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 窓の外から、虫の声がする。


 秋の夜によく聞こえる、鈴を打ち鳴らすような虫の音だ。私がこの世界に来る前、元の世界はまだまだ残暑で暑かった。だがこの世界の季節はもう秋のようだった。

 涼しいわけだ。夜の静けさが、ひんやりとした空気とともに私の体を包みこむ。


 外に面した四つの窓は閉まっている。

 そして、この部屋に通じる三つの扉も閉まっている。


 私は一人だ。


 夜もふけて、三人の少年たちはそれぞれ自分たちの部屋へ引き揚げていった。常夜灯がわりの小さな蝋燭が一本、番兵のように鳥籠の外に立てられている。


 ぼんやりとした灯りに照らされて、目の前には広い平らなテーブルの面がある。そしてその向こうにあるのは広い空間だ。体育館サイズのテーブルが入る、学校の敷地くらいの部屋。


 今の私の全世界だ。


 正面の壁にある扉、私はその外を知らない。


 あの四人は扉の外に彼らの学校があるという。彼らの学校はどんなところだろう。元の世界の私の学校では、もう普通授業が始まっているはずだ。きっと父と母は戻ってこない娘のことを不審に思って、何度も学校に電話してくれただろう。先生はクラスの皆に私のことを何か知っているかと聞いてくれたに違いない。


(心配、してるだろうな……)


 つい、元の世界に残してきた皆のことを考えそうになって、私はぶるぶると顔をふった。そっと元の世界からもってきたバッグを引き寄せる。そして中から、大事なデコ手帳を取り出す。


 そこには一枚のチケットがはさまれていた。


 私の命より大切なチケット。「EIRA」が所属する事務所の、年に一度の大運動会観戦チケットだ。

 テレビやコンサートと違って生身の彼らの顔が見られる貴重なチャンス。チケットセンターに繋がりやすいという噂にすがって、公衆電話にとりついてくさい受話器を我慢しながら必死でゲットしたチケットだ。


 なんだかずいぶん昔のことのような気がする。私は大事なチケットに額をあてるとうつむいた。


「……アオイ、まだ泣いてるのか?」


 小さく扉の開く音がして、囁くような声がした。


 私はあわてて目をこすると声の方を向いた。小さな蝋燭の炎に照らされて、王子様がそっとこちらをのぞいていた。


「ディライド?」

「俺が悪かった」


 一気に言うと、ディライドが頭を下げる。


「俺、意地になっちまって。本当にすまなかった」


 頭を下げているのでディライドの顔が見えない。オレンジ色の炎を受けて、艶やかな彼の髪が揺れている。


「泣かせるつもりはなかったんだ。アオイが言ったことは全部本当のことだ。俺、お前にフェアじゃなかった」

「いいわよ。どうせ私、親指姫だし」


 私は後ろを向いた。

 私の背後で、ディライドの足音がする。何かきっかけを探すように、もぞもぞと踏み変える足の音。


「それは?」


 ディライドの声が降ってくる。同時に伸ばされた彼の指は、私が大事に手に持つチケットをさしていた。


「カズクンのチケット」


 黙っているのも大人げないので、私は短く、不機嫌な声で答えた。


 私が答えたことで調子が出たのだろう。ディライドがさらに顔をよせて会話をつづけてくる。


「カズ、クン? そういえば前にも言っていたな。だれだ?」


 人に愛され、許されるのが当たり前の王子様の口調だ。私は腹がたったので、思いきり嫌みたらしくチケットを掲げてみせた。


「私の大事な人。アイドルっていうか、神様」

「神様?」

「そう。悲しいことがあっても、カズクン見ると頑張ろうって気持ちになれるの。そんなこと、普通の人にはできないでしょ? だから、神様」

「で? 俺にいじめられましたって泣きついてたのか?」


 ディライドの顔が不機嫌そうにしかめられる。大きな指が伸びてきて、私の手からデコ手帳を奪いとった。


「ちょっと、なにするのよ!」

「怒るなよ。その神様とやらを見るだけだから……って。小さすぎて見えねえ」


 目を極限まで近づけて、手帳のプリクラを覗きながらディライドが顔をしかめる。


「こいつ、どんな顔してんだ? かっこいいのか?」


 私の脳裏に、数学ノートの字を糸ミミズと評された時の恨みがよみがえる。私はふんっと横を向いた。冷たく答える。


「ディライドには関係ないじゃない」

「知りたいんだ」


 返ってきたのは真剣な声だった。


 思わず見上げた私の視線の先に、こちらを一心に見つめる青い瞳があった。


「アオイのこと、もっと知りたい」


 ディライドがはっきりと言う。


 私は自分の態度が恥ずかしくなった。でも、かといって明るく会話をはじめられるほど、私は人間ができていない。


 私はまたそっぽをむいて、小さく答えた。


「……顔はメンバーの中で一番かっこいいってわけじゃないの。どっちかっていうと癒し系だし。ちょっと、ドジなとこあって。でも、カズクンはすんごく頑張ってるの。そこがかっこよくってかわいいの」

