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そこは学校へと続く見慣れた坂の上だった。
じりじりと暑い夏の太陽が体を焙っている。私はぼんやりと周りを見回した。
誰もいない。時刻は昼近くのようだ。真上にある太陽の光が眩しい。蝉の声がうるさくて何も聞こえない。
私は自分の膝に目を落とした。青いレースのドレスが視界にうつる。右肩が妙に重いのでそちらに目をやると、学校指定バッグが見えた。ストラップがかかった肩には、薔薇の形をあしらった造花がついている。
学校のバッグとドレスの組み合わせ。現実ではありえない。
「変なの。笑っちゃう格好よね」
私は膝を覆っている柔らかな布地を握り締めた。
「夢じゃない。だって、これ、クレイの作ってくれたドレスだもん」
私はふらつく足に力を込め、立ちあがった。ひらひらとまとわりつくドレスの裾がアスファルトの路上に似合わない。その違和感が私に帰ってきたのだと分からせる。
「大丈夫だよ。心臓の私が元気なんだもん。ディライドが負けるわけないもん」
ぶつぶつと独り言を言う。黙っていることができない。
「さあ、どっかで着替えないと。こんな服でうろうろしてたら変な人よね。この先の公園にトイレあったっけ。汚なかったけど」
きっと、ディライドは力を取り戻した。そしたら、あんな化け物なんか、ちょちょいのちょいで片付けちゃってる。それに、ディライドには、クレイにイレーユにアルフォンスがついている。きっと大丈夫。
あの四人は無事だ。笑顔でいる。
私はゆっくりと歩きだした。その目にうつる景色は、なぜかぼやけていた。
***
私はたどり着いた学校で、ディライド達の世界へ旅立ってから数時間しかたっていなかったことを知った。
二学期初日からの大幅な遅刻を叱られながら、私は自分のはいているスカートに触れていた。
制服のスカート。
正面に丁寧にかがった跡がある。クレイが縫ってくれた跡だ。
教師に叱られながら、私はぽろぽろと涙を流した。泣いているうちにとまらなくなって、大声をあげて泣き始める。
おろおろした教師がなぐさめてきた。
「お、おい、高木、先生の言い方が悪かった。泣くな、泣くなって言ってるだろ。おい、頼むから泣かないでくれー、こんなに泣かせたら悪いうわさがたつだろうがー」
そこから先はよく覚えていない。
****
現実世界に帰って来て、二回目の夜が来た。
今日は学校を休んだ。休めるものなら家にいるのも休みたい。生きるのも、泣くのも。すべて休みにしたい。何もする気がおこらない。体が重い。そして、世界が暗い。
私は自分の部屋に一人だ。机に座って、ぼんやりと周りを見ている。
見慣れた天井、見なれた壁、机、本棚、クローゼット、ベッド。いつもの家具がいつもの場所に置かれ、いつもの眠りを待っている。時計の針は午前一時を指していた。
私はじっと手を見た。
引出しを開けて、マジックを取り出す。黒と青と緑。それに黄色に赤と茶、紫に銀がないので灰色。暗くてよく見えなかったけど、窓から入ってくる街灯の明かりがぼんやりと手元を照らしている。
左手を広げ、一本、一本、爪に顔を描いていく。
まず、人差し指。ディライドの青い瞳。黒い髪。にっこり笑った唇。
次は中指。クレイの銀色の瞳。黒い髪。への字の唇。
その次は薬指。イレーユの紫の瞳。赤茶色の髪。うっすら笑った紅い唇。
最後に小指。緑の瞳。亜麻色の髪。にぱっと天然の笑みを浮かべた口。
そして。
一本残った親指。そこに黒いマジックで自分の顔を描く。
脳裏にディライドがアルフォンスに言った言葉が蘇る。私は口に出して言ってみた。
