなり力を使い、本来の五分の一程度ではあるが、聖剣を持たぬお前より、それでもだいぶましなはずだ』
言われて気付く。
確かにこれまでと違う力が、体の奥から湧き出ているのが分かる。
俺は周囲を見渡した。
場所はまだ学校のようだ。
ただし聖剣の爪痕は大災害もかくやという有様だった。
めきめきと家屋が倒壊する。
これをニムエにやらせてしまったと思うと胸が痛んだ。
ルシファーの姿は見当たらない。
だが、今の竜眼なら見つけることも可能なはずだ。
右目に意識を集中する。
以前は感じられなかったくらい小さな魔力の流れも光として認識できる。
だがおかしい。
一つ、巨大なものはルシファーだとして、ほかにも無数の光の点が、この市街地に集まってきている。
考えられるのはエルヴィラたちだが、それにしても多すぎる。
俺はまだ少しおぼつかない足取りで立ち上がった。
「――栞はどこか安全なところへ」
右腕の包帯を解く。
暗雲の向こうから戦闘機特有のジェットエンジンの音が聞こえてくる。
第二波攻撃が始まるのだ。
一刻の猶予もなかった。
今回はちょっと勉強することが多くて、結構時間を使ってしまいました。
ストックを食いつぶしたので、次回からは定期更新むりかもしれません。
それでも週一程度には更新したいなあと思っているのでよろしくお願いいたします。
予定通りにいけばあと三話ほどで完結です。