「ドジでかわいい? なんだ、たいしたことないじゃないか」


 あきれたような、ほっとしたようなディライドの声がする。その言葉に私はカチンときた。振り返って大きな声を出す。


「偉そうになによ! じゃあ、あなたはかっこいいっていうの? 王子様なのに、力があるのに、何もしてないじゃない! どこがかっこいいっていうのよ!」


 このままでは今日のケンカの二の舞だ。


 反省しつつも後に引けなくて、私はディライドをにらみつける。その私の視線を、ディライドが横を向いて外した。


 彫りの深い、綺麗な横顔が私の方に向けられている。その顔を下に落とすと、ディライドは言った。


「……俺はさ、期待されるのがいやなんだ」

「え?」


 その声はいつも元気なディライドの声とは思えないくらい、とても小さくて。

私は思わず訊きなおしていた。


 ディライドのうつむいた顔を見つめる。黒い艶やかな前髪が、彼の顔の半分を隠してしまっている。あの、いつもきらきらしている元気な青い瞳が見えない。


 長い沈黙ののち、ディライドが再び口を開いた。


「俺は優秀ではいけない。できそこないでないといけないんだ」


 思いつめた口調。

 ディライドが椅子を引いて、腰をかける。テーブルに肘をついたから、うつむいた顔は前より私に近くなった。歩いていけば届く。私はそっとディライドの黒い流れるような髪に近づいた。


 私の気配を感じたのだろうか。黒い髪の間から青い瞳が覗いた。


 私を見る、青い、青い瞳。

 秋の空のように澄んだそれは、綺麗だけど同時にすごく寂しそうだった。


 なんだかせつなくなってきて、私は自分の手を握りしめた。

 動けなくなった私をディライドの手がふわりとおおう。触れているわけではないのに彼のぬくもりと震えが伝わってくる。


「……俺がじいさんに気に入られてるのは誰かから聞いたんだろ? だからさっき、王様になる人だ、なんて言ったんだよな」


 隠してもしょうがない。

 私は無言でうなずいた。


 ディライドが薄く笑う。


「俺、じいさんのこと好きだ。尊敬してる。けど、俺を気に入ってるとこだけは気に入らない。本人にそう言うんだけど、じいさんは笑うだけだ。俺が自分でなんとかしないといけないんだ」


 なんだか矛盾している。好きな人に気に入られることのどこがいけないというのか。


「どうしてお爺さんに気に入られたら駄目なの? 仲よくできるならそれが一番いいことじゃない」

「じいさんがただの人ならな、それでよかった。でも、じいさんはただの人じゃない。皇帝だ」

「それのどこが悪いのよ」


 言いながら、私はクレイの言葉を思い出していた。語尾が弱くなっていくのが自分でも分かる。そんな私にたたみかけるように、ディライドが言う。


「俺が何もしなくても、周りの奴らは俺を野心家だと見る。じいさんにとりいっていると見る。それで俺が馬鹿じゃなく、優秀だったとしたらどうだ? 次期皇帝候補として注目される。そうなれば当然命を狙ってくる奴もいる。そしたらどうだ?」


 ディライドの瞳が真剣な色を帯びる。


「あいつらは俺を守るだろう。命をかけて。俺にそんな価値なんかない。あいつらに盾になれって言う権利なんかない」


 あいつら、というのが誰を指しているのかは言われなくても分かった。


 私は息を飲んだ。


 そんなこと、考えてもみなかった。だって、彼等は私の前ではふざけてばかりいた。普通の男の子の姿しか見せなかったから。


「……どうしてそんな、だって、みんな、友だちでしょ」


 いや、違う。

 私はイレーユが言っていた言葉を思い出した。


〈学友で未来の側近〉

〈私たちは友人として接することになっているんです〉


 確かに彼はそう言った。違和感があった。あれはこういうことだったのだ。


 ディライドが鍵をかけ忘れたことにあんなに怒っていたイレーユ。ディライドが悪い、と言い切ったクレイ。追加授業がないときはいつもディライドにくっついているアルフォンス。


 能天気な四人組、自分と歳も変わらない学生の四人が生きている世界。この部屋と外とを隔てる扉の向こうには、そんな切羽つまった厳しい世界が待っているのか。

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