「どれだけの距離が俺たちを隔てようと、どれだけ長い間会えなくても。俺たちは仲間だ。お前が小指なら俺たちは残りの指。一蓮托生、同じ運命共同体だ。誰も俺たちを切り離したりできない」
語尾が震える。
私は手を握り締めて泣いた。指に描いた五つの顔が滲んで溶けていった。
*****
現実世界に帰って来てから四日目。
私は自分の学校の自分のクラスの自分の席に座っていた。
今は昼休み。三々五々に別れたクラスメートたちが弁当を食べたり雑談をしたりしている。
味気ない合板と鉄パイプの椅子と机。真四角の窓にはなんの装飾もない白いカーテン。リノリウムの床は傷だらけで安っぽい。
ぼんやりと机に肘をついて教室を眺めていた葵の頭に、パシンと軽い平たい物があてられる。
「どうしたのよ、葵。ほうけた顔して」
一番仲良しの千明だ。
アオイ、ではなく、葵。まだ慣れない。
「ほら、見てみて、このデコうちわ。私、これでシゲを応援するんだー」
千明がピンクと水色のシゲカラーのうちわをひらひらと動かす。さっき頭にあてられたのはこのうちわだろう。
それは力作だった。三色をつかって丁寧なグラデーションのハートを描き、その中央にシゲとでかでかと書いてある。
私は顔を上げるとはしゃいでみせた。
「わー。これ、何時間かかったの?」
「ふっ、よくぞ聞いてくれた。宿題する間も惜しんで一週間かかったのことよ」
「へー」
私は差し出されたうちわを手に取った。
前なら飛びついて制作過程を訊ね、デコ談義に花を咲かせたはずなのに,気力がわかない。まるで別の世界のことみたいだ。
「葵のは? できたの? 超大作造るってはりきってたけど」
「ああ、そうだっけ」
前は自分も作っていた。あれはどこへやったっけ。
何の気なしにうちわを弄んでいた私の眼に、ブルーのハートの中心にある、ひときわ大きなクリスタルが映る。うちわの向きを変えた時、そのブルーのクリスタルに陽光が反射した。
煌めく青。
鋭くて、優しい輝き。ディライドの瞳と同じ色。
私の瞳から涙が転がりでる。
「ちょっと、葵、どうしたのよ」
千明が心配そうにのぞきこんでくる。
「ううん、なんでもない。大丈夫」
口ではそう言ったけど、こらえきれない涙が胸の奥底から噴きだしてくる。
会いたい。
もう一度、会いたい。
****
現実世界へ帰って来て一週間目。
私は自分の部屋のベッドに転がりながらスマホで話していた。
相手は一緒にカズクンの運動会に行く、ファン仲間だ。
「うん、うん、そうなの。うちわ、まだできてなくてさ。でも、大丈夫。仕上げて見せるから」
誰もいない部屋に向かってガッツポーズをする。
「頑張らなきゃ」
きっとディライドはどこかにある、あの世界で頑張ってる。だったら、彼の心臓である自分も頑張らないと。
私は腕で目をこすった。
買ったばかりの新しいスマホに向かって話しかける。
「うん、もちろん、運動会行くよ。だって、せっかくチケットとったんだもん。カズクンの応援をしないと」
+++++
九月の連休が始まった。
今日は待ちに待ったカズクンの運動会の日だ。チケットは持った。徹夜で仕上げたうちわももった。もしかしたら手渡しできるかも、と毎回夢見て無駄になる、ネーム刺繍入りタオルもしっかりバッグに入れた。準備万端だ。
私は玄関の上り口に座るとスニーカーに足をつっこんだ。緑と青のロゴと紐がついている。カズクンのカラーだったから無理して買ったナイキ。でも、青は余計だ。
そっとその色から目を逸らしながら、私は元気よく声を出した。
「いってきまーす!」
「はいはい、いってらっしゃい。あんまり遅くならないうちに帰ってくるのよ」
娘のミーハーぶりにあきらめた母の声。寝起きのぼーっとした顔でぽりぽりと頭を掻きながら新聞を持った父が葵の横を通り過ぎる。
合金製の扉を開け、眩しい秋の日差しの中へ飛び出す。
