九七式郵便防衛銃~PDWのPはPostalのPだって言ってるだろ!!~
日本郵便防衛庁では六四式郵便小銃の採用以来、この銃を一般の郵便防衛部員らの主力装備として広く配備して来ていた。
この自動小銃は、三八式歩兵銃と同性能の弾を、少しばかり短くしただけの銃身によって発射する為に、威力や射程については誰もが満足していた。
しかし、ブルパップ方式を採用したとはいえ1mに届かんばかりの全長には不満を持つ部員も多く、その為に銃身を短縮した騎兵銃型の六六年式郵便騎兵銃も配備されていたのだが、それでも全長は0.76m。
さらに4kgを超える郵便小銃を背負いながらさらに重い郵袋や小包を抱え、走り回るだけならまだしもマンションなどへの配達では階段を上り下りするいう大変な重労働を強いられていた。
というのも、年々増えていく郵便需要に対し、一般の郵便配達員に随行する郵便防衛部員らまでもが何時の間にか荷物持ちとして扱われるようになっていたのだ。
このため1970年代より日本郵便防衛庁では、扱い数量の多く高層建築も多い都市部においては装備をより軽量な短機関銃のみとする事を決定。
この短機関銃には、セミオートとフルオートの切替が可能、フルオートの連射速度は毎分600発以下、なおかつ小型軽量安価という条件で、オーストリアのステアーが開発したMPi69が採用され、ライセンス生産も含めて7万丁もの調達がされた。
だが短機関銃というのは射程も威力も小銃に劣るものであり、これでAKMや63式自動歩槍といったソ連中共が持つ最新の銃と正面から撃ち合うような事があっては結果は明らかである。
そうであるからして、日本郵便防衛庁では自動小銃並みの威力を持ちつつ、短機関銃並みに小型軽量な郵便銃を欲していたのだが、そう都合良い銃があるはずも無く年月ばかりが過ぎ去っていた。
しかし1980年代になると、アメリカでとある新しい銃の構想が提唱された。
その名も、APDW。
後にAdvancedが外されてPDWと呼ばれるようになったそれは、日本語訳するとすれば個人防衛火器という所であろうか。
つまりは、短機関銃のような取り回しの良さと、300m程度の射程ながら防弾装備に対する貫通力を併せ持つ後方要員の為の銃器である。
これに応じてベルギーのFNが開発したP90という奇怪な形をした銃は、新開発の5.7mmx28弾によって至近距離での高い貫通性能と、特徴的な弾倉によって50発もの装弾数を誇りながらコンパクトな銃であった。
これを見た日本郵便防衛庁は、まさに心惹かれた。これだ、PDWだと。
しかし、このP90という銃。日本郵便防衛庁で早速12丁ばかり試験購入してみたのだが、そうすると少しばかり不満が出てきた。
曰く新開発で独自弾薬の値段が高い、銃自体はコンパクトだが50発も納まる弾倉が嵩張る、銃の構え方に癖がありMPi69に慣れた郵便防衛部員には扱い辛い、というのである。
この為、日本郵便防衛庁ではP90以外のPDWを求める事となった。
要求は、P90と同等の性能を持ちつつ操作性に癖が無く、銃本体と弾薬の価格を抑えるという事。
だがしかし、P90がアメリカ軍への採用を逃した事もあって各銃器メーカーはPDWの開発に消極的であり、日本郵便防衛庁がMPi69の更新として7万丁の採用を見込んでいるとしても、見込みだけでは多額の予算を掛けて開発も出来ないとして姿勢を変える事は無かった。
さらには、1993年9月18日に勃発したモガディシュ事件を切欠として日本郵便防衛庁は西側諸国から兵器輸出停止措置を取られてしまうのであった。
この為、日本郵便防衛庁は西側諸国以外でPDWを開発している国が無いかと探してみるが、アメリカで生まれたPDWという概念が西側以外に波及している訳でも無く。
一応、ロシア連邦がソ連時代に開発したAKS-74Uという銃がPDWに近いものではあったのだが、P90のコンパクトさを知ってしまった日本郵便防衛庁からするとどうにも的を外したように見えて採用には至らなかった。
また、日本郵便防衛庁での独自開発も考えられたのだが、PDWの要であると見られていた小口径高速弾を日本郵便防衛庁や国内銃器メーカーでは扱った事が無く、PDWに似通ったカテゴリーである短機関銃に関してもMPi69のライセンス生産経験こそあれど開発経験が戦後以来無かった為、早々に諦められていた。
