第36話 勇者の名と、終焉を告げる黒い印
ラグナ村から王都へ戻った俺を待っていたのは、初任務を無事に終えた者へ向けられる労いではなく、勇者として使える段階へ到達したかどうかを見極めようとする、王国上層部の冷たい視線だった。
謁見の間には国王をはじめ、騎士団、神殿、宮廷魔術師団の代表者たちが集まり、俺が倒した魔物の数、村人の生存率、聖剣の出力、治癒魔法の精度に至るまで、まるで一つの兵器を検査するような言葉が淡々と交わされていた。そこに、初めて命を奪った十六歳の少年が何を感じ、夜も眠れずにいたという事実へ目を向ける者は、セレナとバルガスを除けばほとんどいなかった。
ただし、村長を即座に処刑せず、王都へ連行した判断については議論が紛糾した。
『裏切り者へ情けをかければ、同じ行為を招く』
『勇者が法を曲げたと民へ知られれば、王国の威信へ関わる』
並べられる理屈は理解できたものの、彼らが本当に恐れているのは、俺が王国の命令より自分の判断を優先し始めたことなのだと、当時の俺にも薄々分かっていた。召喚された直後の俺は、帰る方法を示されれば従うしかない少年だったが、剣を握り、実際の村を見て、人々から直接感謝を受けたことで、命令されるまま戦うことへの違和感を言葉にできるようになり始めていた。
『勇者よ』
国王は玉座から俺を見下ろし、感情を読ませない声で問いかけた。
『そなたは、この国の法より自らの判断が正しいと考えるのか』
「そうは言っていません。ただ、事情を調べる前に殺せば、同じ襲撃を防ぐための情報まで失います」
『では、慈悲ではなく利益のために生かしたと?』
「両方です」
謁見の間が僅かにざわめく中、俺は視線を逸らさなかった。自分の答えが政治的に正しいかどうかは分からなかったが、ここで嘘をつけば、これから先も王国の望む勇者を演じ続けることになる気がしたからだ。
「罪を犯したからといって、考えることまでやめたくありません。誰を斬るかを決めるのは簡単でも、一度斬った命は戻らないので」
国王はしばらく沈黙した後、村長の尋問継続を認めた。
表向きは俺の判断が受け入れられた形になったものの、その日を境に、俺の周囲へつく監視役は明らかに増えた。廊下を歩けば同じ騎士が一定の距離を保ってついてきて、部屋へ戻れば机や荷物の位置が僅かに変わっており、俺が何を考え、誰と話し、どこまで王国へ従うつもりなのかを測られていることは、隠す気すらないようだった。
そんな中で、状況を大きく変えたのは、処刑を免れた村長の証言だった。
彼が魔王軍との取引に使用していたとされる黒い石板を調べた宮廷魔術師は、そこに魔族の術式とは異なる構造が刻まれていることへ気づいた。通信を行うための道具に見えて、その実、持ち主の恐怖と絶望を吸収し、特定の場所へ送り届けるための祭具に近い性質を持っていたのである。
さらに村長は、魔王軍の兵士と直接会ったことは一度もなく、黒い外套を纏った人間から石板を渡されたのだと証言した。
その男は顔を仮面で隠し、胸元へ、欠けた円を三本の黒い線が貫く奇妙な紋章を刻んでいたという。
報告を聞いた瞬間、謁見の間にいた神殿関係者の表情が変わった。
『その印は……』
年老いた司祭が掠れた声を漏らしたものの、国王は鋭い視線で続きを封じた。俺が問いただしても、古い異端集団の印に似ているだけだという曖昧な説明しか返ってこなかったが、彼らの反応は、決して無関係ではないことを明確に示していた。
後になって俺は、その組織の名を知ることになる。
終焉の教団。
魔王を崇拝し、恐怖、争い、裏切りによって世界を弱らせ、その先に訪れる「真なる終わり」を救済と呼ぶ狂信者たち。
だが、この時の俺はまだ、教団の名も、その目的も知らなかった。
ただ、ラグナ村の襲撃が魔王軍による単純な侵攻ではなく、誰かが村人の恐怖を利用し、人間と魔族の双方を動かした結果である可能性だけを知った。
その日の夕方、俺は王城の地下訓練場へ呼び出された。
そこにはバルガスとセレナ、そして王国の鍛冶師たちが待っており、中央の台座には、召喚の日に俺を選んだ白銀の聖剣が置かれていた。これまで訓練や実戦で借り受ける形だった聖剣を、正式に俺へ預けるための儀式が行われるらしい。
『天城湊』
バルガスが俺の名を呼ぶ。
『お前はまだ未熟だ。剣を握る手は迷い、戦場を知らず、世界のすべてを背負う覚悟もない』
「随分な言い方ですね」
『だが、迷いながらも人を守り、命を奪う責任から逃げず、自分で考えることをやめなかった』
彼は台座から聖剣を持ち上げ、柄を俺へ差し出した。
『王国が望む勇者ではなくとも、誰かにとっての勇者にはなれる』
俺は両手で聖剣を受け取った。
召喚された日に握った時とは違い、その重さがはっきりと分かった。力を与える便利な道具でも、元の世界へ帰るための交換条件でもなく、これから自分が選んだ結果を背負い続けるための剣なのだと、ようやく理解し始めていた。
「俺は、王国のためだけに戦うつもりはありません」
『構わん』
「魔王軍だからという理由だけで、何も考えずに斬ることもしません」
『それも構わん』
「自分で見て、自分で決めます」
バルガスは僅かに口元を緩めた。
『それを貫けるだけの強さを身につけろ』
その言葉を最後に、俺は正式に聖剣の担い手として認められた。
国王から勇者の称号を与えられたからではなく、聖剣に選ばれたからでもなく、守れなかった命と、救えた命の両方を抱えたまま、自分の意思で剣を握ることを選んだ瞬間だった。
しかし、儀式が終わった直後、王城の北側から巨大な爆発音が響いた。
警鐘が鳴り、騎士たちが慌ただしく走り出す中、地下訓練場の壁へ設置されていた連絡用の水晶へ、焼け落ちる村と黒い外套の集団が映し出された。
先頭に立つ仮面の男は、炎に包まれた大地へ杖を突き立て、こちらを見透かすように顔を上げる。
胸元には、村長の証言と同じ黒い紋章が刻まれていた。
『異界の勇者は目覚めた』
水晶越しに響いた声は、妙に穏やかだった。
『ならば次は、その希望がどれほど美しく壊れるのかを見届けよう』
映像が途切れる直前、仮面の奥から覗いた瞳だけが、俺の記憶へ焼きついた。
その男は、俺を初めて見る目をしていなかった。
まるで召喚される前から、天城湊という人間がこの世界へ来ることを知っていたかのように、確信に満ちた目を向けていた。
こうして俺は勇者になった。
けれど、魔王との戦いが始まるより先に、俺を異世界へ呼び寄せた出来事そのものが、誰かによって仕組まれていた可能性が姿を現し始めていた。
そして次に俺が向かうことになるのは、終焉の教団によって一夜で地図から消された辺境都市だった。




