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寺泊型郵便護衛重巡洋艦~ユダ公のミサイルなんか恐かねぇ!!野郎ぶっ殺してやらぁ!!~

 1973年10月11日。

 この日、日本から遠く離れた地中海で日本郵便防衛庁を震撼させる事件が発生した。

 シリアの地中海に面する港湾都市ラタキアの沖でシリア海軍とイスラエル海軍が交戦。後に“ラタキア沖海戦”と呼ばれるこの海戦に日本郵船の高速貨物船“山城丸”(総トン数10467トン)が巻き込まれたのだ。


 幸いにして山城丸が沈む事は無かった、二発で軍艦が沈むと云われている対艦ミサイルを貨物船である山城丸が一発被弾しても沈まず、乗員に死傷者も出なかったのは奇跡に近かったものの、その船体は積荷ごと全焼してしまったのだ。


 いくら日本郵船が郵政省と組織的な関連が無い民間海運企業とはいえ、その船には郵政省が委託する国際郵便や小包が多数積み込まれているのだ。

 そんな船が攻撃に曝され、挙句の果てに燃やされていいはずが無い。


 そして、山城丸を攻撃したのがイスラエル海軍のミサイル艇だと判明すると、イスラエル政府から日本政府へ謝罪声明が発表されたのであるが、それだけでは怒りが収まらなかったのが“彼ら”であった。


 翌日の未明。

 東京都千代田区二番町に突如として爆音が響き渡った。


 何者かが在日イスラエル大使館を砲撃したのである。

 夜が明けてみれば、大使館に繋がる路地を塞ぐゲートは滅茶苦茶に踏み潰され、大使館建物には大きな破孔が開いているなど惨々たる有様である。


 そして警視庁と在日米軍の捜査によって、ゲートは装軌式車両の履帯によって踏み潰された事が、大使館に残っていた爆発物の破片から106mm対戦車無反動砲によって榴弾が2発撃ち込まれた事が判明し、この為に郵便防衛庁の何者かが六二式郵便戦車で犯行に及んだものと推定された。

 だがしかし、現場の路面やゲートの残骸に残されていた痕跡、履帯の走行痕や塗装片は六二式郵便戦車のものとは異なり、国内のあらゆる車両のものとも合致しない事が判明。


 この謎の車両、というのも六二式郵便戦車を開発する際の参考にソ連製水陸両用戦車PT-76へ106mm対戦車無反動砲を搭載した試作車両の事であるが、この車両の存在を日本政府と郵便防衛庁が秘匿していた為に捜査は暗礁に乗り上げ、遂には迷宮入りとなってしまった。


 まあ、報復はさておき、日本郵便防衛庁はラタキア沖海戦での事案によって海上輸送される郵便物の防衛が必要だと痛感したのだ。


 だがこれまで郵政省と郵便防衛庁、そして日本政府は、海上交通網の治安維持を海上保安庁に一任し、日本の領海外についてはその海域近辺の国に任せて来ていた。

 つまりは、紛争などで海上治安維持能力の失われた海外の海域を航行する船舶を、その船舶に積載されている郵便物を守る手段が無かったのだ。


 なら、守る手段が無ければ作れば良い。


 こうしてまずは郵便防衛庁に“海上郵便輸送護衛検討室”が発足し、郵便防衛庁や海上保安庁、その他各所から旧海軍退役軍人を引き抜き、さらには顧問として横須賀を母港とするアメリカ海軍第七艦隊から将官を、日本郵船からも役員らを招聘した。

 そして検討の結果、以下の方針が定まった。


・郵便防衛庁の下に、郵便を輸送する船舶の護衛を任とする海上部門を設置する。

・この組織の規模は、郵便を積載して日本~欧州間の航路、特に政情不安が続く中東海域を運行する全ての便を護衛できる規模を目標とする。

・護衛方法は郵便を輸送する船舶に護衛艦船を随行させ、脅威が迫った際には艦船に搭載された装備にてその脅威を排除する。


 こうして1974年、“海上郵便防衛部”が発足し、郵便防衛庁はアメリカ海軍より中古のギアリング級駆逐艦(基準排水量2600t)が3隻、“DD-844 ペリー”、“DD-865 チャールズ・R・ウェア”、“DD-884 フロイド・B・パークス”、そして艦隊旗艦としてオレゴン・シティ級重巡洋艦(同14500t)が1隻“CA-124 ロチェスター”を購入し、旧海軍退役軍人やアメリカ海軍から派遣された顧問らを中心として乗員の訓練に当たる事となった。

 なお、海上郵便防衛部の発足に際して、これまでの陸上での任務に当たっていた郵便防衛庁の部門である“郵便防衛部”は“陸上郵便防衛部”と部署名を改める事となった。


 また、艦の選定に当たっては当初アメリカ側より駆逐艦6隻が、駆逐艦2隻からなる護衛艦隊2個と予備艦隊1個という運用案と共に提案があり、これに対し旧海軍の退役将校らが司令部設備を持つ旗艦として排水量10000t以上の艦船1隻を要求した為にこのような結果となった。