こうしてまたしても、無為に年月が過ぎ去るかと思われた。
しかし、1995年に発覚したTA-1騒動を切欠として西側諸国は金持ちの手綱を放す事の危険性を認識。すぐさま輸出停止措置が撤廃された。
さらに、日本郵便防衛庁が欲したPDWについても、ロシアなど旧東側諸国に郵便防衛庁からの膨大な開発資金が流れ込むの抑制する為、西側諸国で開発を請け負う事が決定。
このPDW開発にはドイツのH&Kが名乗りを上げさせられる事となった。
H&Kとしてみれば、日本郵便防衛庁の他に誰が買ってくれるかも分からない銃を安く作らせられる羽目になった訳であり、とばっちりもいい所だった。
ともかく、これでようやく日本郵便防衛庁だけの為のPDW開発はスタート。
コストカットの為に使用弾薬はNATO制式の4.85×49mm弾の製造ラインを一部流用可能なよう、口径を改めずそれ以外だけ一回り小さくした4.85×30mm弾とし、口径が変わらぬならと銃身もドイツ連邦軍制式のG36の設計データや製造設備が多数流用された。
この事は後に、G36の銃身を半分に切っただけだという噂さえ立つほどであった。
また動作方式もG36と同じくロータリーボルト閉鎖、短ガスピストン作動とされ、新基軸というものが全く見当たらないものとなった。
それでも一応、H&Kとしても日本郵便防衛庁以外の顧客を得るべく、せめてお膝元のドイツ連邦軍にも売れるようにと、操作体系は同社で開発されドイツ連邦軍制式のG36や、西側諸国で広く普及しているアメリカのM16系列に似せられ、さらに近年流行の兆しを見せていた拡張性に優れるピカティニーレールを銃上側面に採用するなど、決して手を抜いた仕事をした訳では無かった。
1997年2月10日。
こうしてこの新たな銃、1997年式郵便防衛銃は完成した。
H&Kではその銃の名を、開発経緯を揶揄して開発時名称のままPDWと命名。彼らにしてみれば差し詰め“郵便だけを防衛する銃”といった所であろうか。
ともかく、G36の生産設備もいくらか流用可能という事で日本郵便防衛庁によるオーダー分の量産もすぐに始まる事となった。
しかし、その風向きはすぐに変わった。
1996年12月17日に発生した在ペルー日本国大使公邸占拠事件で、その大使公邸へのペルー海軍特殊部隊による突入作戦が1997年4月22日に決行された。
結果は人質1名と特殊部隊隊員の2名が亡くなったものの、残る人質71名の救出と犯人グループ14名全員の殺害。
人質救出作戦としては大成功と言われるレベルである。
そして、この突入作戦でペルー海軍特殊部隊の手に握られていたのが、あのP90だったのだ。
この事件を切欠として、PDWの有用性は世界各国の知られる所となり、各国は競ってPDW採用に舵を切った。
―――のであるが、とうのFNが開発したP90は新規開発の独自弾薬である5.7mmx28弾の価格が高く、銃自体はコンパクトだが50発も納まる弾倉が嵩張り、銃の構え方や操作体系に癖があり。
つまりは日本郵便防衛庁がそうしたのと同じ理由で敬遠されてしまったのである。
だが、つい最近にH&Kが完成させたPDWはどうだろうか?
弾すら4.85×49mmNATO弾の口径を流用するなど真新しさに掛けるが、逆に言えば手堅い設計で銃本体も弾薬も安く纏まっている。
それでいて上側面にはピカティニーレールを備えており流行をしっかり捉えている。
さらにはG36の生産ラインを一部ながら流用しているため大口需要への対応も可能。現に今、日本郵便防衛庁からの7万丁ものオーダーに対応しているという。
良いじゃん、PDW。
こうして、PDWは売れに売れた。
日本郵便防衛庁や精々がドイツ連邦軍にしか売れないと思われていたPDWは、世界各国の軍や警察に売れに売れてしまったのである。
これに一番呆けたのはPDWを開発させられたH&Kと、売れ行きの芳しくないP90をせめてもの広告にとペルー海軍特殊部隊に提供したFNである事は、まあ間違い無いだろう。
H&K PDWの元ネタは、そのまんまH&K MP7です。
開発がちょっとばかし早まった結果がこれですよ。
ちなみにこのエピソード、別案としては試製九五式実包(6.5mm×30)を復活採用する案もあったりしました。
データが無さ過ぎて、日本郵便防衛庁に採用させる道筋と建てられずMP7に逃げてしまいましたが。