ディライドの瞳の色をした、すこんと青くて高い空が彼女を迎えた。
途端、涙が鼻から胸の奥につき抜けそうになる。私は歯を食いしばった。
いつまでも泣いてなんかいられない。皆に顔向けできない。
ここは私の本当の世界。同じサイズの友達もいる。両親もいる。ついでに学校の先生たちや近所の人たちもいる。
自分はここで生きていく。
私はアスファルトの上に足を踏ん張った。その足もとがぐにゃりと歪む。
「え?」
すっと暗くなる視界。なんだかどこかで体験したことがあるような、不思議な浮遊感。
そして。私の意識は途絶えた。
****
「ここは、どこ?」
私は冷たい床から起き上がると、辺りを見回した。
巨大な鳥籠がまず目に入った。
懐かしい感じがする、金色に彩色された大きな籠。そして、その向こうに広がる広大な部屋。中央と左右に一つずつある扉。戸棚はなくなっているし、長椅子の色も違う。散らばっていた本もない。でも、その部屋は涙がでてくるくらい愛おしい世界だった。
私は顔を前に戻した。
瞳にイレーユの顔がうつる。その隣にはクレイも立っている。
赤鋼色の髪、紫の瞳、花のように華やかなイレーユ。
黒い髪に鋭い銀の瞳。相変わらず物騒な雰囲気のクレイ。
間違いない。本物だ。夢じゃない証拠にテーブルに打ちつけた私の足がじくじく痛んでいる。この痛みがあるならこれは本物。
私はそっと震える声で呼びかける。
「イレーユ? クレイ? なんで?」
私の声に二人がほほ笑んだ。
よいしょとイレーユが腕をあげる。その手には一本の酒びんが握られていた。中身は空だ。濃い緑色の瓶が陽光をはじいてきらりと光る。
「……さびしがり屋のどこかの馬鹿がやけ酒を飲みましてね」
イレーユの指が、鳥籠の反対側をさした。
私の眼にテーブルに突っ伏して眠っている黒い頭がうつる。懐かしい、黒い髪。あの髪の感触ならまだ覚えている。冷たくて、そして張りのある、綺麗な髪。
私の目に涙が浮かんでくる。両手を口に当ててこみ上げてくる涙を飲み下している私にイレーユが語りかける。
「アルフォンスが解き明かしてくれたから、アオイをもう一度召喚することも可能だったんですけど。まあ、危険が伴いますし、この馬鹿、意地をはって絶対召喚しないって言い張ってたんですが」
苦笑。
イレーユが片手を広げてドカンと爆発のジェスチャーをする。
「我慢するのに慣れていないおぼっちゃまですからね。まったく。こんな真似するくらいなら私たちの監視の下、きっちりやってくれればいいものを」
「酒をディライドの手の届くところに置いておいたのはお前だろうが」
クレイがぼそりと呟く。イレーユがぺろりと小さく赤い舌を出す。
私は思わず噴き出した。
涙と笑いが発作のように次から次へと湧いて出てくる。
照れ隠しだろうか。コンコンと酒びんでディライドの頭を叩いているイレーユに私は言った。眼尻を手で拭きつつ、笑顔を向ける。
「あんまり怒らないであげてよ。ディライドが起きたら私は元の世界へ戻れるんでしょ?」
イレーユの顔が曇った。
私の目を拭う手が止まる。なんだか嫌な予感がする。
「それが。残った術式を見ると前とは形が違うんですよ。アルフォンスが作ってくれた逆変換の式は使えません」
「つまり?」
イレーユが酒瓶で豪快にいびきをかいている黒い頭をつんつんとつっつく。
「戻れるかどうかはこの馬鹿の頭の事情で」
イレーユの目が笑っている。クレイが後ろを向き肩をすくめてくっくっと笑う。
私の肩が震えた。
顔がどんどん歪んでいく。
私は足音も高く、幸せそうな顔をして寝ているディライドの顔に近寄った。そのまま、思い切りディライドの頭を蹴とばす。
「とっとと起きなさいっ、この馬鹿王子っ!!」
その声には、我ながら隠しきれない笑みが混じっていた。