 彼らの本音といえば大きな艦隊、そして大きな艦と大きな砲が欲しいという大艦巨砲主義を引きずっていただけであったのだが、実際に日本近海で運用訓練をしてみると重巡ロチェスターの持つ後部飛行甲板によってシコルスキーS-58ヘリコプターによる対潜哨戒運用が可能であったり、三連装8インチ砲塔が3基とその他各種の充実した兵装、そして軍艦然としたシルエットが隊員らの士気高揚に一役買うなど多くのメリットが見られたのだ。


 そして1975年。

 僅か一年間の速成訓練ではあったが、士官クラス以上に従軍経験者が多かった事も助かって郵便防衛庁初の水上部隊、重巡ロチェスター以下4隻からなる“第一郵便護衛艦隊”は初の郵便護衛任務に就いたのである。


 この年、懸念されていた中東での紛争や政情不安は小規模なものに留まり、そして不安視されていたスエズ運河の交通も、エジプト・イスラエル両国の機雷によって封鎖されたスエズ運河はアメリカ海軍による掃海作戦の終了によって交通が再開されたのだ。

 この為に第一郵便護衛艦隊はこれといった障害もなく日本~欧州間の往復護衛任務を成し遂げたのであった。


 しかし問題があったとすれば、燃料と寄港国への配慮であろうか。

 当初の方針からして航海に不安のある中東海域での護衛が目的であったのだが、中東周辺に拠点港を持っていなかった為に日本郵船の日本~欧州間の全行程に艦隊が同行。

 この為に燃料の重油を多大に消費し、さらに寄港先の国には事前通達があったとはいえ排水量14500トンの重巡ロチェスターを初めとした艦隊が港に押し寄せて来るとなると無用な威圧感を滲ませてしまうのは当然の道理であった。


 つまりは中東近辺に拠点となる港を整備する必要があったのだ。

 だがしかし、中東に日本の友好国は殆ど居らず、もし拠点港が整備出来たとしても現在保有する一個艦隊だけでは艦の整備や乗員の休暇に当てる予備が無く運用に無理があった。


 幸いにして拠点港に関しては、トルコからNATO軍司令部も置かれている港湾都市イズミルと、フランスの仲介によってフランス領アファル・イッサのジブチ港にあるフランス海軍基地の一角を貸して貰える事になった。

 トルコは中東地域に数少ない親日国であったのが助かって、フランスは六四式郵便小銃の件で郵便防衛庁を気に入ったらしい事から港を貸してくれたのであった。


 そして残る問題は第一郵便護衛艦隊に続く第二、第三、そして中東以外での政情不安に備えての第四以降の郵便護衛艦隊の整備である。


 これに際しては当初、第一郵便護衛艦隊と同様にアメリカ海軍の中古艦艇を購入しようとしていたのだが、いくら物量の国アメリカとはいえ都合良く中古艦艇がある訳でも無く、駆逐艦クラスはまだしも重巡クラスの出物は全く無かった。

 しかれば艦を新造する他無いのであるが、国内の造船会社には戦中に培ってきた軍艦構造の艦船建造ノウハウは半ば失われつつ有り、いきなりの国産はまず不可能であった。


 なので日本郵便防衛庁は性能要求だけアメリカに渡して設計と建造を委託する事に決定した。

 以下がその性能要求である。


・基準排水量―15000トン以下

・全長―220m以下

・全幅―21m以下


・機関―重油ボイラー蒸気タービン方式4基4軸推進

・最大出力―150000馬力

・最大速力―35ノット

・航続距離―8000海里(巡航速度14ノット)


・兵装―8インチ(203mm)砲Mk.15、連装砲塔、3基6門

   ―5インチ(127mm)砲Mk.42、単装砲塔、6基6門

   ―40mm機関砲、連装砲塔、10基20門

   ―20mm機関砲、連装砲塔、14基28門

   ―艦対空ミサイル発射機、4基


・装甲―8インチ艦砲、魚雷、そして対艦ミサイルによる攻撃にも耐えうる事。


・その他―対潜哨戒ヘリコプターを4機運用可能な事。


 大まかに纏めると、オレゴン・シティ級重巡洋艦の兵装を幾らか縮小し、その分の余裕を速力と防御に割り振ったような性能要求であり、どう考えても時代錯誤の度が過ぎていた。


 というのも、今後の海戦の主流と見られていたミサイルについては、甲板上に非装甲で強力な爆発物を搭載する事が、太平洋戦争で魚雷発射管の火災、誘爆が原因で多数の艦が失われた事から忌避され、艦対艦ミサイルは搭載せず艦対空ミサイルのみ搭載が要求された。

 その代わりとして艦砲が、対艦ミサイルと比べて装甲の配置も容易で、一発当たりのコストが安く、弾数を多く撃てるという点が注目された事から、ロチェスターに引き続いて8インチ砲の搭載が要求されたのだ。


 こうして3年後の1978年。

 オレゴン・シティ級の艦形を半ば流用する形でこの新しい郵便護衛艦は完成。続く2番艦の建造も8割ほど完了、この2番艦が完成次第ロチェスターにも艦対空ミサイルの搭載などの改修が予定されている。


