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ディライドが再び顔をうつむける。
「俺が生きてここにいるだけで、あいつらが危険な目に会う。そんなことは絶対にいやなんだ」
「他になにか方法はないの?」
私は手を握りしめて言った。
理不尽だ。
学校の外にいるディライドの親族たち、その取り巻きたちをどうにかできないのだろうか。
私の心を読んだかのようにディライドが続ける。
「他の奴らが手を出せないようにする方法は一つだけある。それは俺が皇帝になることだ」
ディライドの声は苦しそうだった。
「叔父貴たちや従兄弟たちを蹴倒して。そうすれば俺を狙う競争相手の数は減る。でも、そうしたら今度は皇帝の命を狙う奴らが出てくる。きりがないんだよ」
ディライドが両手を髪の間に埋める。何度も何度も考えて堂々巡りしてきたのだろう。この学校に来てからもこうして他の皆が寝静まった後、ここで一人悩んでいたのだろう。血を吐くような声をディライドが絞り出した。
「俺は守られるのは嫌なんだ」
その言葉に、私の心が反応した。
一方的に守られるのは嫌。私は彼らの仲間になりたい。
それは、さっきまで私が叫んでいた心の声だ。
驚いた。ずっと自分は部外者だと思っていた。なのに、ふたを開けてみればディライドだって悩んでいたのだ。自分だけが守られて、自分だけが仲間じゃないと。
同じだ。
まったく同じだ。だから、
「だったら、あなたが守ればいいんじゃない」
私は言った。
「あなたが強くなって、かしこくなって、皆を守ればいいんじゃない。そうでしょ」
明るく、強く、ディライドに言う。それは自分に向けた言葉でもあった。そして私がしたかったこと。
できるか、できないかの問題じゃない。今、自分の心は何を求めているか、それを考えたらこの答えが出てくる。
私は背伸びをして、ぽんぽんとディライド頭を叩いた。ディライドが驚いたように顔を上げる。でも彼の手はまだ頭を抱えたままだ。苦しそうに。
「……皇帝になれって? お前までそう言うのか、アオイ」
「違う。そんなのならなくていい。あなたがあなたとして強くなればって言ってるの。他の人が手出しできないくらい」
「でも俺が頑張ったって、あいつらは俺を背にかばう」
「だったらもっと前に出てかばってあげたら? かばって、かばって、どんどん前に出て、そんでもって、敵をやっつけちゃえばいいのよ。簡単じゃない」
「簡単って、お前……」
ディライドの目が見開かれる。
「簡単よ。こんなとこでぐじぐじ悩んでるよりはよっぽど簡単。ディライド、あなたって考えるの向いてないわよ。あなた、体育会系でしょ。頭使う前に体動かしなさいよ。そのほうが合ってる」
ディライドがぷっと笑う。
「アオイってすげぇな。俺が何年も悩んでたことにすぱっと答え出しちまった」
「あなたが馬鹿すぎるのよ。馬鹿は馬鹿らしく何も考えずにいなさい」
ディライドが大きく笑う。頭から手を離し、上を向いて高らかと笑う。笑いすぎて眼尻に涙が滲んだ目で、ディライドが私に顔を近づける。
「だけど誰かが何かを考えないと駄目だぜ? じゃないとただの馬鹿だ。俺が考えなかったら、かわりにアオイが考えてくれるのか?」
「いいわよ。あなたの頭になったげる。私、ちっちゃいからあなたを守ったりできないし、ここから動けないから、考える時間だってたっぷりあるし」
「わかった。じゃ、約束な、アオイ。俺のかわりに考えてくれ」
ディライドが手を伸ばして、指切りするように指を動かす。
五本の指をくっつけ合って誓うんだと言われて、私は彼の大きな手に私のちっぽけな手を合わせて誓う。
「私、高木葵は、ディライドの代わりにいろいろ考えることを誓います。……これでいいの?」
「ああ、上出来だ。お返しに、お前のことは俺が守ってやる」
「え? 嫌よ。私だって同じよ。一方的に守られるのなんか嫌。ちっちゃいからって馬鹿にしないでよ」
「馬鹿にしてなんかいない。お前は俺の頭だろ? それにお前は俺に力を与えてくれた。第一、俺の能力がつまった大事な体じゃないか。お前は他人じゃない。俺の一部だ」
ディライドの青い瞳が笑っている。でも、その底には真剣な光がある。
「アオイ、お前は俺の頭脳で心臓だ。体が心臓を守るのは当たり前のことだろう?」
さらりとディライドが言った。
私は赤面した。こういうセリフをなんの気負いもなくすらっと口から出すところが王子様だ。ただでさえ恥ずかしいセリフにドキドキしているのに、そこにさらにディライドが爆弾を投げ入れる。
「アオイ、元の世界に帰るな。ずっとここに、俺の側にいてくれ」
「え?」
「いくら術式が解明されても、界を渡るってのは危険を伴うんだ。俺はお前にそんな真似をさせたくない。力が戻らなくてもかまわない」
私は顔を上げた。怖いくらいに真剣な瞳が私を見ていた。
「ディライド……」
私の喉が渇いて引きつる。声が出てこない。突然、突きつけられた選択肢。私の前に広がった二つの道。
ずっと、ここにいる? 元の世界を捨てて? 親や友達、〈神様〉と会えなくなるのに?
考えるまでもない。戻るのを選ぶに決まっている。
でも、戻れば逆にディライドたちと会えなくなる。
出会ってまだ五日しかたっていない男の子たち。馬鹿で、賑やかで、そして辛い世界で懸命に生きている少年たち。
私の胸が痛くなる。
どう考えたって、選ぶ世界は決まっている。元の世界だ。十六年間過ごしてきた場所。大切な人たちがいる場所。なのにためらう自分がいる。迷っている自分がいる。
「アオイ、俺とずっと一緒にいろ」
ディライドの声。青い瞳が覗きこんでくる。私の顔と同じくらい大きい青い瞳に、ふっと吸いこまれそうになる。
私は必死で口を開いた。懸命にここにいられない言い訳を並べる。
「……一緒にいろったって、私がいるとあなた術とかいうの使えないんでしょ?」
「力の方は気にするな。普通に暮らすぶんには不自由ないんだし。それよりお前がいなくなるほうが問題だ」
「私、あっちに家族とか友達とかいるのよ」
「俺たちじゃ不足か? 家族でも友達でも。アオイが望むものになってやる」
「友達はともかく、家族ってどうやってなるのよ」
ディライドがにやりと笑う。
「もちろん、アオイが俺の片翼、俺の妃になるんだよ」
さらりと言われた言葉に私は絶句した。
そして怒りがわいてくる。
この王子はやっぱり馬鹿だ。本物の大馬鹿だ。女の子にとってその言葉がどれだけ重要な意味をもつのか、まったく分かっていない。
「あなたねえ、何簡単に言ってるのよ。そんなのなれるわけないでしょ! だいたい、まだ出会ってまだ五日よ? サイズだって違う。からかわないでよ!」
「俺、簡単に言ったりしてない。ちゃんと考えた。アオイこそ俺が冗談でこんなこと言う男だと思ってるのか?」
ディライドの瞳が凄みを帯びる。本気で怒っている。
私はふるえた。怯えているのに気づいたのだろう。ディライドがふっと瞳の色を和らげ優しく言う。
「サイズの問題はなんとかなるよ。多分、俺の不完全な術のせいでこうなってるんだ。俺、全力をあげて調べるよ。それと、時間の方は関係ない。だって、俺が何年もかけて解決できなかったことをあっさり解決したのは誰だ? な? 時間は関係ない」
私は絶句した。私が築いた言葉の垣根を、ディライドは軽々と飛び越えてしまう。いくら無理だと垣を作ってもクリアしてしまう。白い馬にまたがった王子様というものは本当にいるのだ。そう、思う。
だんだん顔がほてってきた。ディライドと一緒なら、なんでもできるような気がしてくる。すごいパワーだ。
ディライドがじれたように体を乗り出してくる。
「な、返事は? 後はお前の気持ちだけだ。俺、強引なことしたくないんだ。お前のこと、好きだから。頼むよ、言ってくれ。俺のこと、嫌いじゃないんだろ?」
「……そりゃ、嫌いじゃないけど」
我ながら歯切れが悪い。でも、一生に一度の決断なのだ。いろいろ考えなくてはならないことがある。簡単にハイと言えるわけがない。
そんな私の心を無視して、ディライドが明るく笑う。
「じゃ、承諾、だな」
「ちっ、ちょっと勝手に話を進めないでよ!」
「俺のこと、嫌いじゃないんだろ? だったらいいじゃないか。どーせ、俺、アオイが嫌だって言ったって、もう決めてるし」
あっけらかんとディライドが言う。さわやかな笑み。男の子らしい強引さで彼の手が私の体を引き寄せる。
「返事を、アオイ」
どぎまぎしている私をしり目に、ディライドが深く腰を折る。足を引き、なんだか宮廷の人のようにお辞儀する。王子様、いや、騎士様だ。
私は頬に両手をあてた。もう、無理だ。今の自分にはこっちの世界が現実だ。
私はうつむいた。小さな声で言う。
「……いいよ、こっちにいてあげても。その代わり頑張ってよね。私、応援しがいの無い人って嫌いだから」
ディライドが綺麗な青い目を見開く。その目は次の瞬間、嬉しそうに細められた。
「ありがとう、アオイ」
彼がかけがえのない宝物を見るような目で私を見る。そして、いきおいこんだ、熱のこもった声が溢れだす。
「アオイ、ここに誓う。俺、ディライド・エル・ミュリエールは命を賭して君を守る。俺の運命の人、俺の一部、タカギ・アオイを。アオイ、俺の心を受けてくれ」
ディライドが目で私にうながす。きっとこれはこの世界での儀式なのだろう。が、私には分からない。あわてて尋ねる。
「って、どうすればいいの?」
ディライドがくすりと笑う。さっきまで年下みたいだったやんちゃな彼が、なんだかすごく大人に見える。
「剣を俺の肩にあてるんだ。それで、許す、と言ってくれ。略式だからそれでいい」
「剣って言ったって」
私の目が鳥籠のおかれたテーブルの上を泳ぐ。
その目が一つの輝きを捕えた。鳥籠の中に置いたままになっている、私の護身用フォーク。その銀色の輝きが目にうつる。
「ちょっと待ってて」
私は籠に走りよると、自分の身長サイズの銀のフォークを抱えた。ディライドの傍まで戻ると、そのフォークをできる限り伸ばして、彼の肩に当てる。
「許す」
短い一言が私の口から転がり出た。
神聖な一瞬ののち、黒と青、二つの瞳が空中でぶつかる。その色の違う瞳は、同じ笑みを浮かべていた。
仲間、共犯者の笑み。
恋人同士、には少し甘さが足りないけれど、二人にはそれで十分だった。くすくすと楽しげな含み笑いが二人の喉からわき上がる。その声は大きくなって、朗らかな笑い声になって部屋中に響いた。