 そして艦と艦型の名前は新潟県の港に因んで“寺泊”、“寺泊型郵便護衛重巡洋艦”に決定された。

 これにはロッキード事件後も政界への影響を色濃く残す田中角栄元内閣総理大臣の出身地、新潟県刈羽郡二田村に程近い事から彼が命名したと噂された。


 また、寺泊型郵便護衛重巡洋艦に付随して艦体を構成する郵便護衛駆逐艦についても、中古艦艇の不足分は新造する事となり、こちらもアメリカにて建造され、“雪椿型郵便護衛駆逐艦”として完成。

 こちらも田中角栄によって新潟県の県の木である“ユキツバキ”から命名されたというのが専らの噂である。


 こうしてこれら艦隊は中東海域、特にスエズ運河航路で郵便を輸送する日本郵船の船舶の護衛任務に就いたのであった。


 だが、護衛任務というものは往々にして目立った戦果を上げる事が無いのが常であり、1980年に勃発したイラン・イラク戦争ではペルシャ湾でこそ両軍による民間船舶への無差別攻撃など軍事衝突が続いていたが、日本郵船の貨物船が航行するスエズ運河航路がさほど脅かされなかったのもあって、海上郵便防衛部の必要性に早くも疑問の声が燻り始めていた。


 しかし、1984年5月24日にペルシャ湾でリベリア船籍のタンカー“ケミカル・ベンチャー”号がイラン空軍機からの対戦車ミサイル攻撃を受けた事によって風向きが変わり始めた。

 このケミカル・ベンチャー号は日本へ石油を輸送していた定期チャーター船だったのである。


 これに対し日本政府は危機感を覚え、日本へ石油を輸送するタンカーを護衛する方法を模索し始めた。

 また欧米各国からは、日本もペルシャ湾の掃海と民間船舶の護衛任務に協力してほしい、スエズにいる日本郵便防衛庁海上郵便防衛部の艦隊をペルシャ湾にも回して欲しいという要請が寄せられていた。


 それでも日本郵便防衛庁は、我らの本分は郵便物と郵便インフラの防衛であり、石油タンカーなど郵便物を積載しない民間船舶の護衛はその埒外である。という姿勢を崩さなかった。


 しかし、明くる1985年3月17日。日本郵便防衛庁にしか、海上郵便防衛部にしか解決出来ない事態が発生した。


 イランに対して空爆を行なっていたイラクのフセイン大統領が突如として、48時間の猶予期限以降にイラン上空を飛ぶ航空機を無差別に攻撃すると宣言したのだ。

 つまりは、48時間以内にイランから退去しなければ、それ以降、イランへの空爆から逃れる手段が無くなってしまうというのだ。


 これに際して各国はイランにいる自国民を自国の空軍機や民間旅客機によって脱出させ始めたのだが、イランに200名を超える邦人が滞在している日本はイランまで即時展開可能な輸送機部隊を保有しておらず、民間の日本航空にチャーター便の派遣を依頼するも労働組合の反発によって断られてしまったのだ。

 さらに、国内に頼れぬなら外国の空軍や航空会社に邦人輸送を交渉するも、どの国も自国民だけで手一杯だと断られてしまった。


 もう、為す術無しかと絶望の淵に立たされた日本政府であったが、これに声を上げたのが日本郵便防衛庁だった。


 なんと、現在中東に派遣されている第二郵便護衛艦隊の旗艦“大泊”に搭載されている対潜哨戒ヘリコプター“SH-3シーキング”4機とトルコのイズミルにある同機の予備機1機によって、イラン在留邦人を国際郵便扱いで郵便輸送するというのだ。

 これに日本政府は飛び付いた。何しろ他の手段が無いのである。


 こうして日本郵政省はイラン~トルコ間の邦人215名の速達国際郵便を日本政府から受注し、日本郵便防衛庁海上郵便防衛部がこの業務に従事する事となったのだ。

 この業務の為、海上郵便防衛部の対潜哨戒ヘリコプターSH-3シーキング5機は対潜装備を降ろして軽量化され、トルコ東部のヴァン・フェリト・メレン空港に集結。

 イラン首都のテヘランにあるメヘラーバード国際空港へと飛び立ち、往復1550kmを3往復、延べ28時間にも及ぶ長時間の郵便輸送作戦が開始されたのであった。


 そして猶予期限の4時間38分前。

 最後のSH-3シーキングがイラン領空の脱出に成功。その1時間後にはヴァン・フェリト・メレン空港に着陸し、日本郵便防衛庁は邦人215名全ての速達国際郵便輸送を完遂したのであった。


 この功績が称えられた事によって海上郵便防衛部廃止論はぱったりと鳴りを潜める事となった。

 また、郵便物以外を郵便輸送した“実績”によって日本政府や海運企業より郵便防衛庁へ、石油タンカーや各種貨客船が危険海域を航行する際には、これら船舶を郵便物扱いとして海上郵便防衛部が護衛できないかという要請が為され、郵便防衛庁はこれを承諾。

 これによって海上郵便防衛部は更なる規模拡大の道を行く事となったのである。

1月21日修正

軍隊でも無いのに“〜隊”ってのも物騒なので“〜部”にしました。

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